100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

番外編 お墓 アフリカの巻1

2005年11月13日 10時00分08秒 | 

 写真はアフリカ ベナンの海岸線にあるお墓です。内陸部から拉致された奴隷がアメリカ大陸へ移送されまでこの地で待機させられ、その間に死亡した人たちのお墓です。写真の向こう側は大西洋です。

 奴隷(交易)については後日「アフリカ編」で触れるつもりなので今回はこれだけにとどめておきます。一つだけ余談ですが触れておきます。アフリカ黒人奴隷がアメリカ大陸のどの地域に一番多く連れて行かれたか皆さんご存知ですか。アメリカのブッシュ大統領が「ブラジルには黒人がいるのですか?」といって世界の人々にその無知を笑われたそのブラジルが一番多かったのです。


番外編 お墓 アイルランドの巻

2005年11月11日 10時07分18秒 | 

 アイルランド旅行に出かける前にガイドブックLONELY PLANET を見ていたらコークの市内地図に“Hiroshima & Nagasaki Monument “ と書いてありました。説明はありませんでした。日本語のガイドブック(地球の歩き方)にはありませんでした。このパックツアーの観光コースにも入っていません。そこで宿泊のホテルの近くだということを確認して早朝出かけることにしました。 しかし私は稀代の方向音痴(今回ダブリンで集合場所を間違えて皆さんにご迷惑を掛けました)なのでホテルの受付で場所を尋ねました。係りの人は暫し首を傾げていましたがようやく分かったか説明してくれました。しかし方向音痴と英語力の不足のためよくわかりません。ままよ、と出かけ途中でたずねましたが殆どの人は知りませんでした。地図を示しながら尋ね歩きました。一人の中年の男性が私の唐人ぶりをすばやく察知して非常に丁寧にゆっくり話し教えてくれ、最後には彼から握手まで求めてきてくれました。(Irish Hospitality ?)

 ようやく目的地に到達しました。3メートルほどの石碑が建っていました。しかしよく見ると「小さな国の自由のために第一次第二次世界大戦で戦った人のため」といった内容のものでした。アレッと思ってキョロキョロと周りを見渡すと1メートルもない石の碑がありました。そこには

”IN MEMORY OF THE VICTIMS OF HIROSHIMA & NAGASAKI . It must not happen again . 1984 “(広島、長崎の犠牲者を追悼。二度と再び起きてはならない。1984)

 という文章が刻まれていました。花束も供えてありました。感動しました。  日本に帰ってから、日本原水協に問い合わせてみるとその存在を知らないということなので、上記の文章と写真を送りました。「原水協通信」第717号にこの文章と写真がそのまま載りました。また広島市にも知らないということなので送りました。記念館にこの写真が飾ってあるかも。  

 広島、長崎の原爆投下は人類最大の悲劇の一つですが、次回からあと二つ人類最大の悲劇を取り上げます。                  


番外編 お墓 ウズベキスタンの巻 最終回

2005年11月09日 08時54分31秒 | 

  10世紀以前のこの地の支配的宗教はゾロアスター教でした。そこでの葬送は鳥葬といわれるもので遺体を鳥に食べさせ、残ったお骨を壷に入れて埋葬します。この壷を「オッスアリー」といいます。いくつかの博物館で見ました。ところが鳥がいない土地では犬葬が行われたそうです。あらかじめそのために飼育しておいた犬に遺体を食べさせるというわけです。いやはや。

 次回はアイルランド感動の巻です。


番外編 お墓 ウズベキスタンの巻7

2005年11月07日 10時13分37秒 | 

 写真はナヴォイ劇場の壁にはめ込まれている銘です。ロシア語、日本語、英語で書かれています。写真が少し見にくいので全文を書いておきます。

 「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百人の日本国民が、このアリシェル・ナヴォイ名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」

 次回で「お墓 ウズベキスタンの巻」は終わりなります。最終回は鳥肌が立つようなおぞましい話です。請うご期待。


場外編 投書

2005年11月05日 09時36分17秒 | コマーシャル

   雑誌「週刊金曜日」11月4日号に私の投書が掲載されました。場外編としてここに転記します。      

           天皇は「日本国民」ではない  

 本誌10月21日号の投書「男女差別を認める『皇室典範』は違憲」に異論が あります。筆者は違憲の論拠の大前提を「天皇も国民の1人」とされていますが、それが間違いだと思います。14条の「法の下の平等」の規定は男女差別だけでなく天皇(皇室)には適用されないのです。したがって14条の適用を受けない人間は日本国民とは考えられません。8条では基本的人権の中核ともされる「財産権」すら制限されています。戸籍もそうです。選挙権もありません。基本的人権の無い人間なのです。 それでは天皇をどう捉えるかの問題ですが、右翼の人は国民(人間)を超えた存在と考えるでしょうし、私は気の毒な人と考えます。 皇太子の雅子さんへ思いは皇籍離脱でしか解決できないと思います。

 なお、これに関連したことについて、前回紹介した「昭和ひとけた生まれから」の掲示板で管理人の近井さんとちょっとした論争をしました。関心のおありの方は画面左下にあるBOOK MARK の「昭和ひとけた」をクリックしてください。  


番外編 お墓 ウズベキスタンの巻4

2005年11月03日 11時01分35秒 | 

 この墓地の近くには今では日本で見かけることのできなくなった大きな桑の木が実を付けていました。食べてみました。懐かしい味でした。日本人捕虜たちも食べたのでしょうか。この地は絹の絨毯の生産が盛んで街路樹などにも桑の木がたくさんありました。バザールでも桑の実が売られていました。 

 写真はこの墓地にあった不戦の誓いの碑です。


番外編お墓 ウズベキスタンの巻1

2005年11月01日 10時23分59秒 | 

 

 第二次世界大戦の日本敗戦でソ連邦の捕虜になった人たちがシベリアに抑留され強制労働をさせられたことは良く知られています。しかし、かなりの人たちが中央アジアにも連れてこられたことはあまり知られていません。中央アジア・ウズベキスタンのタシケントでは日本への帰還を見ることなくこの地でなくなった69名のお墓がありました。(写真) タシケント以外にも8箇所日本人墓地がありここと同じように大切に葬られているそうです.

 なお、このウズベキスタンの巻は「昭和ひとけた生まれから」http://www2.oninet.ne.jp/hchk/ の掲示板に中田一二の名前で投稿したものと重複します。(写真は除く) 今後も原則として当面旅行記以外についてはこのホームページの掲示板に投稿しますので宜しくお願いします。興味のある方は私のこのブログと「昭和ひとけた生まれから」のホームページを宜しくお願いします。