名優梅蘭芳の再来とまで中国で話題になった玉三郎の「牡丹亭」が、赤坂で上演されたので出かけて行った。
幕が上がると、牡丹を描いた背景に中国の連子ですかせた大きな丸窓をあしらったシンプルな舞台に、深窓の令嬢スタイルの美しい姿の玉三郎が、愁いを帯びて下手からゆっくりと登場し、静かに「夢うつろいて 鶯の声 春めぐり来て やるせなく 」と綺麗な蘇州語で歌いだす。
私など、ドラの音に合わせて、派手な立ち回りや、アクロバティックな演技の印象が強くて、今まで、京劇鑑賞を避けて来たのだが、冒頭から、正に、上質なオペラを見ているような雰囲気に引き込まれて、一挙に、京劇への印象が変わってしまった。
尤も、この夏、無形文化財の世界遺産を記念して行われた奈良東大寺の野外舞台で演じられた中国の名優たちの「牡丹亭」のさわりの素晴らしい舞台を見ているので、大いに期待して行ったのだが、舞台全体が、殆ど歌と踊りで構成されていて、劇と言うよりはオペラそのものであり、とにかく、玉三郎の歌声が素晴らしく魅力的で、それも、非常に難しいと言う蘇州語を、中国人も舌を巻くほど完璧に駆使して語って歌うのであるから、驚異と言うより他にない。
これまで、玉三郎は、ヨーヨーマやモーリス・ベジャールなどのEAST MEET WEST的な芸術活動や、鼓童 meets 玉三郎などと言った異分野芸術とのコラボレーションを行っており、また、歌舞伎のみならず西洋劇など多方面の舞台芸術にも活動の場を広げているので、祖父や父の代から京劇に関心を持ってアプローチしていたと言うのであるから、この新境地への歩みは当然のことであったのであろう。
梅蘭芳が、昆劇を学んだと知って、昆劇を勉強するつもりで蘇州に出かけた玉三郎が、牡丹亭を学ぶうちに、どんどん、その魅力に引き込まれてのめり込んで行ったのであろうか。
玉三郎は、昆劇院の名誉院長張継青さんの指導に必死にしがみ付いて頑張ったのであろう。
張先生の歌の口の開け方から学んだ。歌や台詞の日本語訳に中国語の発音を記して、それに旋律をつけた。それを見ながら録音を聴き、張先生の歌ったところや台詞の口の開け方などをビデオに撮って、1年間宿に帰って徹底的に学んだと言う。
今、マシュー・サイドの「非才」を読んでいる。モーツアルトもピカソも、「この世には才能なんてものはなく、総ては努力だ。」と言う素晴らしい結論を立証しているのだが、確かに、イチローのバットだけがいつも血に染まっていたと言うのであるから、中国の関係者たちが、玉三郎の血の滲むような努力に感激して、真の芸術家だと崇めるのも当然であろう。
昔、長編TVドラマ「大地の子」で、主演・陸一心を演じて中国語で押し通した上川隆也の役者魂に感激したことがあるのだが、玉三郎の場合には、歌って踊って演技して、2時間半を、完璧に、中国の名優たちを相手にして、希代の名優梅蘭芳級の舞台を蘇州語で演じ果せるのだから、正に、稀有な役者であり、もう、歌舞伎役者と言うよりは、世界的な舞台俳優である。
この「牡丹亭」は、1598年に湯顕祖が著した昆劇の代表作で、全55幕を上演すれば10日もかかると言うのだが、正に白髪三千丈の国で、歌舞伎の通し狂言の比ではない。
この玉三郎版「牡丹亭」は、そのうち6場面を玉三郎が、監修監督して厳選して生み出した舞台で、玉三郎が主人公「杜麗娘」を演じている。
三場構成で、冒頭は、深窓の令嬢杜麗娘が、邸宅の綺麗な庭園に出て遊ぶうちに微睡んでしまったところ、夢の神に誘われて麗しい若者・柳夢梅が表れて恋に落ち、13人の花の神に祝福されて結ばれる。
夢の恋が忘れられなくなった杜麗娘は、日増しに恋煩いが激しくなって憔悴しきり、死期を悟って自分の絵姿を描いて思いを詞に書き、中秋の名月の美しい夜に、花園の梅の木の下に埋めてくれと言い残してなくなる。
柳夢梅は、科挙試験受験のために上京途中、杜家の跡地の宿で、太湖石の下から杜麗娘の姿絵を見つけ出し、夢に見た娘が実在したことを知って、昼に夜に絵姿に向かって語りかけているうちに、花の神を感動させ、その導きで墓を掘り起こすと、杜麗娘が蘇り、二人は結ばれる。
私は、数年前に、上海を訪れた時に、蘇州まで足を延ばした。
蘇州でも一番美しいと言われる拙政園に行って数時間、中国文化の粋とも言うべき庭園の美しさを楽しむことが出来た。
今度、この牡丹亭を見ながら、このような素晴らしい庭が舞台として想定されて、杜麗娘の物語が生まれたのであろうと勝手に思いながら夢を膨らませていた。
この玉三郎の相手を演じる柳夢梅は、東大寺の舞台で見た兪玖林のようで、実にスマートで端正な役者であり、優雅で美しいムーブメントと澄んだ優しい声が印象的で、玉三郎とのデユエットと流れるような踊りが素晴らしい。
資料が手元にないので、どんな役者が、どんな役を演じたのか分からないが、侍女春香を演じた如何にも可愛い姑娘と言った女優や、母、夢の神、花の神などの役者たちの芸の細やかさや、優雅でリズムに乗った楽しい群舞など実に素晴らしかった。
一寸、京劇にも興味を持ったので、三国志あたりから、派手な活劇の舞台でも見に行こうかと思っている。
