今日、日経のセミナーで、法政大諏訪康雄教授が、学力低下は子供だけではない・・・として、文化庁の国語に関する世論調査「読書量の地域格差」を示して、日本の大人が、如何に本を読まないかを示した。
月に一冊も本を読まない大人が、全国平均38%もいて、四国は最悪でダントツに悪く、60%もの人が本とは全く縁がないと言うのである。
仕事や生活によって本と関わりのある人がかなりいるであろうから、極論すれば、四国の普通の人は、平生は本など全く読まないと言うことであろう。
ところで、読んでも、どんな種類や類の本かは聞いていないので、まともな(?)本に対峙して、知性教養を高めるなどと言った人は、どのくらいいるのか、お寒い限りだとしか言いようがない。
ブックオフが、20円で古書を買い取って、50倍の値を付けて1000円で売っているのに、それほど儲かっていないのも、故なしとしない。
東京の地下鉄では、携帯や漫画の客が多いが、本を読んでいる人も結構いるので、流石に関東圏は、読まない人の比率は29%と健闘しており、40%を切るのは、近畿、中国、中部で、地方に行くほど格差が広がる。
経済的な地域格差の問題が喧しいが、読書が文化の水準なり民度を示しているとするなら、至極当然だと極論する政治家もいるかも知れない。
大人が、このような体たらくで、子供の学力が落ちるなどと言えた義理ではなかろうと先生はコメントしていたが、
日本人の本離れは、かなり深刻で、インターネットの普及によるeブックや携帯小説などの普及による紙媒体離れだけではなく、本そのものが、本質的に、人々の日常生活から遠ざかりつつあるのであろう。
ところで、私の学生時代には、まだ、蔵書何千冊と言ったように、蔵書することに、ある種の憧れを持っていた。
古書なども結構高くて、京大でも、テキストが買えなかった同級生がいたし、専門書などは非常に貴重であった。(尤も、授業など出なくても単位が取れていたので、これは、勉強したかった同級生の話)
しかし、その私自身も、親元を離れた時に、それ以前の本は殆ど処分してしまったし、さらに、国内はもとより、海外でも10回以上も宿替えしたのだから、その都度、膨大な本を捨てて来てしまっている。
それに、専攻が、経済と経営なので、どうしても賞味期限の短い本が多い所為か、保存に耐えないのである。
MBAを取ってフィラデルフィアから帰る時、将来のためにと思って、経済、経営、法律と言った専門書籍を随分買って帰ったが、その後の時代の潮流と経済社会の激変によって役に立たなくなって、殆ど処分してしまっている。
英書なので、古書回収に回しちり紙になった筈である。
蔵書には拘らなくなったが、読書の方は、毎日、相変わらず馬車馬のように本と格闘し続けているので、本はどんどん増えて行く。
私の場合は、読書が止まる時は、あの世行きだと思っている。
そんな私を見ている所為か、9歳の孫が本が好きで、本屋に連れて行くと本屋から中々離れない。
嬉しいことに、自分で本を選んできて買ってくれと言うのだが、その選択に殆ど間違いがない。
自分で読みたい本を自分で選ぶようになれれば、もう一人前だと思っている。
今や、本でなくてもいくらでも勉強する方法なり手段があると言う人がいるが、本ほど知的喜びを刺激し啓発してくれるものはないと、私は思っている。
ところで、本題に戻るが、父親の背中を見て子供は育つと言われているが、親が本を読まなくなり家庭での知的環境が消えて行くと、子供の教育にも影響してくる筈である。
このブログで、随分、教育のことについて書いて来たが、日本人の殆どは、世界的にも日本人の教育水準が高いと思っているが、実際に欧米で生活していて、教育システムの欠陥もあるが、国際ビジネスマン平均で考えても、特に、トップ・エリート(?)など互角になど戦えないと思えるほど低いのである。
この点は、小林陽太郎氏の「リベラル・アーツ教育」必須論に通じるのだが、一事が万事で、その日本人の海外留学がどんどん先細っていて、世界最高水準の知との遭遇や切磋琢磨のチャンスから阻害されつつあると言う。
時代を背負う世界のトップ・エリートや指導者たちと互角に渡り合えるような若者を育てて行かなければ、明日の日本はあまりも暗い。
日本の経済的な凋落は、目に見えてドラスティックに進行しているが、日本の子供たちの学力水準が落ちているように、日本の文化度なり民度も、下方傾向にあることを、もう少し、日本人も危機として知るべきであると思う。
本さえ読まなくなってしまった日本人には、分からないのかも知れないと思うと、一寸寂しくなる。
