先日、ヤンミ・ムン教授のマーケテイングについて、顧客満足など全く無視、顧客第一主義などもう古いと言った調子のアンチ顧客志向の戦略で成功している「アイデア・ブランド」について考えてみた。
尤も、この考え方は、コトラーたちの引き起こしたモダン・マーケティング病の蔓延によって、企業が、顧客を徹底的に甘やかした顧客第一主義に基づて、新製品の開発競争に奔走し過ぎて袋小路に嵌り込んでしまったと言う批判もあり、マーケテイングが成功すればするほど、ハツカネズミのように、走り続けなければならないと言う笑えない現在資本主義の悲劇を象徴しているのかも知れない。
私は、この現象を見ていて、何故か、もう半世紀も前に、ジョン・ケネス・ガルブレイスが著した「豊かな社会 The Affluent Society」のソーシャル・バランスの欠如の理論を思い出す。
民間企業は、これでもかこれでもかと宣伝に努めて、欲しくないものまで買わせるマーケテイング競争に奔走し、豊かになって行くのだが、誰もが出来れば払いたくない税金で賄わなければならない公園や治安など公共サービスなどは、逆に、どんどん質が低下して行き、民と官とのソーシャル・バランスが欠如して行く、と資本主義の将来に警告を発していた。
たった一人の人間しか乗らない車に派手な尾びれまで付けて、鉄を2トンも使う必要があるのかと、文明の象徴であったキャデラックを糾弾していたのだが、私にとっては、この本が、ガルブレイスに、そして、経済学にのめり込ませる切っ掛けとなった。
これまで、経済学や経営学を勉強して来て、シュンペーターのイノベーション論にも傾倒して、あの発展途上にあった復興期の日本においても、あるいは、成熟化して老衰期に入って呻吟する現今の日本においても、経済成長が、問題の解決と国民の福祉のためには、最も大切だと思っているのだが、心のどこかに、その成長戦略や拡張志向が、間違った方向に突っ走っているのではないかと言う危惧の念が蠢くのは、このガルブレイスの影響かも知れないと思っている。
国家が豊かになり、企業が成長発展するためには、イノベーションを追及して新しい魅力的な商品やサービスを生み出し、マーケテイング売り込みに奔走するなど積極的な成長戦略を遂行して行くことが大切なのだが、しかし、走っても走っても前に進めないハツカネズミのように、あるいは、我々の営む経済社会をもっと悪くして行くのではないかと言う思いである。
さて、ここで問題にしたいのは、顧客満足どころか、スティーブン・ブラウンなどは、マーケティングの究極的目的は、消費者にモノを売ることであり、それ以上でもそれ以下でもないとして、顧客無視も甚だしいアンチ顧客主義を提唱していることで、
顧客を無視し拒むことがその欲望を増大させ、顧客を否定することがその決意を強固にさせ、顧客への商品・サービスを長い間待たせたり提供を停止したりして欲望の成就を引き伸ばせれば引き伸ばすほど、顧客は喜んで、その後のロイヤリティは保証されると言っている。
ほんまかいな、と言うところだが、このコンセプトは、素晴らしい才能あるタレントであふれているショービジネスの興行主が使っている手で、TEASE(Trickery, Exclusivitey, Amplification, Secrecy, Entertainment)の主要原則に基づいており、そっくりそのまま、マーケティングの極意であるとも言う。
ブラウンがその例として紹介するのは、娘が愛してやまない小さなぬいぐるみのビーニー・ベイビーで、製造販売元のタイ・インクは、電話もかからないので苦情さえ言えなければ、大型有名店を無視して小さなギフトショップや売店などで売っていて、今日はあるけれども明日はないかも知れないと言った調子で、製造量は厳しく制限されていて、新種が常に開発され、古いモデルは警告なしに容赦なく退場させられるので、あらゆる種類が特別版となり、「自分が供給したいものを供給したい先に供給する」と言った調子の傍若無人な商売であるから、品薄で手に入れるのは至難の業。
