シルクロードとは直接関係はありませんが、同じ中国ということで台湾の人との思い出を紹介します。2003年にクロアチアで出会った台湾の人に関連しての話です。以前友人のホームページ(現在閉鎖)に書きこんだ文章の再録です。
外国旅行をしていると各国の観光客にたくさん出会います。私の経験によればドイツ人が多い様な気がします。東洋人としては、韓国、台湾、香港の人たち(最近では中国本土の人も)が大部分で他の国の人には殆ど出会ったことはありません。そのなかで年配の台湾の人たちから流暢な日本語で「日本の方ですか?」といって親しげに話しかけられることがたびたびあります。韓国の人からはそういうことは一度もありませんでした。その違いは何なのだろうかな?といつも思っていました。
今回クロアティアでもやはり台湾の人から声を掛けられました。私は「日本は皆さんにあまり良いことをしなかったにもかかわらず、親切に声を掛けていただいてうれしいです」と言いました。すると一人は「台湾の現代化は日本のおかげです」、もう一人は「50年前は同胞でした」と言う答えが返ってきました。私は名状しがたい感情の高ぶりで涙を抑えることが出来ませんでした。
なぜこのような発言がなされたのか、今回はそのことについて少し本気で考えてみることにしました。
最初に考えられるのは台湾と朝鮮半島に対する日本の植民地政策の違いに起因するということです。しかしこれは私の乏しい知識に照らし合わせても間違いだと思いました。そこで気がついたのは台湾での本省人と外省人の感情的対立問題です。現在の台湾人の構成は2100万人のうち先住民族32万人、残り15%が外省人、85%が本省人とされています。先住民族については説明の要はないですが、外省人と本省人について説明しておきます。外省人とは1945年8月15日以後台湾に移り住んだ人たちで主として国府中央の台湾移転にしたがって移り住んだ人たちで軍人60万を含む200万人とされています。(国防秘密ということで公表されていない) 当時の総人口は560万人でした。
そこで10数年前に読んだ岩波新書の「台湾」(戴國輝 著)を再読することにしました。以下この本をつまみ食い的に紹介します。
「光復への興奮、(国府軍への)歓迎の熱情は日に日に冷めていった。」「(国府)の諸政策は、台湾人を侮蔑、搾取するものとして、非難と弾劾の的になった。」
そうしたとき1947年2月27日の悲劇が起きました。(「この事件を語ることも、研究することもタブーだったために、その実態と真相は今なおいっこうにに判然としない」)
「専売局のヤミタバコ摘発の警官隊が**屋台売りの婦人からヤミタバコを押収しようとしてもみあい***若い外省人の警官が**殴打した。警官は**発砲***即死**。民衆の憤懣が極度に先鋭化した。***外省人と見ればリンチを加え、外省人経営の店舗を襲い***。『反乱』の波は瞬く間に全台湾に伝播した。****『チャンコロ』という罵声を、本省人が同胞たるべき外省人に向けてどなりちらす***鎮圧軍の弾圧行動はたけだけしく****。弾圧されて死傷したものは万にのぼる***。」
この事件を著者は次のように総括する。
「日本植民地時代の『共犯構造』の従犯者らは、2・28事件を機に、いつのまにか民衆の視野と記憶から巧みに身を隠した。彼らは一転して胸を張り、新しい『共犯構造』のワキ役として、さりげなくふたたび立ち現れることになる。彼らは自らも本省人だから被害者だと主張するかのようなジェスチャーでふるまう。******民衆に対して国府・国民党・外省人を巧みに、かくれみのとしてフルに活用する。かくれみのが存在し政治的タブーが持続する限り、彼らは虚構と虚飾の大いなる環境の中で保身の術を磨き、余生を楽しむ。」(p112 )
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