総選挙で、日本人は右往左往しているが、今日本が抱えているこの深刻な問題も、謂わば、本を読まなくなった日本人の民度の低下に関わりがあると言うことなのである。
月に一冊も本を読まない大人が、全国平均38%もいて、四国は最悪でダントツに悪く、60%もの人が本とは全く縁がないと言うのである。
仕事や生活によって本と関わりのある人がかなりいるであろうから、極論すれば、四国の普通の人は、平生は本など全く読まないと言うことであろう。
ところで、読んでも、どんな種類や類の本かは聞いていないので、まともな(?)本に対峙して、知性教養を高めるなどと言った人は、どのくらいいるのか、お寒い限りだとしか言いようがない。
ブックオフが、20円で古書を買い取って、50倍の値を付けて1000円で売っているのに、それほど儲かっていないのも、故なしとしない。
東京の地下鉄では、携帯や漫画の客が多いが、本を読んでいる人も結構いるので、流石に関東圏は、読まない人の比率は29%と健闘しており、40%を切るのは、近畿、中国、中部で、地方に行くほど格差が広がる。
経済的な地域格差の問題が喧しいが、読書が文化の水準なり民度を示しているとするなら、至極当然だと極論する政治家もいるかも知れない。
大人が、このような体たらくで、子供の学力が落ちるなどと言えた義理ではなかろうと先生はコメントしていたが、
日本人の本離れは、かなり深刻で、インターネットの普及によるeブックや携帯小説などの普及による紙媒体離れだけではなく、本そのものが、本質的に、人々の日常生活から遠ざかりつつあるのであろう。
ところで、私の学生時代には、まだ、蔵書何千冊と言ったように、蔵書することに、ある種の憧れを持っていた。
古書なども結構高くて、京大でも、テキストが買えなかった同級生がいたし、専門書などは非常に貴重であった。(尤も、授業など出なくても単位が取れていたので、これは、勉強したかった同級生の話)
しかし、その私自身も、親元を離れた時に、それ以前の本は殆ど処分してしまったし、さらに、国内はもとより、海外でも10回以上も宿替えしたのだから、その都度、膨大な本を捨てて来てしまっている。
それに、専攻が、経済と経営なので、どうしても賞味期限の短い本が多い所為か、保存に耐えないのである。
MBAを取ってフィラデルフィアから帰る時、将来のためにと思って、経済、経営、法律と言った専門書籍を随分買って帰ったが、その後の時代の潮流と経済社会の激変によって役に立たなくなって、殆ど処分してしまっている。
英書なので、古書回収に回しちり紙になった筈である。
蔵書には拘らなくなったが、読書の方は、毎日、相変わらず馬車馬のように本と格闘し続けているので、本はどんどん増えて行く。
私の場合は、読書が止まる時は、あの世行きだと思っている。
そんな私を見ている所為か、9歳の孫が本が好きで、本屋に連れて行くと本屋から中々離れない。
嬉しいことに、自分で本を選んできて買ってくれと言うのだが、その選択に殆ど間違いがない。
自分で読みたい本を自分で選ぶようになれれば、もう一人前だと思っている。
今や、本でなくてもいくらでも勉強する方法なり手段があると言う人がいるが、本ほど知的喜びを刺激し啓発してくれるものはないと、私は思っている。
ところで、本題に戻るが、父親の背中を見て子供は育つと言われているが、親が本を読まなくなり家庭での知的環境が消えて行くと、子供の教育にも影響してくる筈である。
このブログで、随分、教育のことについて書いて来たが、日本人の殆どは、世界的にも日本人の教育水準が高いと思っているが、実際に欧米で生活していて、教育システムの欠陥もあるが、国際ビジネスマン平均で考えても、特に、トップ・エリート(?)など互角になど戦えないと思えるほど低いのである。
この点は、小林陽太郎氏の「リベラル・アーツ教育」必須論に通じるのだが、一事が万事で、その日本人の海外留学がどんどん先細っていて、世界最高水準の知との遭遇や切磋琢磨のチャンスから阻害されつつあると言う。
時代を背負う世界のトップ・エリートや指導者たちと互角に渡り合えるような若者を育てて行かなければ、明日の日本はあまりも暗い。
日本の経済的な凋落は、目に見えてドラスティックに進行しているが、日本の子供たちの学力水準が落ちているように、日本の文化度なり民度も、下方傾向にあることを、もう少し、日本人も危機として知るべきであると思う。
本さえ読まなくなってしまった日本人には、分からないのかも知れないと思うと、一寸寂しくなる。
総選挙で、日本人は右往左往しているが、今日本が抱えているこの深刻な問題も、謂わば、本を読まなくなった日本人の民度の低下に関わりがあると言うことなのである。