リチャード・クーが、自社のNRI未来創発フォーラム2010で、「日本経済再生への処方箋」と言うテーマで、講演を行った。
相変わらずの「バランス・シート不況説」を根幹にした理論展開だが、民間部門の資金余剰と、政府部門の財政支出のギャップを比較しながら、欧米の経済の先行きを語り、欧米とも不況の出口どころか入口の段階で、非常に厳しいと予測していた。
クーの理論は、いわゆるケインジアンであるから、経済不況で民間の支出が不足している時には、財政支出で政府が補なって、需要不足を支えない限り、益々経済が悪化すると言うことである。
日本経済が、バブル崩壊後、深刻なバランス・シート不況にも拘わらず、経済の極端な落ち込みもなくGDPの成長を続け得たのは、民間需要の落ち込みを財政支出で補ってきたからで、これが、日本の得た貴重な教訓であり、最も適切な不況脱出の処方箋だと、世界中に振れまわっているのだと自賛する。
現在、日米欧とも、住宅不動産バブルに端を発した経済不況下にあり、債務超過に陥ってバランス・シートが毀損した民間部門は、必死になって貯蓄に励んで、借金を返している段階だが、欧米の場合、その民間の蓄積した資金余剰分を、政府の財政支出でカバー出来ていない上に、国によっては、財政再建を優先して支出を切り詰めるなど、逆行しており、益々需給ギャップが拡大しており経済の先行きは暗いと言う。
民間の借金返済が終わるまで、政府は、その民間の資金余剰分を賄い得るだけの財政支出を継続すべきで、そうでなければ、不況脱出は無理だと言うことである。
米国の場合は、不況突入後、法人部門および家計とも貯蓄を増加させて、民間部門の資金余剰が対前年GDP比14.86%あるにも拘わらず、政府部門の支出同比は9.82%で、需給ギャップを埋めるためには大きく不足している。
それにも拘わらず、中間選挙では、小さな政府を標榜する共和党が勝利すると予想されており、益々、政府の財政支出が削減されるので、経済の回復は益々遠ざかることになると言う。
ヨーロッパの場合は、ドイツだけ回復基調にあるが依然鉱工業生産は低い水準にありながら、各国とも、民間の資金余剰分を、政府支出で補うには至っておらず、益々、悪化傾向にある。
イギリスの新政権は、財政再建を謳い始めたが、欧米各国とも、そんな余裕などある筈はないと言う。
金利水準が、世界各国とも、最低水準に張り付いて非常に低く、これまでの経済学の常識では、資金需要があって然るべきだが、それがないのは、毀損したバランス・シートを回復するために、民間が借金返済を優先しており、資金を貸す側の銀行も貸出条件を厳しくして貸し渋っており、資金の借り手も貸し手も不在であるからで、これこそ、バランス・シート不況のなせる業だと言う。
その典型は、日本で、ゼロ金利にも拘わらず、10年間も、日本企業は、借金返済に走り続けて来たのである。
リチャード・クーは、日本の民間の需要が拡大しないのを、バランス・シート不況論で論じているのだが、所謂、流動性の罠や、「リカードの中立命題」など、あるいは、他の側面からも検討すべきだと思うが、ここでは、端折って別の機会に回したい。
クーの論点は、経済が回復し民間の活力が始動しはじめて成長軌道に乗るまで、民間の需要不足を、完全に政府支出で補完し続けなければならないと言うことなので、回復への腰を折った橋本改革や小泉改革には厳しい。
リチャード・クーの指摘は、バランス・シート不況論も、あるいは、ケインズ流の財政支出的な処方も、短期的な景気循環論や成長論から言えば、正しいのかも知れない。
しかし、500兆円の政府支出で、経済の落ち込みを支え2000兆円の経済効果があったと以前に語っていたが、これまでにも、何度か論じて来たように、そのために、日本経済を、完全にスポイルして、根底から弱体化してしまった上に、膨大な国家債務を積み増してしまって、立ち上がれないような状態にまで疲弊させてしまったのではないのか。
需要不足分を、安易な公共投資や補助金などで補てんし続けたために、厳しい国際競争場裏に日本経済を晒さずに、民間企業や地方経済の活力を削ぎ、役人天国を永続させ、ゾンビ企業を温存させる等々語り出せばきりがないが、日本経済を、経済原則や基本的な資本主義の市場原理さえ有効に働かない経済構造に追い込んでしまったのではないか。
尤も、これら総てが、政府の財政支出によるものとは言えないのは当然だが、リチャード・クーの言うように望ましい財政支出だとは絶対に思わないし、第一、成熟化して疲弊した日本のような経済には、ケインズ流の財政出動の経済効果は、極めて限られており、経済を活性化して牽引して行く力など殆ど望めない筈である。
大恐慌から米国が脱出できたのは、ニューディールなどのケインズ流の経済政策ではなく、第二次世界大戦の勃発によると言われており、成長盛りの中国やインドなどの新興国や、まだ、活力の残っているアメリカなどには、不況からの経済浮揚策としての財政支出は有効であるかも知れないが、しかし、それも、殆ど短期的な効果であろう。
その財政支出を、性懲りもなく20年以上も継続し続けて来たことさえ異常な筈なのに、それが、世界に誇るべき日本が学んだ教訓だとどうして言えようか。
世界中の誰が、かっては、Japan as No.1で世界を牽引した超経済大国であった日本の哀れな現在の姿を見て、成功だと言うであろうか。
最後に、リチャード・クーは、日本経済は、不況の出口に差し掛かっていると言ったが、本人の手渡した講演資料にも、民間の資金余剰分は、政府支出で埋まっていないし、巷では、需給ギャップが30~35兆円あるとも言われているのだが、本当に、出口にあると言えるのであろうか。
