ル テアトル銀座で歌舞伎が見られるとは思わなかったのだが、短いながらも花道が作られており、舞台も変化の少ない芝居展開なので、全く異質観なく、近松門左衛門の「女殺油地獄」を楽しむことが出来た。
これまでは、文楽でも、中之巻の「下向の場」から下之巻の「お吉殺しの場」までしか見る機会がなかったのだが、今回は、上之巻の「屋形船の場」から「豊島屋の場」で与兵衛が捉えられて引っ張って行かれる終幕まで、殆ど、近松のオリジナルの浄瑠璃の通りに演じられている。
私も、初めて、岩波と小学館の近松全集の原作を読んで、出かけて行ったので、これまで、歌舞伎で2回、文楽で1回見た時と違って、大分、近松門左衛門の世界に近づいたような感じがして、舞台を見ていた。
この浄瑠璃だが、親が甘やかし続けたので、徹頭徹尾ドラ息子に育ってしまって、実業に身が入らず道楽遊びが過ぎて、親の印判を無断借用して借りた借金の金策に万事窮したので、同業者のお内儀お吉に穴埋め借金の肩代わりを願うも断られて、殺して金を奪うと言う非道極まりない与兵衛の物語が主題なのだが、あまりにも殺伐として暗すぎるので、明治時代坪内逍遥が掘り起こすまで眠っていたと言う。
両親や妹に振るう家庭内暴力あり、情け容赦なく殺人に及ぶ振る舞いありと、今様事件と寸分違わず、時代背景さえ変えれば、正に、現代劇に代わってしまうほど、インパクトが強烈である。
こんな救い難い放蕩息子で、勘当したにも拘らず、義父と実母は、お互いに隠れて、与兵衛の生活費の小金を、お吉に託すべく訪れると言う涙ぐましい(?)挿話が彩りを添える。
今回の「女殺油地獄」は、染五郎の与兵衛、亀治郎のお吉と言う若手きっての名優の登場の舞台なので、非常に若い女性ファンが多くて華やいでいた。
近松門左衛門の浄瑠璃からの舞台なので、上方歌舞伎が得意とする演目なのだが、染五郎は仁左衛門から、亀治郎は秀太郎から、夫々、教えを受けたと言う。
染五郎の与兵衛は、以前に、孝太郎のお吉で見ていて、あの時、東京ベースの染五郎ながら、仁左衛門のように、近松の世界を器用に演じるのを見て、新しい近松役者登場と言う感じがして、他の近松の浄瑠璃の大坂男をどのように演じ分けるのかと思いを馳せたのである。
今回は、演じる立ち振る舞いだけではなく、非常に顔の表情に変化を持たせて、心の微妙な揺れやその軌跡を表現していて、例えば、仁左衛門を髣髴とさせるニヒルで不気味な笑みを浮かべるなど新境地に挑んでいて、芸域を広げるなど好演であった。
文楽が大阪弁で大阪ベースの世界であり、近松の世界も、非常に上方文化の香りの強い浄瑠璃なので、何故かうまく説明できないが、上方歌舞伎役者でない人が演じると、私にはどこか異質感がありしっくり行かないのである。
芝居は、世につれ人につれ、その時その時に、価値ある舞台であれば良いと言う考え方もあり、それはそうであろうが、私は、大坂、上方に拘る。
亀治郎のお吉は、発散する色気を抑えて、非常に愛情豊かで人間味のある人物描写で、感動するほど実に素晴らしい。しかし、私には、どこか微妙だがイメージが違う。
仁左衛門が、”『女殺油地獄』を現代版に書き換える方の中には、お吉と与兵衛は精神的な恋愛がなくてはいけないとおっしゃる方がいますが、私のやり方はそうではありません。私たちが子供の頃、関西に住んでいる近所のおばさんやお姉さんとは、それこそ家族のような付き合いをしていました。二人は特に油屋の仲間ですし、関西に住んでいる方ならそういった間柄も、よくおわかりになると思います。現代の青年にも通じるものの多いお芝居ですが現代劇ではやってはいけない、大阪のお芝居の芸とリアルの兼ね合いをいかに表現していくかが大切だと思っています。”と言っている。
そんなお吉を与兵衛が、意地と世間体を保つ為にサディスティックに殺して金を奪うと言う異常な展開が、この芝居のテーマであり、事件記者よろしく、近松が駆けつけて芝居にした。この仁左衛門の言う「大阪のお芝居の芸」とリアルの兼ね合いと言うところこそ、近松の世界であり、上方文化が培ってきた上方の奥深い土壌でもある。
秀太郎の母おさわは定番と言うべきで、前にも記した様に近松が意図した役づくりそのものであろうと思うし、控えめながら実直そのものの兄太兵衛の亀鶴も実に上手い。
