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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「ギリシア」編 クルージング14 ロドス島3

2008年03月09日 08時49分23秒 | ギリシア

 この「聖ヨハネ騎士団」の構成員は騎士が500人程度で母語によって8つ(フランス、イタリア、イングランド、ドイツ、アラゴン、カスティーリア、オーベルニュ《現在はフランス》プロヴァンス)の騎士館グループに分かれていました。写真はこの騎士の館に入っていくところです。


『ギリシア」編 クルージング12 ロドス島1

2008年03月07日 08時51分41秒 | ギリシア

 次の寄港地は塩野七生さんの小説「ロードス島攻防記」でもよく知られている「ロドス島」でした。この地の目玉はやはり「ロードス島攻防記」で描かれている聖ヨハネ騎士修道会(ロドス騎士団→マルタ騎士団)の遺したものです。

 この騎士団は十字軍の主力部隊の一つであり、テンプル騎士団、ドイツ騎士団とともに三大騎士団の一つです。十字軍の敗北によりエルサレムから退却し1309年ビザンチン帝国からロドス島を奪い本拠地にします。

 名目はここを拠点としてイスラーム勢力と闘うことでしたが実際は海賊行為をすることだったようです。しかし1522年にオスマントルコ帝国の襲撃にあいこの島を撤退することになります。(注)

 そのときの攻防を描いたのが「ロードス島攻防記」です。中世の戦闘で重要な役割を果たすのが城塞です。小説ではヴェネチア共和国の築城技師マルチネンゴがこの城塞の改築工事に招かれる様子が印象深く描かれています。写真はその城塞です。

 (注)その後地中海にあるマルタ島に本拠を移しレパントの海戦などに参加しますが、ナポレオンにマルタ島を奪われ領土を失います。現在は本部としてローマに建物一棟を保有して、建物はイタリアから治外法権を認められています。国連は「オブザーバーとして参加するために招待を受ける実体あるいは国際組織」として取り扱っています。マルタ騎士団は約94カ国と外交関係を持ちますが日本は国として認めていません。現在の正式名称は「ロドスおよびマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会」です。病院の名前が付いているのは最初の成り立ちが十字軍ならびに巡礼者の病人看護が目的だったからです。


「ギリシア」編 9 パトモス島1

2008年03月05日 08時53分37秒 | ギリシア

 最初の寄航地はミコノス島でしたがピレウス港の出航が大幅に遅れ夜の観光になり殆ど何も見るところがありませんでした。次の朝はトルコ領クダシャスに上陸してエフェソス観光でした。ここはすでに2007年5月1日、11日、15日に少し触れているのでそちらに譲ります。

 午後はパトモス島に上陸しました。この島は紀元後95年にローマ皇帝ドミナティウスによって追放されたヨハネがここの洞窟に閉じこもり聖書の「黙示録」書いた所で有名なところです。

 写真はそのヨハネを記念しての聖ヨハネス修道院です。