(追記)口絵写真は、CRI online より借用。
幕が上がると、牡丹を描いた背景に中国の連子ですかせた大きな丸窓をあしらったシンプルな舞台に、深窓の令嬢スタイルの美しい姿の玉三郎が、愁いを帯びて下手からゆっくりと登場し、静かに「夢うつろいて 鶯の声 春めぐり来て やるせなく 」と綺麗な蘇州語で歌いだす。
私など、ドラの音に合わせて、派手な立ち回りや、アクロバティックな演技の印象が強くて、今まで、京劇鑑賞を避けて来たのだが、冒頭から、正に、上質なオペラを見ているような雰囲気に引き込まれて、一挙に、京劇への印象が変わってしまった。
尤も、この夏、無形文化財の世界遺産を記念して行われた奈良東大寺の野外舞台で演じられた中国の名優たちの「牡丹亭」のさわりの素晴らしい舞台を見ているので、大いに期待して行ったのだが、舞台全体が、殆ど歌と踊りで構成されていて、劇と言うよりはオペラそのものであり、とにかく、玉三郎の歌声が素晴らしく魅力的で、それも、非常に難しいと言う蘇州語を、中国人も舌を巻くほど完璧に駆使して語って歌うのであるから、驚異と言うより他にない。
これまで、玉三郎は、ヨーヨーマやモーリス・ベジャールなどのEAST MEET WEST的な芸術活動や、鼓童 meets 玉三郎などと言った異分野芸術とのコラボレーションを行っており、また、歌舞伎のみならず西洋劇など多方面の舞台芸術にも活動の場を広げているので、祖父や父の代から京劇に関心を持ってアプローチしていたと言うのであるから、この新境地への歩みは当然のことであったのであろう。
梅蘭芳が、昆劇を学んだと知って、昆劇を勉強するつもりで蘇州に出かけた玉三郎が、牡丹亭を学ぶうちに、どんどん、その魅力に引き込まれてのめり込んで行ったのであろうか。
玉三郎は、昆劇院の名誉院長張継青さんの指導に必死にしがみ付いて頑張ったのであろう。
張先生の歌の口の開け方から学んだ。歌や台詞の日本語訳に中国語の発音を記して、それに旋律をつけた。それを見ながら録音を聴き、張先生の歌ったところや台詞の口の開け方などをビデオに撮って、1年間宿に帰って徹底的に学んだと言う。
今、マシュー・サイドの「非才」を読んでいる。モーツアルトもピカソも、「この世には才能なんてものはなく、総ては努力だ。」と言う素晴らしい結論を立証しているのだが、確かに、イチローのバットだけがいつも血に染まっていたと言うのであるから、中国の関係者たちが、玉三郎の血の滲むような努力に感激して、真の芸術家だと崇めるのも当然であろう。
昔、長編TVドラマ「大地の子」で、主演・陸一心を演じて中国語で押し通した上川隆也の役者魂に感激したことがあるのだが、玉三郎の場合には、歌って踊って演技して、2時間半を、完璧に、中国の名優たちを相手にして、希代の名優梅蘭芳級の舞台を蘇州語で演じ果せるのだから、正に、稀有な役者であり、もう、歌舞伎役者と言うよりは、世界的な舞台俳優である。
この「牡丹亭」は、1598年に湯顕祖が著した昆劇の代表作で、全55幕を上演すれば10日もかかると言うのだが、正に白髪三千丈の国で、歌舞伎の通し狂言の比ではない。
この玉三郎版「牡丹亭」は、そのうち6場面を玉三郎が、監修監督して厳選して生み出した舞台で、玉三郎が主人公「杜麗娘」を演じている。
三場構成で、冒頭は、深窓の令嬢杜麗娘が、邸宅の綺麗な庭園に出て遊ぶうちに微睡んでしまったところ、夢の神に誘われて麗しい若者・柳夢梅が表れて恋に落ち、13人の花の神に祝福されて結ばれる。
夢の恋が忘れられなくなった杜麗娘は、日増しに恋煩いが激しくなって憔悴しきり、死期を悟って自分の絵姿を描いて思いを詞に書き、中秋の名月の美しい夜に、花園の梅の木の下に埋めてくれと言い残してなくなる。
柳夢梅は、科挙試験受験のために上京途中、杜家の跡地の宿で、太湖石の下から杜麗娘の姿絵を見つけ出し、夢に見た娘が実在したことを知って、昼に夜に絵姿に向かって語りかけているうちに、花の神を感動させ、その導きで墓を掘り起こすと、杜麗娘が蘇り、二人は結ばれる。
私は、数年前に、上海を訪れた時に、蘇州まで足を延ばした。
蘇州でも一番美しいと言われる拙政園に行って数時間、中国文化の粋とも言うべき庭園の美しさを楽しむことが出来た。
今度、この牡丹亭を見ながら、このような素晴らしい庭が舞台として想定されて、杜麗娘の物語が生まれたのであろうと勝手に思いながら夢を膨らませていた。
この玉三郎の相手を演じる柳夢梅は、東大寺の舞台で見た兪玖林のようで、実にスマートで端正な役者であり、優雅で美しいムーブメントと澄んだ優しい声が印象的で、玉三郎とのデユエットと流れるような踊りが素晴らしい。
資料が手元にないので、どんな役者が、どんな役を演じたのか分からないが、侍女春香を演じた如何にも可愛い姑娘と言った女優や、母、夢の神、花の神などの役者たちの芸の細やかさや、優雅でリズムに乗った楽しい群舞など実に素晴らしかった。
一寸、京劇にも興味を持ったので、三国志あたりから、派手な活劇の舞台でも見に行こうかと思っている。
(追記)口絵写真は、CRI online より借用。