父徳兵衛を演じた彦三郎のしみじみとした味のある舞台を初めて見たので感激したが、非常に重要な役どころで観客をほろりとさせるシーンをぶち壊す如く、プロンプターの大きな声が、最初から最後まで耳について感興を著しく害した。彦三郎自身は、台詞はかなりしっかり入っていたようで殆ど不必要だと思ったのだが、あんな大きな声でプロンプターが声を出せば、同席する役者が平常な神経で演じられれば奇跡であろう。 (私の席は、中央やや右より。初日で、休憩時に、松竹担当者に伝えた。)
今回は、与兵衛の異常心理について関心を持って見ていた。
舞台の最後の土壇場で、縄をかけられる前に、与兵衛は心情を吐露するのだが、この時の言葉で、近松門左衛門は、はっきりと与兵衛の悪行への思いを述べていることに気付いたのである。
”一生の間不幸をし、放蕩に耽ったが、僅かな金も盗んだことはなく、茶屋や女郎屋への払いは、1年半年遅れても気にしなかった。新銀一貫目の証文で借りた金が一夜過ぎると親の難儀となって、不幸の罪は勿体ないと思うことばかり気になって、人を殺せば人の嘆き、人の難儀と言うことに少しも気が付かなかった。20年来の不幸と無法の悪行が天魔となって、心の目をくらませ、お吉を殺し金を取った。お吉と自分への救いの願いをお許しくだされ。”
また、お吉殺しの場の冒頭で、お吉の家・豊島屋の門口で、与兵衛は口入綿屋小兵衛に会って、金を返さねば、町役人に届けるぞと言われるのだが、近松は、小兵衛が「言葉で与兵衛の首を絞める」と表現していて非常に興味深い。
私自身は、与兵衛の心の闇を知りたかったので、これらの表現は非常に参考になった。
与兵衛の頭の中には、世間に借財の返済を実行できなかったと言う事実が露見して、親に不幸をかけることが耐えられないと言う世間体を憚る意識はあったが、悪行の限りを尽くした放蕩人生で善悪のモラルは喪失してしまって、人殺しについては、関係する人々を苦しめ難儀をかけると言う意識は全くなくて、お吉殺害に及んだと言うことであった。
すなわち、世間体は憚り男の体面を保ちたいが、それを避けるためには手段を選ばずに人殺しをしても金を工面することだと考えて、日頃持たない脇差を隠し持ってお吉を訪れており、確信犯だったのである。
染五郎は、与兵衛の演技について仁左衛門を踏襲している。
お吉殺しについては、読売の記事によると、染五郎は「おどおどしていた与兵衛が一変してお吉を追い回して殺す。主人公のサディズムが表れている。単なる陰惨な場面ではない」と考え、無意識に殺しを楽しんでしまう人物像を演じたいという。
仁左衛門もこれに似たようなことを語っている。
”与兵衛は、殺しの間の心理の変化をいかに演じていくかというところが面白いんです。最初は無我夢中で震えている、そのうち段々と落ち着いてきて、そうすると今度は殺しを楽しみ出す、最後にお吉が死んでしまうと逆に怖がり出す。”
実際の舞台だが、染五郎は、最初は、我ここに在らずと言た表情で目の焦点が合わずに宙を舞い決死の形相でお吉に向かうが、一太刀加えてお吉が仰け反ると凄惨の限りを尽くして殺害に及び、お吉がこと切れると、手がガタガタ震えて脇差が鞘に収まらない程の動転。
舞台では、このお吉殺しの場が、山場となって有名であり、油塗れになった与兵衛とお吉がくんずほぐれつ派手に滑りながら殺しの修羅場を演じるのだが、ところが、実際の近松の原文では、この部分の描写は非常に簡潔で短い。
喉笛を刺されて悩乱するお吉が、年端も行かぬ3人の子が路頭に迷うので死にたくないと訴えるのに対して、お前がそうなら、おれも可愛がってくれる親父が愛しい、男を立てねばならないので死んでくれと言って、お吉を引き寄せて、右方から左方の腹へ、さしては抉り、抜いては切る。のである。
美文調の情景描写が展開されるが、真っ暗闇の中で、
”うち撒く油、流れる血、踏み滑り、全身血潮で赤鬼が、非道な角を振り立てて、お吉の体を引き裂く剣、剣の山は目の前で油の地獄の苦しみ”
実質的には、これだけの凄惨極まりない描写だが、文楽や歌舞伎になると、あのように見せ場の多い流れるようなスペクタクルとも言うべきシーンが展開される。舞台芸術のなせる業である。
文楽に至っては、舞台の端から端まで、すーっと与兵衛は滑って行くし、人形だから、人間の役者には出来ないような演技も披露する。
これまでは、文楽でも、中之巻の「下向の場」から下之巻の「お吉殺しの場」までしか見る機会がなかったのだが、今回は、上之巻の「屋形船の場」から「豊島屋の場」で与兵衛が捉えられて引っ張って行かれる終幕まで、殆ど、近松のオリジナルの浄瑠璃の通りに演じられている。
私も、初めて、岩波と小学館の近松全集の原作を読んで、出かけて行ったので、これまで、歌舞伎で2回、文楽で1回見た時と違って、大分、近松門左衛門の世界に近づいたような感じがして、舞台を見ていた。
