勢い良く庭木の茂みから飛び上がったアブラゼミが、蜘蛛の巣に掛かった。
この蜘蛛の巣は、数日前から掛かっていて、同じようにアブラゼミが掛かっていたのだが、蜘蛛が食べたのか、いつの間にかなくなっている。
見ていると、また、飛び出した二匹目のアブラゼミも網に掛かって、激しく翅をばたつかせてもがき始めた。
簡単な網だと思っていたのだが、もがけばもがくほど、網に体を取られて身動きが取れなくなり、とうとう、二匹とも動きを止めてしまった。
私が不思議に思ったのが、地上4メートル以上の高みに、どうして蜘蛛が巣を張ったのかと言うことである。
蜘蛛の巣の枠糸の端は、5メートルをゆうに超える2階の庇から伸びていて、もう、一方は、1.5メートルほど落差はあるにしても、10メートル近くも離れた高さ5メートルを超えるアメリカン・ハナミズキに伸びている。
庇は、どんなに高くても這い登れば良いのだが、どうして、10メートルも離れた高さ5メートルの木の天辺に糸を掛けることが出来たのか、それが疑問であった。
何度か、蜘蛛が網を掛けているところを見たことがあるのだが、それは、螺旋を描きながら仕上げにかかっている姿ばかりなので、どう考えても、翅のない蜘蛛が糸を引いて空中を飛んだとは思えない。
一度、木にぶら下がった蜘蛛が、体を振り子のように動かしながら揺すって、隣の木に移ったのを目撃しているが、そんな生易しい距離ではない。
ところがである。
ウイキペディアを見ると、蜘蛛は、出糸突起から糸を出して、それを風に乗せて飛ばして、向こう側に引っかかると、その糸を往復して糸を強化して枠を張るのだと書いてある。
そう言えば、最近、強風が吹き荒れて、トマトの木が倒れて困ったことがあった。
涼しい北風だったので、これに乗って糸が飛んだのであろう。
しかし、正確に方角を狙わないと、そう簡単にハナミズキの木に到達しない筈で、下手な鉄砲数打ちゃ当たるなら別だが、余程、蜘蛛に知恵があったとしか思えないが、何故か、この時、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出していた。
一度、ハナミズキに糸が引っ掛かれば、木を這い上がれば良いのであるから、天辺まで枠糸を引き上げることは簡単なのであろうし、他の枠糸や多くの縦糸は、この大梁となる枠糸からぶら下がって、下の木に固定すれば良い。
庭の中空に蜘蛛の巣が掛かっていて、アブラゼミの死骸がぶら下がっているのも、あまりにも無粋なので、竹箒で蜘蛛の巣を掃って落とそうとしたが、天辺の枠糸が中々切れなくて苦労した。
アブラゼミが、バタつき始めたので、蜘蛛の巣から開放して飛ばしてやろうとしたが、全く、とりもちと同じで、びっしりべったりと絡み付いて離れない。
よく見ると、既に、硬いはずのアブラゼミの翅が柔らかくなって融け始めている。
出来るだけ綺麗に網を外したつもりだが、アブラゼミは、飛び上がることが出来なかった。
セメダインの粘膜のように手にこびりついた糸の塊を取ろうと、指で丸めようとしたら、急に、毛虫に指されたような痛みが走った。
小さな棘が刺さったような強い痛みなので、急いで水で洗浄してムヒエスを擦り付けたのだが、このような蜘蛛の巣に、一度、引っ掛かれば、どんな昆虫もお陀仏間違いないと思った。
ところで、このアブラゼミだが、地中に何年間も長い間幼虫で生活し続けて、やっと、地上に出ても僅かな儚い命で、ランデブーに成功して子孫を残せるのは、そのうちどのくらいであろうか。
激しく鳴いてメスに近づいても逃げられるオスも多いのである。
尤も、生きるために苦心惨憺(?)して張った巣を壊してしまったので、まだ正体を見たことのない蜘蛛だが、悪いことをしたと思っている。
どこまで、エコシステムを大切にすれば良いのか、悩むところでもある。
先日、庭仕事をしていて、毛虫に刺されて困った。
牡丹の葉にしがみ付いていた毛虫に触れて、毛の先に刺されたのだが、この毛虫は、素晴らしく優雅な蝶の幼虫であることは分かっているのだが、育てる訳にも行かないので、駆除した。
自然のままに、できれば、私の庭も、そう保ちたいのだが、ままならないのが現実である。
