ギリシアの地図を見ていただければ分かりますが、アテネからアドリア海に抜ける海路はペロポネソス半島を迂回しなければなりません。そこでコリントスの所で運河を通すことが考えられました。古くはBC6世紀コリントスの僭主ペリアンドロスが運河開鑿を計画しますが断念します。AD67年にはかのネロ皇帝が6000人のユダヤ人囚人を使って開鑿を始めましたが、ゴール人の侵入で頓挫します。
結局(1883~1893年)スエズ運河の開削に刺激されフランスの会社によって開通されます。
この運河は全長6436メートル、幅23メートル、高さは高い所で90メートル、水深8メートルです。
第二次世界大戦中ドイツ軍が運河を利用するのを阻止するためには意図的に運河を破壊せざるを得ないこともありました。この復旧には5年あまりかかりました。
現在は幅が狭いため主に観光船だけの通航のようです。しかしそれでも年間1万1000隻の船が通ります。
前述のようにBC7世紀にペリアンドロスが開鑿を計画し断念しましたが、実はそのとき代替としてディオルコスという敷石の軌道を設置して船を台車に乗せて引っ張るという路を作りました。このディオルコスは13世紀まで利用され今日遺跡として残されています。(写真)
このディオルコスは日本語のガイドブックにもなく、通常の観光コースにも入っていません。そこで現地ガイドに存在を確認して連れて行ってもらいました。この地にもたくさんの日本人観光客が来ていましたが、その存在を知る人はいませんでした。我々の添乗員も知りませんでした。この地にお出かけの方はちょっとしたわき道に入るだけですから、ぜひ立ち寄ってみてください。
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