夕刻7時前に、アリタリア機はヒースロー第2ターミナルに着いた。
入管に急いだが、予想に反して、中国人の集団が、入管カウンターの前に列を成していた。
本来なら、このターミナルはヨーロッパ便主体なので、大半がEU客で外国人カウンターは空いているのであるが、今回は、大陸経由の中国人客であろう。
しかし、大半は中高校生で、持っているパスポートを見ると中華人民共和国、修学旅行風の団体で、中国もここまで経済力が付いたのかと思うと感に堪えなかった。
入管係員が、これ等の中国人団体を纏めて別のカウンターに移したので、急に前が空いて、入管手続きがスムーズになった。
私の今回の英国入国の目的の一つは、永住権の更新で、簡単に言えば、入国の日付の付いた入管印を押してもらうことである。
私は、90年代初めに永住権を取得していてこれを継続しているが、英国居住が原則だが、最低要件は、2年以上英国を離れないことである。
外国人の雇用を制限する為に、英国政府は、永住権の付与は極力制限していて、与えた人間に対しても外国に住むと取り上げようとする。
日本の有名な音楽家やバレリーナが、労働許可を取れなくて出国したのを思い出す。
入管のハンコには、普通「6ヶ月以上の滞在、雇用・被雇用、パブリック・ファンド禁止」と言う条件が付いているが、私の場合にはこれがない。
私の入管カウンターは、新米の係員で先生が後ろについて指導しており、両方ともインド系であった。
何時も、在住していない理由説明を詰問されて困っているので、ひと悶着あるかも知れないと思ったが、正攻法で当たることにした。
パスポートを見れば分かるので、私には、入国の目的は、何日滞在ですか、等とは聞かないが、在り来たりの質問から始めたのでまともに答えた。
後ろの先生が、前回の入国がこれこれだから条件を満たしている、ハンを押して良い、と言ったので、若い入管員は大きな音を立ててハンコを叩いた。
私は、何時もこの瞬間、ホッとして幸せを感じる。
イギリスは一番好きな国であり、一時住み着いても良いと思った時期もあり、何時でも移り住める権利を確保しておきたいのである。
私は、ヒースロー・エクスプレスに乗るために、地下のターミナルに急いで、パディントン駅に向かった。懐かしいイギリスの風景が車窓を走る。
このノンストップの快速鉄道が通じてからは、空港からタクシーに乗ったことはなく、パディントン駅を下りてタクシーを拾うと、ロンドンの都心何処にでも簡単に行ける。
タクシーは並んでいてすぐに飛び乗り、RAC(ロイヤル・オートモビル・クラブ)に向かった。
途中、カラフルな色のパトカーが停まって一箇所車道をを閉鎖していたが、9時前には無事RACにチェックインした。
今回は、6日の滞在なのである為か、少し広いダブル・ルームを用意してくれていた。
私は、テレビのスイッチを入れるとBBCの画面が表われ、包帯を巻いた事故客が車から運び出される光景が写っており、イギリスには良くある事なので気にせず、そのままスイッチを切って風呂に入って、少しシェイクスピアを読んでから寝てしまった。
翌朝、時差ぼけで早く起きたので、家内に電話したら、激しい口調で電話口でテロの話をしている。
JALから、アリタリアのストの連絡があり、その日にテロが起こり、不安になって、私が残した電話番号に電話したが間違いその他で繫がらず心配した、何故電話しなかったのかと言うことである。
知っておれば当然連絡するが、空港も鉄道駅もロンドンの表情は全く変わっておらず、誰も、言ってくれないし、TVは切ってしまったので、迂闊にも、7日のロンドンテロは、家内から聞くまで全く知らなかったのである。
電話中、ドアー口にスリップが入ったので、家内を待たせて読んでみると、「お嬢さんから、母上に電話するよう伝言あり」と書いてある。
ここは、名だたるプライベートなジェントルマンズ・クラブで、英国紳士は、何が起こっても、慌てず騒がず、夜中に、電話を繋ぐなどもってのほかと言うことであろうか。電話を取り次いでくれなかったのである。
TVのスイッチをひねり、階下に下りてフロントで、新聞を買い集めて部屋で開いてみて、サミットを目指して仕組まれたイスラム過激派のテロを知った。
