聖母マリアの死地については2説あるそうです。通説では「エルサレム」ですが、ここ「エフェソス」という説があるようです。(ここの歴史博物館の日本語パンフレット)というわけで晩年の住居跡がありました。(写真左上)写真右は読みにくいですが、そこに掲示されていた日本語の説明文です。
なおこの地の有名人の一人にかの有名な古代ギリシア哲学者ヘラクレイトスがいます。panta rhei”(万物は流転する)で有名ですね。余談話ですが、わたくしの持病リューマチ(rheumatism)はこのrheiが語源です。痛みが流転するところから来ています。
写真左下は市公民館跡です。列柱の上には常時聖火が灯されていました。聖火を守る要職に就くのは、選ばれた市民でした。
写真左中では以前紹介したスルーガイドハーカンが説明をしていますね。
「桂連アップルバウム」さん、「NARUE」さん激励のコメントありがとうございました。