最近読書量が極度に減少していますが、ようやく数日前「岩波講座世界歴史22」を読了しました。以下のような箇所に出会いました。
「住民の大多数が理解しない言語を公用語したのは、しばしば説明されるようにアフリカが多言語社会だからではない。セネガルではウォロフが***、ガーナでもアカン系が付録通用していた。***国民統合のためではなく、植民地統治のシステムを引き継ぐため」(「アフリカ諸国の『独立』とアフリカ人エリート」p207)
この個所を読んでモザンビーク旅行での思い出を思い出しました。
モザンビークは1498年のヴァスコ・ダ・ガマ以来ポルトガルの影響を受け17世紀にはほぼポルトガルの植民地になります。1964年から独立運動が始まり1975年に独立が達成されます。したがって今もポルトガル色が色濃く残っています。たとえば公用語はポルトガル語です。偶然飛行機で隣に乗り合わせたモザンビーク人(黒人)の母語はポルトガル語でした。これにはちょっとびっくりしました。いまだに忘れることの出来ない想い出です。