手元にある書物などから。
1 最初に世界宗教史叢書「キリスト教史1」
カタコンベについての記述はありません。
迫害については「帝国の迫害は伝えられるほど継続的でもなければ凄惨なものでもなく、一方,教会側は多くの背教者の群れを出した」(p116)
ネロについては「キリスト教徒であること自体を処罰の対象とする一般法が確立され、これを発動した迫害であった、と断定することは困難」(p129)
ディオクレティアヌスについては「全治世22年間のうち20年近くもキリスト教に対して寛容政策とってきたディオクレティアヌスが、なぜ治世もおわりに近い303年に突如身を翻して迫害に転じたのか、その理由は必ずしも明らかでない。ディオクレティアヌスの宮廷、側近にはキリスト教徒が多く登用されていたし、皇妃と皇女もキリスト教に接近したといわれ、属州官僚にも軍隊にもキリスト教徒の存在は許されていた」(p171~172)
2 インターネット上の百科辞典wikipedia(日本語版、英語版)では墓地であるとしか書いていません。
3 ノーマン・デイヴィスの膨大なヨーロッパ史全4巻(各冊500ページ以上)
「 死者の復活に対する信仰は、初期キリスト共同体の中で埋葬に特別な意味を与えた。*****42のカタコンベのうち3つはユダヤ人の墓である」(ヨーロッパ1 p364~365)とあります。
⓸欧州共通教科書「ヨーロッパの歴史」(写真)
ヨーロッパでは共通の歴史認識を共有しようということで1992年に15歳から16歳を対象として欧州共通教科書「ヨーロッパの歴史」が作られました。筆者はイギリス、ドイツ、フランス、アイルランド、デンマーク、オランダ、ベルギー、イタリア、スペイン、ポルトガルから選ばれた10人です。そこにはカタコンベの内部に描かれた「初期のキリスト教の芸術」として壁画が紹介されているだけです。(p89)迫害、避難などとの関連記述はありません。日本の世界史の教科書とはえらい違いです。またこの本はキリスト教徒迫害については以下のように記しています。
「迫害が組織的に行われたことはまれで、決して一般的現象ではなかった。キリスト教の殉教者をたたえる物語は数え切れないほどあるが、これは聖者伝作家の大げさな熱狂によるところが大きい(eager exaggeration of hagiographers)
」(p88)
⓹ 秀村欣二論文
ネロについては古代ローマ史の専門家秀村欣二氏の論文「ネロのキリスト者迫害は、その動機と性格に不明な点があり、またそれはローマ市に限定され属州に及んでいない」(岩波講座 世界歴史3 p59)に注目したいと思います。