熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場十月歌舞伎公演~「天保遊侠録」「将軍江戸を去る」

2010年10月14日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の国立劇場の歌舞伎は、真山青果の「天保遊侠録」と「将軍江戸を去る」で、風雲急を告げる幕末の演目で、前者には子供時代の、そして、後者には江戸城明け渡しを西郷隆盛と談判する最盛期の勝海舟が登場する。
   青果の新歌舞伎は、いわば、現代劇に近いので、回りくどい古典歌舞伎のような煩わしさがなくて、ストレートに入って来るので、私には、非常に取っ付き易い。
   しかし、それだけに、実際の歴史を題材にして創作された芝居なので、登場人物のイメージに邪魔されて、虚と実の区別がつかなくなって、困ることがあり、後述するが、今回は、徳川慶喜について特にそうであった。

   遊侠録は、勝海舟の実父小吉(吉右衛門)が、わが子の将来の出世を願って、無役の直参なので役付きへの登用を画策すべく、向島のお茶屋に上役たちを招いて、甥の松坂庄之助(染五郎)に手伝わせて接待するのだが、散々愚弄されたので堪忍袋の緒が切れて爆発、折角の機会を棒に振る。
   その時、同時に同じ茶屋の離れに、倅勝麟太郎(梅丸)が、本家筋の中臈阿茶の局(東蔵)に、将軍家へのご奉公のために呼ばれて来ており、小身者の父親の無様で哀れな姿を見てしまう。
   麟太郎に、自分が出世すれば、小吉への世間の敵愾心が和らぐので城へ上がるのだと言われて、麟太郎との別れを必死に拒否していた小吉が、自分の愚かさを恥じて畳へ突っ伏して泣き崩れる。
   
   この芝居の前半は、遊侠の小吉と堀の芸者坂本屋の八重次(芝雀)との一寸粋な色町の風情を匂わせながら、太平天国にうつつを抜かす旗本の、料亭を舞台にした接待三昧に明け暮れる腐敗ぶりを、いくらか頭の弱い単純な庄之助のドタバタ劇で味をつけて、最後に、あまりの悪辣さに腹の据え兼ねた小吉が庄之助を煽って大暴れし、「石高の違いは人間の値打ちではない」と居直って啖呵を切るところで頂点に達する。
   時代背景から言っても、小吉が、実際に、こんな民主主義的(?)な気の利いた啖呵を切れる器とは思えないが、そこは、青果の芝居で、久しぶりに、非常にテンポの速い気風の良い、胸のすくような粋な江戸男の台詞を吉右衛門が連発するのを聞いて爽快であった。この小吉は、英雄でも何でもない市井に生涯を終えた小粋で侠気のある江戸男で、極道が過ぎて座敷牢に入れらながら妻に麟太郎を身籠らせたと言うのだから、麟太郎が傑出した幕末の幕府きっての英傑となるDNA十分であるのだが、ハチャメチャな冒頭からしんみりと親の悲哀を噛みしめて泣く幕切れまで、吉右衛門の舞台は、さすがに秀逸である。
   それに、どこか調子の狂ったぼけっとした雰囲気の恍けたキャラクターを演じさせると染五郎は実に上手い。
   阿茶の局の東蔵の風格、それに、麟太郎を演じた梅丸の凛々しさも印象的で、粋で気風の良い芝雀の芸者も中々ムードがあって良い。

   さて、次の「将軍江戸を去る」だが、第一幕は、西郷吉之助(歌昇)を、幕府の海軍奉行の勝麟太郎(歌六)が訪れて、江戸城総攻めを回避するための江戸城明け渡しと慶喜の助命交渉を行う「江戸薩摩屋敷」と、
   第二幕は、山岡鉄太郎(染五郎)が、水戸退去を逡巡する慶喜を諌めるために上野の彰義隊を訪れ、抵抗する彰義隊士を押し切って、謹慎中の慶喜と上野大慈院で面会して、決死の覚悟で、見かけだけの「尊王」ではなく、天皇に経済力と兵力を納めて皇室を敬う「勤王」の精神に立ち返るべしと諌める山場から、将軍が、最後に江戸を離れる「先住の大橋」の場である。
   
   この薩摩屋敷の西郷と勝の歴史的な会談は、史実については諸論があり定かではないが、一応、江戸の町を救っただけではなく、世界に誇るべき無血革命とも言うべき明治維新の先駆けとなり、文句なしに感動的なシーンである。
   この青果の舞台は、西郷吉之助の心情吐露がメインテーマで、西郷は、多くの民が平穏無事に生活している江戸市中を火の海にしようとした自分たちの愚かさ、そして無辜の民を殺さなければならない戦争の悲惨さ無意味さを慨嘆し、江戸城の無血開城と慶喜の助命は、朝廷のみならず官軍を救うことになると、大粒の涙を流して勝に礼を言う。
   門前で見た、50文の口銭を必死になって守ろうとする鰯売りと長屋の連中の値切り交渉を語り、小高い丘の上から見た殷賑を極める豊かな江戸の風景を見て人々の生き様に感動した西郷の語り口が実に良く、西郷の立ち居振る舞いや雰囲気に工夫を凝らした歌昇の名演が、実に感動的で、粋で男っぷりの良い貫録のある兄の勝海舟の歌六が、上手く歌昇をバックアップして素晴らしい舞台を作り出していて播磨屋兄弟の連携プレイが清々しい。

   染五郎の山岡鉄太郎だが、正に、命を賭しての熱血漢で、まかり間違えば、一刀のもとに切り殺される換言であり、基より、挑発ではなく理を説いて将軍慶喜に迫って、尊王と勤王の真の違いを理解させなければならないのであるから、染五郎は迫真の演技。
   慶喜の方は、水戸家は、光圀から斉昭に至るまで自分も含めて誰よりも皇室への尊敬が篤いと信じており、薩長に「不臣、違勅」と攻められ続けて退位させられた上に罪人扱いされて、憤懣やるかたないのに、家来の鉄舟にまで水戸様には勤王の幽霊が憑いていると騒がれては、捨ててはおけない。
   将軍の品格と威厳を保ちながら抑えに抑えて受け答えする吉右衛門の苦悩が、かすかに残った無精ひげに体現されているのだが、それに加えて、この吉右衛門と染五郎の醸し出す叔父甥の阿吽の呼吸が切羽詰った緊迫感を高めているのであろう。

   ところで、最後のシーンだが、「江戸の地よ、江戸の人よ さらば」と言って別れの言葉を残して、慶喜は、千住大橋を渡って水戸へ向けて一歩を踏み出す。
   「山岡鉄太郎や江戸の町民が号泣するのより早く、見ている私は「さらば」の声を聞くのを待てずに、オイオイ泣いてしまうのである。」と半藤一利さんは書いておられるのだが、悲しいかな、いくら、吉右衛門の演技が秀逸であっても、私には、その感慨はない。
   何故なら、最後の徳川将軍としての慶喜については、私自身は、どうしても、英邁な君主とは思えないし、歴史上の慶喜の残した業績などには疑問を持っていて、すんなりと認められないからである。
   蛇足は避けるが、慶喜の意思はともかく、鳥羽伏見の戦いにおいて、官軍5000人に対して、幕府軍15000人の陣容で闘いながら、途中で、僅かな側近を伴って大阪城を抜け出して、大阪湾に停泊中の軍艦開陽丸に乗って江戸へと敵前逃亡したなどは些細な例だが、日本が危機的な状態にあった時の日本のリーダーとしての資質を著しく欠いていたのではないかと思っている。
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