熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

文化三昧ミラノ・ロンドン旅・・・11 ロンドン多発テロ

2005年07月27日 | 欧州紀行(文化三昧ミラノ・ロンドン旅)
   テロの翌日、街に出てみた。
   RACはポール・モルにあるので、首相官邸や官庁街、バッキンガムパレスが近く、ロンドンでは極めて重要な地域だが、ポリスが少し多いかなあ、と言う程度で何の変化も無かった。
   隣組のチャールズ皇太子の館も、2人の赤い服を着た近衛兵が直立不動で立っているだけ、紳士もの専門のジャーミン街もピカデリー通りも、そして、高級展の並ぶボンド街も、相変わらずだし、ピカデリーサーカスも観光客が群れている。
   地下鉄のピカデリー線は、閉鎖されていたが、テロと関係のない線は、そのまま多少不都合ながら動いている。

   ジャパンセンターの書店で、日経と読売を買って読んでみたら、まるでロンドンで革命が起きたような騒ぎようだが、ロンドンの新聞もテロ記事で埋まっているので仕方がないとしても、極めて大きな温度差を感じた。
   昔、湾岸戦争の時、日本のサテライトTV(NHKが主体)で、評論家や識者たちが攻撃はあり得ないと語っている最中に、米軍がクエートに侵攻していて、唖然としたことがあるが、あの時の日本と世界とのズレである。

   こんなことを言うと不謹慎だが、イギリス政府がいくら必死でも、イギリス人は、これまでに何度も試練を受けているIRAのテロで慣れており、テロがビルトインされている社会だと言うと言いすぎになるが、テロに対する社会の対応が出来ているのではないかと思っている。
   丁度、トカゲの尻尾きりの様に、事故の起きた所だけ切り離して、それ以外は早急に健康体に戻すと言う生活の知恵と危機管理である。

   今回は、イスラム社会との問題がクローズアップされているが、イギリスは複合国家で、国内に、沢山の異民族国家を抱えている様な物で、街全体が、例えば、インド人やパキスタン人ばかりで形成されているところがあり、他の国に来たのかと思うような所が幾らでもある。
   良くも悪くも大英帝国、その付けを今払っているのであろうか。

   私にとっては、10年以上前になるが、IRAによって、シティの金融街が数度に亘って爆破された事件の方が衝撃的であった。
   街路に駐車されていた貨物車が爆発し、高層ビルが吹き飛んで長い間シティのビジネスを麻痺させた事件である。
   翌日、シティの高層ビルから、爆破現場を見て、破壊されたビルの合間に、戦争で爆破されたようにペロペロになったビルから多くのモノが窓から飛び出し、風に靡いている光景にショックを受けた。

   その夜、爆破されたS銀行の支店長に呼び出されて、代わりの事務所を探してくれと言われた。
   ディーリング・ルームを備えた大銀行の事務所が、シティでおいそれと見つかるわけがない。幸いなことに、丁度、新事務所の開発を終えて移転してもらって解体していたNK銀行の旧事務所を手当てして入ってもらうことが出来た。
   週末の爆破なので、応急手当てをして、奇跡的にも月曜日に開店出来たのである。

   余談ながら、午後からトラファルガー広場からコベントガーデンに向かった。ロイヤルオペラのチケットを手当てする為である。
   日本からのインターネットでは売切れていた「オテロ」と「リゴレット」のチケットが手に入った。

   テロ当日は、劇場街も遠慮したようだが、翌日は平常に戻り、その日の午後、サウスバンクのグローブ座でシェイクスピアの「ペリクリーズ」、そして、その夜、ロンドン塔でドニゼッティのオペラ「アンナ・ボレーナ」を楽しむことが出来た。
   ロンドンは、生きているのである。
コメント
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