このルーマニア旅行は1999年のことなので記憶違いがあるかもしれませんし、写真が古いプリントなのでボケているのをご容赦ください。
さてルーマニアの西部はかつてハンガリーの領土であったことがあり、そのためこの地域にはハンガリー人がかなり住んでいます。ルーマニア総人口2300万人のうちハンガリー人200万人といわれています。前回紹介したコリーナさんの踊りはこの村の民族博物館のレストランでの様子です。村人たちはハンガリー料理、ハンガリーダンス、ハンガリー民族楽器の演奏と歌でもてなしてくれました。歌の意味は分かりませんでしたが、ハンガリーの義賊ベチャールを歌ったものではないかとも思いました。
写真はハンガリー語しかできないルーマニア人?
ハンガリー・オーストリア帝国でもあったのでドイツ人もかなり居住をしていたのですが、現在はドイツに帰ってごく少数の人だけ残っているそうです。ドイツ人の教会の近くで出会った人にグーテンターク(ドイツ語でこんにちは)と挨拶するとグルッスゴット(南ドイツ、オーストリアでのドイツ語で今日は)と返事が返ってきました。
ルーマニア現地ガイドは日本語ペラペラの美人コリーナさんでした。(写真はハンガリー人村の博物館での夕食時のハンガリーダンスを踊るコリーナさん) 彼女は日本の飯坂温泉温泉のホテルの若旦那と最近結婚したそうで結婚式の写真を見せてくれました。すこし気になったのは夫側の親族(両親も含め)ての姿が全然見えなかったことでした。また彼女は夫がルーマニア正教会に改宗したことを非常に喜んでいました。これも我々日本人の感覚から言って?? ルーマニアでのハンガリーについては次回にします。
10年間にパックツアーですが21回の海外旅行で50数カ国を訪れました。そのときの想い出を書いてみます。最初はルーマニア編。 ブルガリアからドナウ河国境を越えたのですが、入管事務所の役人の威張った態度に一同憤慨してこの先の旅に不安を覚えました。当日ブルガリアからの現地美人ガイド、テオドラさんが念入りにお化粧した意味はこれにあったようです。
ところが入国してみてルーマニア人の温かいもてなしには感激しました。ガソリンスタンドでのトイレ休憩の時でした。私は用が無かったので向かい側で果樹園の手入れをしている母子の写真を無断で撮影しました。てっきり叱られるものと思っていたら手招きして中に入れといっているようでした。家の中まで案内されブドウとクルミをご馳走になりました。お母さんはデカンターにワインを入れて持ってこようとしていました。その間、トイレを済ました同行の人たちは私のいないのに気づき騒ぎになっていました。探し出されてバスに戻りました。そのときお母さんはたくさんのブドウを持たせてくれました。
皆さんにお詫びを言いながらそのブドウ配りました。そのとき名古屋の人に「トイレ休憩はトイレ休憩だけにしてチョ」と叱られたのも想い出の一つです。 いまどき見知らぬ人、それも外国人に家の中まで案内し、ワインまでご馳走しようとする人がこの地球上に存在しいたことに感激でした。本日はこれで終わりますが、ルーマニア編はまだ続きます。