当初からこの博物館に対してアフリカ系アメリカ人の役割を軽視していると非難されてきていました。そこで1982年、こうした植民地時代の一辺倒な描写に対して問題との声が増えてきたことを受け奴隷の役として、アフリカ系アメリカ人の演出者達が加えられました。
26回という世界でもっとも変更回数の多いアメリカ国旗の初代にここで出会いました。私にはちょっとした感激でこのように老醜をさらしての写真となりました。1775年12月3日(独立戦争開始4月19日)~1777年6月14日までの国旗です。右上はイギリス国旗に似ていますね。その後そこに州の数の星が描かれるようになります。
コロニアル・ウィリアムバークは独立以前にバージニア州の州都であったウィリアムバークの一角に当時の姿をそのままに再現した生きた歴史博物館地帯です。「植民地時代のウィリアムズバーク」というわけです。
写真は議事堂で1705年に建設され1930年に改築されたものです。バージニア州は独立戦争の中核となった州でこの議事堂がその中心的役割を果たしました。
大学にあったジェファーソンの像です。ついでに彼の対ネイティブ・アメリカン政策をウイキペディア日本語版から紹介します。
彼はインディアンを「高貴な野蛮人」と呼び、白人とは異なった彼らの文化に対して畏敬の念を隠しませんでした。一方でジェファーソンは、大統領としてインディアンの強制移住政策を公式に立案した最初の人物でした。そしてこの強制移住政策を実行し、インディアンの大量虐殺をしたのが「ジャクソニアンデモクラシー」の名で知られている第7代大統領(在位1829~37)ジャクソンでした。
私は恥ずかしながらこのインディアン強制移住政策の最初の立案者がジェファーソンだったということは知りませんでした。私の乏しい蔵書にもなく、ウイキペディアの英語版にも記載がありません。
「全ての人間は平等に造られている」と宣言した独立宣言の起案者であり第3代大統領のトーマス・ジェファーソン(在位1801~09)が設立したバージニア大学です。この大学は1950年まで白人のみ、また1970年まで男子しか入学が許されませんでした。
バージニア州の中部、ワシントンDCの南西190kmに位置するシャーロッツビルは最近世界的に有名になりました。
ここで今年8月12日黒人の権利擁護と差別撤廃を訴えるグループと白人至上主義者を掲げるKKK団などの団体が衝突し、白人至上主義者の一人が車で反対派に突っ込み一人が死亡し20人が負傷した事件です。これに対するトランプ大統領の反応がより問題を先鋭化しました。
さてこの地の観光は「全ての人間は平等に造られている」と宣言した独立宣言の起案者であり第3代大統領のトーマス・ジェファーソン(在位1801~09)が自ら設計した邸宅モンティチェロと彼の設立したバージニア大学で、いずれも世界遺産になっています。
彼は大農場主(プランター)で「1774年以後、つねに200人前後の奴隷をかかえていた。彼は奴隷制度の批判者で(しかし)***彼はほとんど奴隷を解放しなかった。彼が解放したのは特別の奴隷(私注-彼の妾)ヘミングス一族だけである」(「世界歴史大系 アメリカ史1p94」
写真はこの彼の邸宅世界文化遺産モンティチェロとその前で記念撮影をしているアメリカ人観光客(多分)です。
今回の北朝鮮のミサイル発射での日本(政府およびマスコミ・交通関係など)の反応で私はアジア太平洋戦争末期の「竹槍」でB29を打ち落とし、竹槍で鬼畜米英の上陸を阻止するという話を思い出しました。この話は戦後生まれの人には全く理解不能でしょうね。そこで、ちょっとだけ理解を助けるための短いエピソード?を。1944年2月23日(敗戦の日は1945年8月15日)に毎日新聞の「竹槍では間に合わない**」という記事が領布・発売禁止になりました。
「Jアラート」に代表される一連の日本の反応と「竹槍」は、恐怖心、敵愾心と愛国心を煽るだけで他に何の効果もないという共通点があります。
違いもあります。竹槍からは何ももたらしませんが、今回は日米の軍事産業(死の商人)に富をもたらし、社会福祉費が削られると謂うことです。最近の新聞の見出しに「防衛費膨張一途」とありました。
今回のこのことで一番喜んだのは安倍さんでしょうね。 恐怖心を煽ることで憲法改正への道が早まるからです。これは当否・賛否は別として極左から極右のまで共通事実認識でしょうね。
写真は鬼畜米英を竹槍でやっつけるという戦時中の小学生の訓練です。(ネットからの拝借)
領収書です。CASSIC PEPERRONIとはワインのことでしょうね。今回の旅行ではお腹のこともあり、ワインで通しました。全て比較的おいしかったと思います。もっとも味痴の私ですからあてにはなりません。
GL MECBECはピザのことでしょうね。
店はBISTROということですが、これは「居酒屋風のレストラン」(明鏡国語辞典)ということのようですが、添乗員の伊藤さんがロシア人から聞いたBISTRの語源をこのブログ(2007,9.10)に特別寄稿していただいています。ただこの説は俗説という話もあります。