熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

リチャード・ヴィートー&仲條亮子著「ハーバードの「世界を動かす授業」」

2010年10月02日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ハーバード人気No.1教授の授業を初公開!と言う帯のふれ込みなので、そのつもりで読み始めたのだが、日本から始まる世界各国の記述などは、非常に博学多識でフエアだが至って常識的で何の変哲もない授業風景で、特に、感銘を受けなかったのだが、読み進めて行く内に、ヴィートー教授の意図のユニークさに気付き始めた。
   冒頭にも書かれていたが、この授業は、マクロ経済学の講義だが、経営者がビジネスをする上で、経済の大枠を理解するだけではなくて、政府や国際経済とは切り離すことは出来ず、世界の次代を担うトップリーダーにとって、今、世界で何が起きているか、社会政策や経済はどうなっているのか、あるいは、政治、法律、グローバリゼーションの影響などはどうなのかと言ったことを公正かつ的確に理解することが必須だとの認識に基づいて立ち上げられたBGIE(Business, Goverment and International Economy)であり、
   そのために、世界全体を漏れなく展望するために、世界を8つの経済圏に分類して、その代表的な国の歴史や地政学から説き起こして詳細に現状を分析し、ケーススタディを交えながら、問題点などを浮き彫りにして、生徒たちに戦略を考えさせ、啓蒙して行くと言う趣旨なのである。
   尤も、この本では、ある一時期を切り取っただけなので、静止していて迫力に欠けるのだが、実際の授業では、豊かなケーススタディや討論でのヴィートー教授の博識と知恵に裏付けられたコメントや指摘などによって増幅されたアウトプットが生まれて、大変啓蒙的で意義深いのであろうと思う。

    ヴィートー教授のハーバードのホームページ(この口絵写真もここから借用)を見ると、国際政治経済学の教授なので、経済開発やグローバリゼーション、政府とビジネスの関係などに造詣が深いのは勿論だが、最近では、再生エネルギーなど地球温暖化や環境問題、教育などについても研究分野を広げていて、非常に間口が広い。
   本来、経済学は、政治経済学として生まれたので、ヴィートー教授の取組は不思議ではないのだが、今や、経済学も、もっと広域な文明論や歴史学、あるいは、哲学、道徳・倫理と言った価値観を内包した総合的なアプローチが必要になってきたと言うことであろうか。
   経済学にも、ドラッカーのような学者が必要になったのである。
   何十年も前の私の過ごしたウォートン時代のビジネス・スクールとは、様変わりである。

   ユニークなのは、企業にとって「競争力を持つための戦略」は必須なのだが、今日のようにグローバル化が進んで来れば、国家も戦略を持って競争力をつけて、国の発展、成長、そして存続を図ることが大切であると考えて、国家の戦略論を展開し、この本の後半に、「国の競争力とは」と言う章を設けて、国家の基本的な役割や資源戦争など政府の経済戦略等について論述していることである。
   ヴィートー教授のホームページで、この延長線上の本として、2007年に出版した「How Countries Compete」の世界経済に関する縮刷版として2010年に日本語で出版すると、この本について記述している。
   オリジナルの英語版の原本も翻訳版もなく、共著者の仲條さんににすべて任せると言うことで出来上がったそのまま日本語の本であり、日本の読者向けに書かれた感じになっているのだが、どこまでが、ヴィートー教授の指摘なのか、一寸、ニュアンスに微妙な揺れがある。

   ヴィートー教授の説く国家の成長戦略遂行の優等生は、1954年から1971年までのミラクルを現出した日本と、それに倣って快進撃を続ける最近のシンガポールであることは明確であるが、その日本ミラクル、すなわち、歌を忘れてしまった現在の日本について、同じような病苦に苦しむアメリカとともに、「巨大債務に悩む富裕国」と言う章で、問題点などを指摘しながら論じている
   しかし、日本を3回訪れ3回日本に関する論文を書いたが、1950年代、60年代から続く世界の流れの中で、なにもせずに15年間を過ごすことがなぜ可能なのかを理解しようとしたが、正直に言うと結局日本がどうしたいのかを理解できなかった、本書の中で日本が今後どういう戦略をだしてくるのかについて述べることは難しい、と言っており、
   個々の問題については、それなりにコメントできるが、日本が、何を考えてバブル崩壊後20年以上も無為無策を続けて眠り続けているのか理解に苦しむと言うわけで、殆ど、日本の国家戦略については、提言らしきものは示していない。
   しかし、日本の課題は明白だとして、
   世界がグローバル化の趨勢にあるにも拘わらず内向き志向に傾斜し、政治面ではポピュリズムに終始して、財政構造の硬直化、赤字幅の拡大、巨額な財政債務に苦しむ国になってしまったにも拘わらず、財政再建の筋道さえ示されていない。安全保障、優位な外交展開、資源・エネルギー開発、科学技術、教育、ベンチャービジネスなど、官民挙げて世界に立ち向かう成長戦略の策定と実行が課題であろう。と言う。
   
   仰ることは総てご尤もで、日本人自身、先刻十二分に承知しており肝に銘じてはいるのだが、高邁な叡智と理想とビジョンを持った強力なリーダーシップ欠如の悲しさで、企業も地方も官庁もセクショナリズムに明け暮れて、ポピュリズム一辺倒の政治の目も当てられないような迷走ぶりが災いして、ヒドラのように右往左往するだけで、何一つとして前へ進めないのが日本の現実なのである。
   名目GDPが、20年以上も同じ500兆円と言う数字のままと言うギネス級の律儀さで、仰るように「なにもせずに15年間をすごすことがなぜ可能なのか」、天然記念物のような悲しい生活を続けながら、いまだに、TVでの与野党議員たちの無能で不毛な議論を聞き続けなければならない、益々格差が拡大して貧しくなって行く国民の悲しさを分って頂けるであろうか。

   ヴィートー先生!
   お手元の小泉・竹中改革のケースに、歌を忘れた日本の没落の悲劇を、ギボンのローマ帝国衰亡史ばりのケースに仕立てて教材に加えて頂けませんでしょうか。
コメント (1)
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