100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「スリランカ」編 アヌラーダプラ イスルムニヤ精舎3

2016年01月14日 08時33分48秒 | スリランカ

 

この宝物館で最も有名なのがこの「恋人の像」です。「地球の歩き方 スリランカ」(p261)がその由来を以下のように記しています。

 「5世紀の作品といわれ、そこに彫られている男女は紀元前2世紀にこの地を治めていたドゥッタガーマニー王の息子サーリヤ王子と、その恋人マーラともいわれている。王子とマーラはあまりにもカーストが違い、周囲はふたりの恋を認めようとしなかったという。しかし王子はあきらめきれず、自分の身分を捨ててマーラとの結婚を望んだといわれている」

なお、この美術様式は4世紀から5世紀のインド・グプタ王朝のものだとの指摘は”lonely planet “Sri Lanka”(p208)です。


「スリランカ」編 アヌラーダプラ イスルムニヤ精舎1

2016年01月14日 08時28分26秒 | スリランカ

アヌラーダプラは紀元前5世紀から紀元11世紀に至る長い間、北部を根拠地としたシンハラ人を主とする王朝の王都として繁栄した日本で言えば奈良、京都のよう古都です。

そこでの史跡、遺跡の観光はイスルムニヤ精舎からでした。紀元前3世紀ごろ、当時の王デーワーナンピヤ・ティッサ王仏教の保護を目的にこの地に建設しました。


「スリランカ」編 猿家族2

2016年01月11日 08時36分41秒 | スリランカ

 

 次回紹介予定の「アヌラーダプラ」で出会った猿家族です。いずれも尻尾が長いですね。スリランカはインドと並んで猿天国ですね

昨日NHKの「ダーウィンがきた」の番組で犬とサルの平和共存が放映されましたが1月2日のこのブログの写真のほうが真に迫っていましたね。意外にこの写真は貴重かも?

“maria”さんコメントありがとうございました。今後ともよろしく。間違ったことがあったら教えてください。


「スリランカ」編 シーギリヤ・ロックへ14 ” tomy”さんのコメント

2016年01月08日 08時32分20秒 | スリランカ

 

 前回シーギリヤ・ロックへの登頂を途中で断念したことを述べましたが、それに関連して“tomy”さんから以下のようなコメントを頂きました。”tomy”の了解をえてここに転載します。なお”tomy”さんはブログ「ガンジス・河の流れ」の管理者でスリランカにも1ヵ月旅行されていてインド、ネパール、スリランカ方面に詳しい方です。写真は私が一目でも、と思っていた「シーギリヤ・レイディ」で「ガンジス・河の流れ」2015年11月30日から許可を得ての転載です。

「頂上はかなり広い ロックの端いっぱいまで建物の土台が残されていました その土台にしがみついて下を覗いてみましたが ど~へぇ~でしたどのぐらいの人がこの頂上で生活をしていたのでしょうか水、食料、燃料などを荷揚げする専門の作業員が
いたのでしょうが 

 

 

 


「スリランカ」編 シーギリヤ・ロックへ10

2016年01月05日 08時28分28秒 | スリランカ

 

私の体力ではここまででした。この旅行の参加を決めたときからシーギリヤは無理だと思っていました。しかし何とか「シーギリヤ・レイディ」に一目だけでも会えないのかと頑張ってみましたが、やはり無理でした。したがって「シーギリヤ・レイディ」は紹介できません。代わって?「旅名人ブックス スリランカ」(p50)の一文を紹介しておきます。

「美しい芸術作品を愛する人が必ずしも美しい心の持ち主であるとは限らない。『シーギリヤ・レイディ』の愛称で世界に知られる壁画を造らせた人物もその一人であった(12月27日に紹介した父殺しのカッサバ王のこと)」