清流にしか生息しないクレソンです。ヨーロッパ原産ですが明治期に渡来しこのように野生化しました。残念ながら民宿の食事には出てきませんでした。
鹿児島大学の先生に来島してもらって、利用できる野草を選別してもらいたいとガイドの山田さんは話していました。
私の言いたいことはわかりますよね。
特攻撃平和観音像です。以下、三島村のホウムペイジをそのまま借用します。
「太平洋戦争中に鹿児島県大隅半島の基地から特攻隊員として出撃し、黒島に不時着、島民の助けで生き延び、終戦までを戦友と共にこの島で過ごした元特攻隊・江名武彦さん(川崎市在住)が2004年に建立した像です。戦争で散った友への思いと平和への祈りがこめられ、毎年慰霊祭が開かれています」
なお、江名武彦さんについてはネット情報もあります。
今年5月2日に枕崎の「かつお節行商の像」の掲示板を紹介しました。それは明治28年ここ黒島で枕崎の漁民が遭難し411名の死者が出、そのことから未亡人たちのかつお節行商が始まったという説明でした。
この写真はこの遭難場所黒島の塩手鼻に平成2年枕崎市長田代清英が遭難者慰霊のために立てた自作の白衣観音です。
この写真の向こうにエ(イ)バドンのお墓があるのですが、標示板の説明から読み取ることができるように男子禁制なので写真は撮れませんでした。
「三島村誌」(P123~124)には以下のような記述があります。「昭和9年11月、東京の教育者であった***永原鉦作氏は、***この大庭どんの墓の下を掘った。その時、石斧**の破片が出た。***縄文・弥生期**のものと思うが、中には鎌倉期の三郎ゆかりのものもあったかもしれない」
場所は6月17日の地図で確認してください。
写真の標示板の説明に「三島村誌(」p122)により二つほど付け加えておきます。「エバドン」は大場三郎を「大場ドン」と読んでいたのが訛ってものです。なおこの標示板には「エバドン」と表記されていますが、三島村のホウムペイジと「三島村誌」では「イバドン」になっています。
大場三郎家政は通称で本名は宇都宮家政です。それは下野国芳賀郡大場邑の領主であったことからそう呼ばれるようになりました。