品物も魅力的であるから、手に入れるのが難しいとなれば誰もが欲しくなり、オークションでは、タカがぬいぐるみなのに、ビーニー・ベイビーは、6000ドル(50万円)に値が吊り上り、正に「お宝」と言うべきで、ダイアナ妃追悼の「プリンセス・ベア」は特に強烈なファンの争奪戦があった言う。
顧客志向どころか、天邪鬼志向、意地悪志向、不便志向のマーケティング戦略の面目躍如である。
アンチ顧客志向が実行されたもう一つの例として、エルメスのバーキンをあげている。
このバッグは、エルメスのドーマス社長が飛行機に乗り合わせていたセクシーシンガーのジェーン・バーキンからヒントを得て生まれたようで、所有者は、「仕事、美容、肉体、それらすべてに必要なもの一切合財を一つの至福のバッグに入れることができるのよ」と誇っていると言う。
「バーキンは普通の人のものではなく、ビューティフルな人のためのビューティフルなバッグで、B級より上のセレブでないとだめで、上級階級のみのための稀で特別な名門出であるから、一般大衆は申し込み出来ません。」とかで、この希少性と特別性が売り物であり、1年近くも待たされて、法外な価格を確実にし続けていると言うことである。
もっと、魅力に拍車をかけているのは、「順番待ちリスト」に入れて貰うための競争で、特別なルートがあれば先を越せるとか噂が頻々で、「セックス&シティ」でもこのトリックが登場するなど、とにかく、顧客志向、顧客第一では、商売にならないと言うか、顧客を徹底的に苛めて焦らせるマーケティング戦略の勝利と言うべき典型であろうか。
マーケティング論は、専門ではないので良く分からないが、大量生産大量消費のマス工業化産業社会が終わって、知的創造性と個性が尊重されるクリエイティブな知識情報産業化時代になったのであるから、コトラー流のマス・マーケティングからの、ある意味での脱却が必要なのかも知れないと言う感じがしている。
尤も、この考え方は、コトラーたちの引き起こしたモダン・マーケティング病の蔓延によって、企業が、顧客を徹底的に甘やかした顧客第一主義に基づて、新製品の開発競争に奔走し過ぎて袋小路に嵌り込んでしまったと言う批判もあり、マーケテイングが成功すればするほど、ハツカネズミのように、走り続けなければならないと言う笑えない現在資本主義の悲劇を象徴しているのかも知れない。
私は、この現象を見ていて、何故か、もう半世紀も前に、ジョン・ケネス・ガルブレイスが著した「豊かな社会 The Affluent Society」のソーシャル・バランスの欠如の理論を思い出す。
民間企業は、これでもかこれでもかと宣伝に努めて、欲しくないものまで買わせるマーケテイング競争に奔走し、豊かになって行くのだが、誰もが出来れば払いたくない税金で賄わなければならない公園や治安など公共サービスなどは、逆に、どんどん質が低下して行き、民と官とのソーシャル・バランスが欠如して行く、と資本主義の将来に警告を発していた。
たった一人の人間しか乗らない車に派手な尾びれまで付けて、鉄を2トンも使う必要があるのかと、文明の象徴であったキャデラックを糾弾していたのだが、私にとっては、この本が、ガルブレイスに、そして、経済学にのめり込ませる切っ掛けとなった。
これまで、経済学や経営学を勉強して来て、シュンペーターのイノベーション論にも傾倒して、あの発展途上にあった復興期の日本においても、あるいは、成熟化して老衰期に入って呻吟する現今の日本においても、経済成長が、問題の解決と国民の福祉のためには、最も大切だと思っているのだが、心のどこかに、その成長戦略や拡張志向が、間違った方向に突っ走っているのではないかと言う危惧の念が蠢くのは、このガルブレイスの影響かも知れないと思っている。
