2017年8月18日の再録です。
私は8月15日を「敗戦の日」と謂うべきだと思っています。安倍首相は「敗戦の日」ということは知ってはいるが、そういいたくなく「終戦の日」と謂うべきだと考えているでしょう。これは現在の多くの日本人の常識かもしれません。マスコミ関係は全て「終戦の日」ですね。しかも8月15日を最近では「敗戦日」ということも知らない人もいるようです。私は「終戦の日」と認識することによって「アジア太平洋戦争」の本質を誤解し、現代日本の理解も間違うのではないかと危惧しています。これ以上の議論は私の能力を超えるのでやめますが、実は写真の8月15日の朝日新聞の天声人語欄の紹介が目的でこの文章を書くことになりました。
ご覧ください。8月15日を「敗戦の日」と「終戦の日」の2つの表記をしていますね。一般的には同一の文章で同一の事柄を違った表記はしないと思います。その場合はその理由が書かれるべきでしょう。朝日新聞の社是は「終戦の日」ですが、筆者は「敗戦の日」が正しいと思っているので高倉健の言葉にかこつけて「敗戦の日」と書き、最後は「終戦の日」で妥協した文章ではないかと私は妄想しました。いろんな読み方があると思います。皆さんのご意見を伺いたいものです。
負けたのですから・・・
負けた側が決めるものではないような気がしています。世界から見れば「敗戦」でしかないと思います。
「何を言うか、敗戦じゃないか。敗戦ということを理解するところからすべてが始まるんだ」
と一渇したそうです
東京裁判のパール判事の様に、日中戦争(南下政策)と太平洋戦争は分けて考える必要があると思う。
前者は日本の侵略戦争で、後者はアメリカが策謀した戦争です。
でも南下政策が太平洋戦争に結びついたのも事実で、そういう意味ではやはり敗戦なのだろうか?