入管に急いだが、予想に反して、中国人の集団が、入管カウンターの前に列を成していた。
本来なら、このターミナルはヨーロッパ便主体なので、大半がEU客で外国人カウンターは空いているのであるが、今回は、大陸経由の中国人客であろう。
しかし、大半は中高校生で、持っているパスポートを見ると中華人民共和国、修学旅行風の団体で、中国もここまで経済力が付いたのかと思うと感に堪えなかった。
入管係員が、これ等の中国人団体を纏めて別のカウンターに移したので、急に前が空いて、入管手続きがスムーズになった。
私の今回の英国入国の目的の一つは、永住権の更新で、簡単に言えば、入国の日付の付いた入管印を押してもらうことである。
私は、90年代初めに永住権を取得していてこれを継続しているが、英国居住が原則だが、最低要件は、2年以上英国を離れないことである。
外国人の雇用を制限する為に、英国政府は、永住権の付与は極力制限していて、与えた人間に対しても外国に住むと取り上げようとする。
日本の有名な音楽家やバレリーナが、労働許可を取れなくて出国したのを思い出す。
入管のハンコには、普通「6ヶ月以上の滞在、雇用・被雇用、パブリック・ファンド禁止」と言う条件が付いているが、私の場合にはこれがない。
私の入管カウンターは、新米の係員で先生が後ろについて指導しており、両方ともインド系であった。
何時も、在住していない理由説明を詰問されて困っているので、ひと悶着あるかも知れないと思ったが、正攻法で当たることにした。
パスポートを見れば分かるので、私には、入国の目的は、何日滞在ですか、等とは聞かないが、在り来たりの質問から始めたのでまともに答えた。
後ろの先生が、前回の入国がこれこれだから条件を満たしている、ハンを押して良い、と言ったので、若い入管員は大きな音を立ててハンコを叩いた。
私は、何時もこの瞬間、ホッとして幸せを感じる。
イギリスは一番好きな国であり、一時住み着いても良いと思った時期もあり、何時でも移り住める権利を確保しておきたいのである。
私は、ヒースロー・エクスプレスに乗るために、地下のターミナルに急いで、パディントン駅に向かった。懐かしいイギリスの風景が車窓を走る。
このノンストップの快速鉄道が通じてからは、空港からタクシーに乗ったことはなく、パディントン駅を下りてタクシーを拾うと、ロンドンの都心何処にでも簡単に行ける。
タクシーは並んでいてすぐに飛び乗り、RAC(ロイヤル・オートモビル・クラブ)に向かった。
途中、カラフルな色のパトカーが停まって一箇所車道をを閉鎖していたが、9時前には無事RACにチェックインした。
今回は、6日の滞在なのである為か、少し広いダブル・ルームを用意してくれていた。
私は、テレビのスイッチを入れるとBBCの画面が表われ、包帯を巻いた事故客が車から運び出される光景が写っており、イギリスには良くある事なので気にせず、そのままスイッチを切って風呂に入って、少しシェイクスピアを読んでから寝てしまった。
翌朝、時差ぼけで早く起きたので、家内に電話したら、激しい口調で電話口でテロの話をしている。
JALから、アリタリアのストの連絡があり、その日にテロが起こり、不安になって、私が残した電話番号に電話したが間違いその他で繫がらず心配した、何故電話しなかったのかと言うことである。
知っておれば当然連絡するが、空港も鉄道駅もロンドンの表情は全く変わっておらず、誰も、言ってくれないし、TVは切ってしまったので、迂闊にも、7日のロンドンテロは、家内から聞くまで全く知らなかったのである。
電話中、ドアー口にスリップが入ったので、家内を待たせて読んでみると、「お嬢さんから、母上に電話するよう伝言あり」と書いてある。
ここは、名だたるプライベートなジェントルマンズ・クラブで、英国紳士は、何が起こっても、慌てず騒がず、夜中に、電話を繋ぐなどもってのほかと言うことであろうか。電話を取り次いでくれなかったのである。
TVのスイッチをひねり、階下に下りてフロントで、新聞を買い集めて部屋で開いてみて、サミットを目指して仕組まれたイスラム過激派のテロを知った。