国家が豊かになり、企業が成長発展するためには、イノベーションを追及して新しい魅力的な商品やサービスを生み出し、マーケテイング売り込みに奔走するなど積極的な成長戦略を遂行して行くことが大切なのだが、しかし、走っても走っても前に進めないハツカネズミのように、あるいは、我々の営む経済社会をもっと悪くして行くのではないかと言う思いである。
さて、ここで問題にしたいのは、顧客満足どころか、スティーブン・ブラウンなどは、マーケティングの究極的目的は、消費者にモノを売ることであり、それ以上でもそれ以下でもないとして、顧客無視も甚だしいアンチ顧客主義を提唱していることで、
顧客を無視し拒むことがその欲望を増大させ、顧客を否定することがその決意を強固にさせ、顧客への商品・サービスを長い間待たせたり提供を停止したりして欲望の成就を引き伸ばせれば引き伸ばすほど、顧客は喜んで、その後のロイヤリティは保証されると言っている。
ほんまかいな、と言うところだが、このコンセプトは、素晴らしい才能あるタレントであふれているショービジネスの興行主が使っている手で、TEASE(Trickery, Exclusivitey, Amplification, Secrecy, Entertainment)の主要原則に基づいており、そっくりそのまま、マーケティングの極意であるとも言う。
ブラウンがその例として紹介するのは、娘が愛してやまない小さなぬいぐるみのビーニー・ベイビーで、製造販売元のタイ・インクは、電話もかからないので苦情さえ言えなければ、大型有名店を無視して小さなギフトショップや売店などで売っていて、今日はあるけれども明日はないかも知れないと言った調子で、製造量は厳しく制限されていて、新種が常に開発され、古いモデルは警告なしに容赦なく退場させられるので、あらゆる種類が特別版となり、「自分が供給したいものを供給したい先に供給する」と言った調子の傍若無人な商売であるから、品薄で手に入れるのは至難の業。
品物も魅力的であるから、手に入れるのが難しいとなれば誰もが欲しくなり、オークションでは、タカがぬいぐるみなのに、ビーニー・ベイビーは、6000ドル(50万円)に値が吊り上り、正に「お宝」と言うべきで、ダイアナ妃追悼の「プリンセス・ベア」は特に強烈なファンの争奪戦があった言う。
顧客志向どころか、天邪鬼志向、意地悪志向、不便志向のマーケティング戦略の面目躍如である。
アンチ顧客志向が実行されたもう一つの例として、エルメスのバーキンをあげている。
このバッグは、エルメスのドーマス社長が飛行機に乗り合わせていたセクシーシンガーのジェーン・バーキンからヒントを得て生まれたようで、所有者は、「仕事、美容、肉体、それらすべてに必要なもの一切合財を一つの至福のバッグに入れることができるのよ」と誇っていると言う。
「バーキンは普通の人のものではなく、ビューティフルな人のためのビューティフルなバッグで、B級より上のセレブでないとだめで、上級階級のみのための稀で特別な名門出であるから、一般大衆は申し込み出来ません。」とかで、この希少性と特別性が売り物であり、1年近くも待たされて、法外な価格を確実にし続けていると言うことである。
もっと、魅力に拍車をかけているのは、「順番待ちリスト」に入れて貰うための競争で、特別なルートがあれば先を越せるとか噂が頻々で、「セックス&シティ」でもこのトリックが登場するなど、とにかく、顧客志向、顧客第一では、商売にならないと言うか、顧客を徹底的に苛めて焦らせるマーケティング戦略の勝利と言うべき典型であろうか。
マーケティング論は、専門ではないので良く分からないが、大量生産大量消費のマス工業化産業社会が終わって、知的創造性と個性が尊重されるクリエイティブな知識情報産業化時代になったのであるから、コトラー流のマス・マーケティングからの、ある意味での脱却が必要なのかも知れないと言う感じがしている。