この蜘蛛の巣は、数日前から掛かっていて、同じようにアブラゼミが掛かっていたのだが、蜘蛛が食べたのか、いつの間にかなくなっている。
見ていると、また、飛び出した二匹目のアブラゼミも網に掛かって、激しく翅をばたつかせてもがき始めた。
簡単な網だと思っていたのだが、もがけばもがくほど、網に体を取られて身動きが取れなくなり、とうとう、二匹とも動きを止めてしまった。
私が不思議に思ったのが、地上4メートル以上の高みに、どうして蜘蛛が巣を張ったのかと言うことである。
蜘蛛の巣の枠糸の端は、5メートルをゆうに超える2階の庇から伸びていて、もう、一方は、1.5メートルほど落差はあるにしても、10メートル近くも離れた高さ5メートルを超えるアメリカン・ハナミズキに伸びている。
庇は、どんなに高くても這い登れば良いのだが、どうして、10メートルも離れた高さ5メートルの木の天辺に糸を掛けることが出来たのか、それが疑問であった。
何度か、蜘蛛が網を掛けているところを見たことがあるのだが、それは、螺旋を描きながら仕上げにかかっている姿ばかりなので、どう考えても、翅のない蜘蛛が糸を引いて空中を飛んだとは思えない。
一度、木にぶら下がった蜘蛛が、体を振り子のように動かしながら揺すって、隣の木に移ったのを目撃しているが、そんな生易しい距離ではない。
ところがである。
ウイキペディアを見ると、蜘蛛は、出糸突起から糸を出して、それを風に乗せて飛ばして、向こう側に引っかかると、その糸を往復して糸を強化して枠を張るのだと書いてある。
そう言えば、最近、強風が吹き荒れて、トマトの木が倒れて困ったことがあった。
涼しい北風だったので、これに乗って糸が飛んだのであろう。
しかし、正確に方角を狙わないと、そう簡単にハナミズキの木に到達しない筈で、下手な鉄砲数打ちゃ当たるなら別だが、余程、蜘蛛に知恵があったとしか思えないが、何故か、この時、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出していた。
一度、ハナミズキに糸が引っ掛かれば、木を這い上がれば良いのであるから、天辺まで枠糸を引き上げることは簡単なのであろうし、他の枠糸や多くの縦糸は、この大梁となる枠糸からぶら下がって、下の木に固定すれば良い。
庭の中空に蜘蛛の巣が掛かっていて、アブラゼミの死骸がぶら下がっているのも、あまりにも無粋なので、竹箒で蜘蛛の巣を掃って落とそうとしたが、天辺の枠糸が中々切れなくて苦労した。
アブラゼミが、バタつき始めたので、蜘蛛の巣から開放して飛ばしてやろうとしたが、全く、とりもちと同じで、びっしりべったりと絡み付いて離れない。
よく見ると、既に、硬いはずのアブラゼミの翅が柔らかくなって融け始めている。
出来るだけ綺麗に網を外したつもりだが、アブラゼミは、飛び上がることが出来なかった。
セメダインの粘膜のように手にこびりついた糸の塊を取ろうと、指で丸めようとしたら、急に、毛虫に指されたような痛みが走った。
小さな棘が刺さったような強い痛みなので、急いで水で洗浄してムヒエスを擦り付けたのだが、このような蜘蛛の巣に、一度、引っ掛かれば、どんな昆虫もお陀仏間違いないと思った。
ところで、このアブラゼミだが、地中に何年間も長い間幼虫で生活し続けて、やっと、地上に出ても僅かな儚い命で、ランデブーに成功して子孫を残せるのは、そのうちどのくらいであろうか。
激しく鳴いてメスに近づいても逃げられるオスも多いのである。
尤も、生きるために苦心惨憺(?)して張った巣を壊してしまったので、まだ正体を見たことのない蜘蛛だが、悪いことをしたと思っている。
どこまで、エコシステムを大切にすれば良いのか、悩むところでもある。
先日、庭仕事をしていて、毛虫に刺されて困った。
牡丹の葉にしがみ付いていた毛虫に触れて、毛の先に刺されたのだが、この毛虫は、素晴らしく優雅な蝶の幼虫であることは分かっているのだが、育てる訳にも行かないので、駆除した。
自然のままに、できれば、私の庭も、そう保ちたいのだが、ままならないのが現実である。