熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

千葉の片田舎の秋の気配は如何に

2010年10月11日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   素晴らしい秋晴れの清々しい午後、昔、飼っていたシーズー犬リオと一緒に歩いた土手道を散歩しながら、近くの公園に向かった。
   住宅街の一番はずれは、道を隔てて田んぼになっているのだが、稲刈りを終えた後なので、切り株が残ったままの土が露出しているだけでさびしい。
   田んぼとの境の土手の斜面には、先日まで咲いていたのであろう、花のしぼんだ曼珠沙華がずらりと並んでいる。
   民家の庭からこぼれたのであろうか、ピンクと白、黄色いコスモスが道に沿って咲き乱れており、鶏の鶏冠に似たケイトウの真っ赤な花が、その間から見え隠れしている。
   遠くの畑の中に、休閑地があって、その一角に沢山のコスモスが植えられていて、そこだけが華やいでいて明るい。

   草叢には、萎んだ朝顔の花が、草の上を這っている。
   この朝顔だが、日本朝顔は、朝早く綺麗に咲いて遅い朝には萎れてしまうが、私の庭の西洋朝顔は、時には午後遅くまで元気に咲いていて、一日中楽しめる。
   それに、花は全く日本朝顔と比べてもそん色なく、一つの茎から複数の蕾が出るので華やかでよいと思うのだが、何故か、日本では、あまり人気がない。
   普通は種を買って来て直播きするのだが、今年は、大輪種や色の鮮やかな色々な西洋朝顔が、ポット苗でたくさん出回っていたので、買って来て植えたら、涼しくなってきた先々週あたりから、一斉に庭木の上を覆い尽くしている。

   近くの草むらから、百舌鳥が勢いよく飛び立って近くの立ち木に止まった。
   ギャーと言うような激しい鳴き声を発して飛ぶ、虫や時には鼠など生き物を餌とするくちばしが鉤状になった獰猛な小鳥で、その精悍さが、私は好きである。
   冬場だけだろうと思っていたカワセミの撮影に、重い三脚に望遠レンズのついた大型カメラを持ったアマチュアカメラマンが二人、行き違った。
   夏は、草深いので小さな被写体が見難くて大変だと思うのだが、先の方で、三脚を立ててカメラを構え始めたので、カワセミは、年中被写体になるのであろう。

   印旛沼に近いこのあたりの小高い丘状の森や林は、いわば里山の雰囲気だが、キジも棲んでいるし、平地には、ポツリポツリ農家があって、野菜や花などが植えられている。
   周りには、柿の木や柚子などの柑橘類が植えられていて、実がたわわに実っている。
   柑橘類の実は、まだ、濃緑のままだが、柿の実は少し色づき始めている。
   まだ、この印旛沼に近い千葉の田舎は、紅葉には早いが、少しずつ気の遠くなるような静かな秋の深まりの気配が強くなってきている。

   私の庭を訪れているトンボは、まだ赤みが薄いのだが、何故か、今年は異常天気の所為か、不思議なことに、田んぼのあぜ道でも川の土手道でも、赤とんぼを見かけなかった。
   夕方になったら、赤とんぼが飛び交うのであろうか。
   昔、子供の頃、真っ暗になるまで野山を駆け回って遊び呆けていた宝塚の田舎で見た赤とんぼの群舞や真っ赤な夕焼け空が、無性に懐かしくなった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする