写真上はドイツ東西分裂時代の象徴的存在だったブランデンブルク門です。もともとは市内に18個所あった関税門の一つでした。1945年ドイツの敗北によって米英仏、ソ連に東西に分割占領され1949年にそれぞれが東西ドイツに分割独立しました。その時ベルリンも東西に分割されます。その時その国境線にあったのがブランデンブルク門(東ベルリン側)でした。当初はその間を自由に出入りできましたが、1961年にベルリンの壁ができ自由な往来ができなくなりました。1989年ベルリ位の壁が崩壊し1990年東西ドイツが統一しその後分裂時代の象徴として現在にいたっています。
したがってベルリン市内には東西を分ける国境線が張り巡らされていました。写真中は少し見にくいですが道路に赤線が見えると思いますが、それが当時の国境線です。
写真下はユグノー教会です。わたくしは無学ためここ来るまでこの存在を知りませんでした。手元にあるガイドブック、そして現地でのリーフレットなどにも記載はありませんでした。
ユグノーは16世紀〰18世紀のカルヴァン派新教徒で旧教徒との衝突があり1598年ンナントの直令でいったんは信仰の自由が認められました。
しかし1685年10月18日、フランス国王ルイ16世は信仰の自由を撤廃しました。それまでもしばしば迫害を受けていたユグノー教徒の多くは、これを機に国を去る決意をすます。そのわずか11日後、ベルリン・ブランデンブルクの大選定候フリードリヒ・ヴィルヘルムは、ポツダム勅令を発表して彼らの受け入れを決めました。約30万人の難民のうち、この地域に逃れて来たユグノー教徒は約2万人に上り、うち5500人がベルリンに定住した。これは当時のベルリンの人口の7分の1を占める数です。そして1705年に建設されたのがこのユグノー教会です。わたくしはこの歴史事実を知りませんでした。恥ずかしい。旅行社に感謝。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます