100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「中国東北部5都市紀行」旅順5 203高地5

2016年07月15日 08時29分51秒 | 中国東北部

 

 このような標識がありました。この203高地攻防戦で日本軍は1万5000人の兵力が1000人になったと書かれています。ウィキペディアでは「この攻撃での損害は日本軍は戦死5,052名、負傷11,884名」とあります。なおここに書かれている「爾霊山」については次々回に紹介の予定です


「中国東北部5都市紀行」旅順5 203高地4

2016年07月15日 08時26分16秒 | 中国東北部

 

 平和な八重桜並木を愛でながら緩やかな坂道を登りました。ただし私は途中で体力の限界を感じてタクシーを利用しました。

頂上の基地から旅順港を眼下にした写真です。ここから旅順港は一撃ですね。残念ながら霧(スモッグ?)のため何も見えませんでした。


「中国東北部5都市紀行」旅順5 203高地2

2016年07月12日 08時28分24秒 | 中国東北部

 

 ちょうど八重桜満開の行楽シーズンでした。そこで気がついたこと二つ。右の奥に行楽客らしき人が見えますが、日本のようにゴザ(今の時代はシートですね)を敷いての花見ではないですね。中国87回の同行者の話によれば中国人は日本のようなシート花見はしないそうです。

 もう一つはヨーロッパ人に出会わなかったことです。相貌が同じなのでよくわかりませんが東洋人の外国人も見かけなかったような気がします。そして日本人にも。この外国人(日本人も含む)をほとんど見かけなかったというのは今回の旅行地全てでした。日本人の旅行客も最近激減しているそうで、現地日本語ガイドの一人はこの仕事は今年限りにして来年は違った仕事を見つけたいと言っていました。

 


「中国東北部5都市紀行」旅順5 203高地1

2016年07月12日 08時23分50秒 | 中国東北部

 

 私は戦争は大嫌い、絶対反対です。したがって戦争の話も嫌いです。そこでNHKの大河ドラマも見ません。ところが現実直視、私の言葉ではキョロキョロイズムも私にとっては大切です。そのアンビヴァレントの感情を抱きながらの今回の旅でした。

 そして私の想像を超えた「嫌な思い出」の保存でした。それは前回紹介した「博物館」展示物であり今回数度にわたって紹介する旅順攻防戦などです。まず最初は「203高地」の話です。

 その前に日露戦争がいかに悲惨な戦争であったかを示す数字を挙げておきます。この日露戦争に動員された日本人は30万人で戦没者が8万8429人(内戦病死者が2万7192人でほとんどが脚気が原因)(注)負傷者が15万3584人です。

 (注)この脚気病死については森林太郎(森鴎外)に重大な責任があることは知る人ぞ知る有名な話。

すこし余談話になりますが、この日露戦争が「ナショナルアイデンティ」の形成に重要な役割を果たしたことについては2015年6月20に少し紹介しているのでご覧いただければ幸いです。

日露戦争の勝敗の帰趨を決する戦いの場は一つは日本海海戦でもうひとつが今回紹介する旅順攻防戦です。旅順攻防の一大ポイントが203高地攻略戦でした。203高地は旅順港の背後に迫る203メートルの高地で旅順港攻略の戦略拠点でした。

現在は写真でわかるように平和な観光公園になっています。

 

 


「中国東北部5都市紀行」旅順4 私立蓄音機博物館6

2016年07月09日 08時34分28秒 | 中国東北部

 

日露戦争時の「陸軍の乃木、海軍の東郷」と称せられ「天気晴朗にして波高し」の電報で有名な(私の世代以前の人たちにとって)日本海海戦の東郷平八郎の死を報ずる新聞のようですね。

なぜこのような新聞が中国で大切に保管されているのでしょうね。ましてや「レコードプレーヤー&昔プレーヤー体験展示ホール」と題された博物館になぜこのような展示物があるのでしょうね。

前回紹介した中国語を日本語に訳していただいた大連出身の方はこの博物館の存在をお知りになりませんでした。


「中国東北部5都市紀行」旅順4 私立蓄音機博物館3

2016年07月06日 08時35分53秒 | 中国東北部

この李香蘭のレコードを聴かしてくれました。写真はそのレコード盤ですが拡大してみてください「山口淑子」と書かれています。とするとこのレコード盤は日本人に戻った1945年以降のものですかね。

 実はここまではびっくり程度でしたが、この博物館にそれ以外に仰天ものが展示されていました。それは次回に。

 


「中国東北部5都市紀行」旅順4 私立蓄音機博物館2 

2016年07月06日 08時31分50秒 | 中国東北部

 

 館内にこのような掲示がありました。近所に住まわれている親しくしていただいている中国大連生まれの中国人女性にこの中国文を訳していただきました。

 

 

レコードプレーヤー&昔プレーヤー体験展示ホール

 

本ホールのレコードプレーヤーは世界120ヶ国から集まり、一部レコードプレーヤーは体験ができます。その中、ヨーロッパで流行ってるオルゴールは構造が特別、音も抑揚がある。

  本ホールのレコードは百年の歴史を持ってレコードもある、現在でも音がはっきりです。我国の最も有名な京劇名人梅蘭芳、尚小雲、慧生,程砚秋,黎明晖,李香蘭、周璇,などレコードは全部珍しい秘蔵品である。

 

ここで注目していただきたいのは「わが国の**李香蘭(注)」です。 李香蘭は日本人で本名山口淑子(1920~2014)です。戦前中国人李香蘭として歌手、俳優として満州、日本で人気スターとして活躍します。戦後「漢奸(売国奴)」として裁判にかけられますが日本人ということが証明され放免されます。日本に帰国してからも華やかな人生を送ります。大阪万博の噴水を設計したことで有名な日系アメリカ人イサム・ノグチと結婚したり、参議院議員になったりの華麗な人生でした。

その李香蘭(山口淑子)がここ中国で「わが国の**」と紹介されているのがちょっとびっくりでした。

(注)掲示板では「李香兰」と表記されていますが、「兰」は「蘭」の簡体字です。

 

 

 

 

 


「中国東北部5都市紀行」旅順4 私立蓄音機博物館1

2016年07月06日 08時28分30秒 | 中国東北部

 

 

 

旅順での夕食後、中国旅行87回目という中国通の方(添乗員ではありません。同行者です。中国語ぺらぺら)の案内で夜間探訪をしました。そこでびっくり仰天(私には)のものに出会いました。中国通の方もご存じなかった私立の蓄音機博物館に偶然入場することで見たものです。(その入場に至るまで経緯は私には不明)

この写真は別に不思議の無い展示物です。


「中国東北部5都市紀行」旅順1

2016年07月03日 08時25分24秒 | 中国東北部

 

今回の旅行の最初の宿泊地は旅順でした。旅順は中国海軍の重要な人口25万人の軍港基地都市です。2006年まで外国人の立ち入り禁止区域でした。現在もカメラを直接港に向けることは遠慮してくださいとのことでした。写真は少し高台にあるホテルから見た風景です。ぼやけていますが港がかすか見えます。

旅順の歴史は清朝が1878年ここに軍港を築くことに始まります。日清戦争(1894~95)の結果、下関条約で旅順を含む遼東半島が日本に割譲されることが決まりますが、三国干渉で銀300万両と引き換えに放棄されます。その後1898年に帝政ロシアの租借地になります。そして日露戦争でこの地は激戦地となり日本の勝利で日本の租借地になり、その後の満州国の建国後満州国からの租借地として日本の直轄地となり1945年まで続きます。