とんがり屋根の集落アルベロッベロの次に近くにある洞窟都市マテーラに向かいました。この洞窟住居はサッシと呼ばれています。
このサッシの起源については不明な点があるようですが、陣内秀信氏は「サッシにおける本格的な居住を決定的にしたのは、ギリシアからの多くの修道僧の移住だった。彼らはイスラム教徒から***迫害を逃れて、8,9世紀にこの地にやってきたのだ。そして、自然の洞穴を利用し、またより規則的なかたちの洞窟を人工的に掘り出しながら、修道院をつくり、宗教活動を展開した。そのまわりには、修道院の農地を耕す農民や牧人が集まり、修道僧から洞窟を住居に転ずる方法を学びながら住みついた」(「南イタリアへ!」p104~105)と述べています。
この石灰岩の屋根にこのような文様が描かれているのを見かけました。呪文だそうです。
なお前回ここが世界遺産に指定されていると書きましたが、実は今回この「南イタリア、シチリア、マルタ」で紹介するところのほとんどが世界遺産です。イタリアは世界遺産に指定されているのは2014年2月現在、51件で世界一です。ちなみに日本は18件で世界全体では1007件です。
このトゥリッリ家屋はこの周辺に点々とありましたが、集落としてはアルベロベッロだけです。14世紀以前のトゥリッリは存在しませんが、その起源については色々説があるようですが定説はないようです。陣内秀信氏は「メソポタミアあるいは北アフリカからクレタ、ギリシアを経て南イタリアに伝わったという説が有力」(「南イタリアへ!」p89)と述べています。
屋根の材料、石灰石はこの地では豊富で、塀などに用いられているのを沢山見ました。
アマルフィからポンペイ遺跡(紹介済み)を経由してとんがり屋根のトゥリッリと呼ばれる民家の集落、世界遺産のアルベロベッロを訪れました。
屋根の材料は石灰石でモルタルを使用せずそのまま積んでいます。したがって、簡単に屋根を取り外せるようになっています。これが税逃れになったという言い伝えがあります。というのは、領主が家屋税を取り立てようとしてやってきたときにこの屋根を取り崩して家ではないとして税を逃れたということです。
町の海岸線にあまり広くない広場がありますがフラヴィオ・ジョイア広場と呼ばれています。以下「イタリア海洋都市の精神」(p185~186)をそのまま転記させていただきます。
「その中央に、海洋都市アマルフィ市民にとっての英雄、フラヴィオ・ジョイアの像がそびえる。このモニュメントの台座の銘文には、羅針盤の発明者と書かれている。彼は14世紀に活躍した船乗りで、磁石を利用した羅針盤をヨーロッパで最初に実用化し、航海に用いた人物とされてきた。***だが、最近では、フラヴィオ・ジョイアは想像上の人物であることがほぼ明らかになっている」
しかし、水を使わず水平に磁針を保つ乾式羅針盤がアマルフィ人よって発明されたことは事実のようです。(「イタリア海洋都市の精神」p173)
最初に紹介したようにアマルフィは最古のイタリア海洋都市国家であったので造船の歴史も古いのです。(以下おもに陣内秀信著「イタリア海洋都市の精神」に拠ります)最古の記録として810年にビザンツ帝国から20隻の船の建造の発注を受けたことが知られています。現在残っている造船所は当時の半分で1343年の暴風雨(地震説もあるようです。7月28日はロンリープラネット日本語版p685の地震説で説明しました。ウィキペディアは嵐説です。「地球のある方」にはこの件に関しての記載はありません)によって海底に没しました。
写真のarsenaliと書かれているのは「造船所」いう意味でmuseoは現在ここは展示会として利用されているということのようです。