相変わらずの「バランス・シート不況説」を根幹にした理論展開だが、民間部門の資金余剰と、政府部門の財政支出のギャップを比較しながら、欧米の経済の先行きを語り、欧米とも不況の出口どころか入口の段階で、非常に厳しいと予測していた。
クーの理論は、いわゆるケインジアンであるから、経済不況で民間の支出が不足している時には、財政支出で政府が補なって、需要不足を支えない限り、益々経済が悪化すると言うことである。
日本経済が、バブル崩壊後、深刻なバランス・シート不況にも拘わらず、経済の極端な落ち込みもなくGDPの成長を続け得たのは、民間需要の落ち込みを財政支出で補ってきたからで、これが、日本の得た貴重な教訓であり、最も適切な不況脱出の処方箋だと、世界中に振れまわっているのだと自賛する。
現在、日米欧とも、住宅不動産バブルに端を発した経済不況下にあり、債務超過に陥ってバランス・シートが毀損した民間部門は、必死になって貯蓄に励んで、借金を返している段階だが、欧米の場合、その民間の蓄積した資金余剰分を、政府の財政支出でカバー出来ていない上に、国によっては、財政再建を優先して支出を切り詰めるなど、逆行しており、益々需給ギャップが拡大しており経済の先行きは暗いと言う。
民間の借金返済が終わるまで、政府は、その民間の資金余剰分を賄い得るだけの財政支出を継続すべきで、そうでなければ、不況脱出は無理だと言うことである。
米国の場合は、不況突入後、法人部門および家計とも貯蓄を増加させて、民間部門の資金余剰が対前年GDP比14.86%あるにも拘わらず、政府部門の支出同比は9.82%で、需給ギャップを埋めるためには大きく不足している。
それにも拘わらず、中間選挙では、小さな政府を標榜する共和党が勝利すると予想されており、益々、政府の財政支出が削減されるので、経済の回復は益々遠ざかることになると言う。
ヨーロッパの場合は、ドイツだけ回復基調にあるが依然鉱工業生産は低い水準にありながら、各国とも、民間の資金余剰分を、政府支出で補うには至っておらず、益々、悪化傾向にある。
イギリスの新政権は、財政再建を謳い始めたが、欧米各国とも、そんな余裕などある筈はないと言う。
金利水準が、世界各国とも、最低水準に張り付いて非常に低く、これまでの経済学の常識では、資金需要があって然るべきだが、それがないのは、毀損したバランス・シートを回復するために、民間が借金返済を優先しており、資金を貸す側の銀行も貸出条件を厳しくして貸し渋っており、資金の借り手も貸し手も不在であるからで、これこそ、バランス・シート不況のなせる業だと言う。
その典型は、日本で、ゼロ金利にも拘わらず、10年間も、日本企業は、借金返済に走り続けて来たのである。
リチャード・クーは、日本の民間の需要が拡大しないのを、バランス・シート不況論で論じているのだが、所謂、流動性の罠や、「リカードの中立命題」など、あるいは、他の側面からも検討すべきだと思うが、ここでは、端折って別の機会に回したい。
クーの論点は、経済が回復し民間の活力が始動しはじめて成長軌道に乗るまで、民間の需要不足を、完全に政府支出で補完し続けなければならないと言うことなので、回復への腰を折った橋本改革や小泉改革には厳しい。
リチャード・クーの指摘は、バランス・シート不況論も、あるいは、ケインズ流の財政支出的な処方も、短期的な景気循環論や成長論から言えば、正しいのかも知れない。
しかし、500兆円の政府支出で、経済の落ち込みを支え2000兆円の経済効果があったと以前に語っていたが、これまでにも、何度か論じて来たように、そのために、日本経済を、完全にスポイルして、根底から弱体化してしまった上に、膨大な国家債務を積み増してしまって、立ち上がれないような状態にまで疲弊させてしまったのではないのか。
需要不足分を、安易な公共投資や補助金などで補てんし続けたために、厳しい国際競争場裏に日本経済を晒さずに、民間企業や地方経済の活力を削ぎ、役人天国を永続させ、ゾンビ企業を温存させる等々語り出せばきりがないが、日本経済を、経済原則や基本的な資本主義の市場原理さえ有効に働かない経済構造に追い込んでしまったのではないか。
尤も、これら総てが、政府の財政支出によるものとは言えないのは当然だが、リチャード・クーの言うように望ましい財政支出だとは絶対に思わないし、第一、成熟化して疲弊した日本のような経済には、ケインズ流の財政出動の経済効果は、極めて限られており、経済を活性化して牽引して行く力など殆ど望めない筈である。
大恐慌から米国が脱出できたのは、ニューディールなどのケインズ流の経済政策ではなく、第二次世界大戦の勃発によると言われており、成長盛りの中国やインドなどの新興国や、まだ、活力の残っているアメリカなどには、不況からの経済浮揚策としての財政支出は有効であるかも知れないが、しかし、それも、殆ど短期的な効果であろう。
その財政支出を、性懲りもなく20年以上も継続し続けて来たことさえ異常な筈なのに、それが、世界に誇るべき日本が学んだ教訓だとどうして言えようか。
世界中の誰が、かっては、Japan as No.1で世界を牽引した超経済大国であった日本の哀れな現在の姿を見て、成功だと言うであろうか。
最後に、リチャード・クーは、日本経済は、不況の出口に差し掛かっていると言ったが、本人の手渡した講演資料にも、民間の資金余剰分は、政府支出で埋まっていないし、巷では、需給ギャップが30~35兆円あるとも言われているのだが、本当に、出口にあると言えるのであろうか。