2010年12月23日に紹介したようにキリスト教圏に比較してオスマン帝国は宗教的寛容があったので多くのユダヤ人がここバルカンに生活していました。特にここサラエヴォでは1931年の統計ではユダヤ人が人口の51%を占めていました。特に1492年スペインから追放されたスファラディウム系のユダヤ人が多数でした。したがってユダヤ博物館などユダヤ系の施設が沢山あります。しかし事前に旅行社にその見学をも申し入れていたにもかかわらずここがシナゴーグ跡ですという案内だけで素通りでした。あわてて撮った写真がこれです。多分現在は博物館でしょう。今回の旅行で最大の心残りはここサラエヴォでのユダヤ人関係の観光が無かったことです。悔しい!
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