風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

守備範囲

2016年09月26日 | 徒然に日々のことを
我が家の子育て中の守備範囲は、父親と母親くっきりはっきりわかれていました。
出張で留守がちな父親と、専業主婦の母親と、健康そのものの女子二人の家族という構成だったから、それを可能にしていました。

イクメンなどという言葉も現象もなく、女の子ということで、同性の母親にまかせっきり、心身に問題がなく育ってくれたおかげで、父親の出番もないままできました。
その女の子が育って、大人となり、親となった今では、それで十分だったと思えます。


さて、パートの仕事に行ったとき、仕事の範囲が決められて、自分の持ち分をこなすことに徹することで日々が過ぎて行ったのです。
線引きがはっきりしていることで、境界は守られ、平和に事が進んでいました。


そして、今、私の思う守備範囲と、他が求める守備範囲とは、一致しているのだろうか。ふと疑問に思えてきました。

そんなことを思いはじめたのは、昨日のちょっとした会話からと今日の須藤先生のお話がきっかけです。

韓非子の故事名言は、今の世にもたくさんの親しまれている言葉として残っています。
例えば、矛盾・逆鱗・蛇足・株を守りて兎を待つ(北原白秋作 『待ちぼうけ』の歌になった)・賞誉 など。
 
他にも、今の言葉としてはなじんでいないものでも、その現象を良くとらえて、人の有りようを、治世に生かして、国家統一をしていったのがわかります。

その中で、「二柄(にへい)・形名参同」のお話を聞いたときに、自分の守備範囲について思いを巡らせ始めました。


自分の気持ちに正直にあろうとして行動する時、守備範囲を逸脱して、余計なことをしているのではないか、それによって、気分を害したり、疎まれたりする方向に行っているのではないかと。
さらに、果たして、本当には、そのつもりでいたけれど、守るべき守備範囲を守り切れていないのではないかと。


辛辣に考えを言い合う人は居ないものか。お叱りをくださる方はいないものか。
自分で考えなさいと言われるだけなのか。
深くため息をつく   はぁ~~






コメント