100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

89
歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「東南アフリカ」編 グレートジンバブエ遺跡3

2016年12月15日 08時18分13秒 | アフリカ

 

 かって、このような進んだ文明を黒人が作れるはずがないと白人学者たちは考え外来の非黒人の遺跡だと主張しました。しかし、20世紀になり精密な発掘調査が行われ現在では黒人ショナ人の文明だと断定され異論を唱える人はいません。

それに関連して面白い話があります。

「イギリスの考古学者ケイトン=トンプソンが、講演で遺跡の建築者は紛れもなく現地のアフリカ人であること、彼らが成熟した文明の担い手であって高度な国家的組織と優れた独創性と高い技術をもっていたことを論じ、南部アフリカの学界を挙げて取り組むにふさわしいテーマだと訴えると、アウストラロピテクスの発見者として知られるレイモンド・ダートは激怒し、演壇と司会者に向かって怒鳴りつけ会場から足を踏み鳴らしてでていったという逸話がある。このようにグレート・ジンバブウエ=アフリカ人建設説は、当時のアフリカ南部の白人社会においては受け入れがたいものであった」(ウィキペディアより)


「東南アフリカ」編 グレートジンバブエ遺跡1

2016年12月12日 08時18分17秒 | アフリカ

 

 まず名前の由来から。ジンバブエという国の名前からではなく逆にこの遺跡にちなんで1980年の独立の時この名前が付けられました。その意味は「石の家」でアフリカで最も大きな石造建築遺跡です。10世紀頃から集落ができ始め14世紀には最盛期になり家屋6000戸、人口1.8000人、の都市国家になりました。

 写真の中央部に見えるのがグレートエンクロージャーと呼ばれているところです。