予告していたケレン・ハオールの機関誌3号中島ヤスミン氏の記事、その後7号の中から3本を紹介後「インドネシア」編を始めます。
ユダヤ•アラブ青少年政治懇談会を見学して
中島ヤスミン
イスラエルとパレスチナ自治区を往復して 私は観光ガイドという仕事柄、以前からパレスチナ自治区にもよく行き、多くのアラブ人と接する機会があります。一方テルアビブ周辺に住んでいる親戚の子どもたちは、そういう機会があまりないためアラブ人に対する見方が大分違います。彼らは、私たちが住んでいるエルサレムにたまに遊びにくると,町ですれ違うアラブ人を恐る恐る見て、小声で自爆テロの可能性を聞いたりします。また夫が教えているヘブライ大学を案内した時も、多くのアラブ人学生がユダヤ人学生と一緒に勉強していることに驚いていました。 私がパレスチナ自治区の子どもたちに会いにやって来た日本人NGOグループの同行ガイドとしてウエスト・バンクに行った時のことです。パレスチナ青年が日本人に訴えるイスラエル人像というのは,強硬に入植活動をしている過激なユダヤ教信奉者たちや、彼らを警護するために派遣されたイスラエル兵の姿でした。イスラエル国内でも過激なユダヤ教信奉者は少数派ですし、彼らに対して厳しい非難があるのは勿論です。 日本人の私は、二つの民族の間で,お互いのイメージに大きな誤解が生じていると私は感じていました。日本人である私は、それぞれの地域に足を運ぶのが容易なので,機会あるごとにアラブ人とユダヤ人に,「日本人から見るとてもよく似ていますよ」と話すのですが,思うほどの効果はありません。 そんなジレンマのなか,イスラエル国防軍から観光に携わるイスラエル人ガイドやバス運転手も保安のためにパレスチナ自治区(ベツレヘム、ジェリコなど)には入らないよう指示を受けるようになりました。2001年以降のインティファーダ勃発(注)で観光業に携わる人の解雇率が一時90%近くになったことがありました。
(注)パレチナ人の第二次反乱。原因は、2000年7月25日、キャンプ・デヴィドで開かれた「中東平和のための3者会議(ビル・クリントン、エイフード・バラク、ヤセ・アラファト)」の失敗に原因があるという説があり、この月をパレスチナ人第二次反乱の始まりと考える人々がいる。また、同年、9月28日、アリエル・シャロン氏が、二民族にとって聖地であるテンプル・マウント(アラブ側は、アル・アクサ寺院と呼ぶ)を訪れたことから暴動が始まり、この月にパレチナ人の第二次反乱が始まったという説もある。
私に何かできることは?
こんな状況ではお互いの不信感は募るばかりだと思っていた時に、山崎エステルさんが参加している、ユダヤ•アラブ青尐年懇談会を仕事仲間の山崎智昭さんに教えていただき、何かお手伝いできればと今回の懇談会の見学に行きました。 ユダヤ•アラブ青尐年懇談会の会合は,5月19日午前8時半からベングリオン国際空港近くのキブツ・ベロット・イツハックで開催されました。私は子どもを保育園に預けなければならない事情もあり、遅れて9時半ごろ到着しましが、既に子どもたちは仲良く一緒に楽しそうにゲームに熱中していました。参加した子どもの数は、ユダヤ人15、アラブ人、15合計30人とのことでした。
ゲームを通し協力精神を学ぶ子どもたち
私が到着した時に子どもたちは、みんなで協力してボールを迷路を通して目的の場所に入れるゲームをして遊んでいました。2つのチームに別れて競争します。最初は各自ボールを見ながらボードを上げたり下げたりしていましたが、指導員が「次はみんな後ろ向きで、ボールを見ないで入れてください」と言いました。その代わりそれぞれのチームに一人ずつチームの「目」になる人を選びゲームを開始しました。「目」は指示を出し、チームのメンバーは指示に従います。勝敗が決まった後は、次のゲームです。これは輪になった縄をみんなで持ってその縄の上を人が歩くのです。協力して縄を上手に引っ張らないとうまくいきません。最初は1人、次に2人と歩きます。そのうち人を乗せたまま立ったり座ったり上手にできました。以後、30分毎に入れ替わった6種の遊びがありました。 ゲームの後、指導員は「これらのゲームを通して互いが協力しなければできないことが、世の中にはたくさんあるということを子どもたちが知ることです」と結びました。真剣に聞き入っていた子どもたちは、遠足先のキブツで協力精神を身につける遊びや自然についても楽しく学びました。最後はタルブッカと呼ばれるアラブの太鼓演奏を学びました。タルブッカの太鼓を叩きながら、アラブの歌を披露したり、イスラエルの歌を一緒に歌ったりしてこの遠足は終わりました。
外見だけでは識別できないユダヤ人とアラブ人の顔、顔、
私は子どもたちの姿を写真に収めながら、どの子がアラブ人でどの子がユダヤ人なのか観察していました。女の子はすぐ分かりました。アラブの子たちは一人の例外を除いてスカーフを頭に巻き、ジーンズにお尻を隠すくらいのチュニックを着ています。ユダヤ人の女の子は最近流行のホットパンツをはいて素足を見せています。でも男の子は外見だけではほとんど判断できません。例えば、背が高く肌の白い青い目の子が、アラビア語を友達と話すまでアラブ人かユダヤ人か分かりませんでした。十字軍の末裔かしらと思うぐらいヨーロッパ的顔立ちです。またもう一人の男の子は色が浅黒く背もあまり高くありません。黒い目黒い髪で、どちらだろうと思っていると隣の赤シャツの女の子とヘブライ語で話しました。イエメン系のユダヤ人かもしれません。外見だけでは判断できないほど、双方ともいろいろな顔があります。
おわりに
この日一日、子どもたちを写真に撮っていた私は、みんながよく笑い楽しそうにしていること、また自然に一緒にいる姿を見ていました。でも山さんの話では、懇談会第1回目は,双方とも緊張した顔つきで2つに別れて座っていたそうです。(ケレン・ハオール第1号にその模様が描かれています)今回の懇談会は五回目で今年最後になるのですが、子どもたちは来年も続けたいと言っているそうです。特に今回は学校の外に出ての懇談会で、お互いに開放感もひとしおだったのでしょう。まるで同じクラスの子ども同士のようでした。 確かにユダヤ・アラブ紛争はアラブ人とユダヤ人の問題であって,遠くに住む日本人は部外者かもしれません。今の状態では双方の不信感が強くなるばかりで、この不信感を和らげるためには、第三者的な中立者が必要であることは確かです。不信を解くにはお互いに相手を知る必要があります。そのためにはできるだけ多くの懇談会の機会を作ることが大事で,年6回、しかも毎回1時間の会合では少なすぎます。今回のように一緒に遠足に行ったり、旅行をすることによって交流が深まります。子ども時代共に楽しい時間をたくさん過ごすことが、将来彼らの良い思い出になり、双方のイメージを変えていくと思います。本当は、子どもの時から一緒に机を並べ、一緒に育ちながら相手の言葉や文化などを知ることが一番理想的だと考えます。このような取り組みの学校が最近数校設立され、欧米からの援助を受けています。これらの活動のための資金援助が日本人である私たちにできる重要な協力ではないかと思います。
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