この浄瑠璃だが、親が甘やかし続けたので、徹頭徹尾ドラ息子に育ってしまって、実業に身が入らず道楽遊びが過ぎて、親の印判を無断借用して借りた借金の金策に万事窮したので、同業者のお内儀お吉に穴埋め借金の肩代わりを願うも断られて、殺して金を奪うと言う非道極まりない与兵衛の物語が主題なのだが、あまりにも殺伐として暗すぎるので、明治時代坪内逍遥が掘り起こすまで眠っていたと言う。
両親や妹に振るう家庭内暴力あり、情け容赦なく殺人に及ぶ振る舞いありと、今様事件と寸分違わず、時代背景さえ変えれば、正に、現代劇に代わってしまうほど、インパクトが強烈である。
こんな救い難い放蕩息子で、勘当したにも拘らず、義父と実母は、お互いに隠れて、与兵衛の生活費の小金を、お吉に託すべく訪れると言う涙ぐましい(?)挿話が彩りを添える。
今回の「女殺油地獄」は、染五郎の与兵衛、亀治郎のお吉と言う若手きっての名優の登場の舞台なので、非常に若い女性ファンが多くて華やいでいた。
近松門左衛門の浄瑠璃からの舞台なので、上方歌舞伎が得意とする演目なのだが、染五郎は仁左衛門から、亀治郎は秀太郎から、夫々、教えを受けたと言う。
染五郎の与兵衛は、以前に、孝太郎のお吉で見ていて、あの時、東京ベースの染五郎ながら、仁左衛門のように、近松の世界を器用に演じるのを見て、新しい近松役者登場と言う感じがして、他の近松の浄瑠璃の大坂男をどのように演じ分けるのかと思いを馳せたのである。
今回は、演じる立ち振る舞いだけではなく、非常に顔の表情に変化を持たせて、心の微妙な揺れやその軌跡を表現していて、例えば、仁左衛門を髣髴とさせるニヒルで不気味な笑みを浮かべるなど新境地に挑んでいて、芸域を広げるなど好演であった。
文楽が大阪弁で大阪ベースの世界であり、近松の世界も、非常に上方文化の香りの強い浄瑠璃なので、何故かうまく説明できないが、上方歌舞伎役者でない人が演じると、私にはどこか異質感がありしっくり行かないのである。
芝居は、世につれ人につれ、その時その時に、価値ある舞台であれば良いと言う考え方もあり、それはそうであろうが、私は、大坂、上方に拘る。
亀治郎のお吉は、発散する色気を抑えて、非常に愛情豊かで人間味のある人物描写で、感動するほど実に素晴らしい。しかし、私には、どこか微妙だがイメージが違う。
仁左衛門が、”『女殺油地獄』を現代版に書き換える方の中には、お吉と与兵衛は精神的な恋愛がなくてはいけないとおっしゃる方がいますが、私のやり方はそうではありません。私たちが子供の頃、関西に住んでいる近所のおばさんやお姉さんとは、それこそ家族のような付き合いをしていました。二人は特に油屋の仲間ですし、関西に住んでいる方ならそういった間柄も、よくおわかりになると思います。現代の青年にも通じるものの多いお芝居ですが現代劇ではやってはいけない、大阪のお芝居の芸とリアルの兼ね合いをいかに表現していくかが大切だと思っています。”と言っている。
そんなお吉を与兵衛が、意地と世間体を保つ為にサディスティックに殺して金を奪うと言う異常な展開が、この芝居のテーマであり、事件記者よろしく、近松が駆けつけて芝居にした。この仁左衛門の言う「大阪のお芝居の芸」とリアルの兼ね合いと言うところこそ、近松の世界であり、上方文化が培ってきた上方の奥深い土壌でもある。
秀太郎の母おさわは定番と言うべきで、前にも記した様に近松が意図した役づくりそのものであろうと思うし、控えめながら実直そのものの兄太兵衛の亀鶴も実に上手い。
父徳兵衛を演じた彦三郎のしみじみとした味のある舞台を初めて見たので感激したが、非常に重要な役どころで観客をほろりとさせるシーンをぶち壊す如く、プロンプターの大きな声が、最初から最後まで耳について感興を著しく害した。彦三郎自身は、台詞はかなりしっかり入っていたようで殆ど不必要だと思ったのだが、あんな大きな声でプロンプターが声を出せば、同席する役者が平常な神経で演じられれば奇跡であろう。 (私の席は、中央やや右より。初日で、休憩時に、松竹担当者に伝えた。)
今回は、与兵衛の異常心理について関心を持って見ていた。
舞台の最後の土壇場で、縄をかけられる前に、与兵衛は心情を吐露するのだが、この時の言葉で、近松門左衛門は、はっきりと与兵衛の悪行への思いを述べていることに気付いたのである。
”一生の間不幸をし、放蕩に耽ったが、僅かな金も盗んだことはなく、茶屋や女郎屋への払いは、1年半年遅れても気にしなかった。新銀一貫目の証文で借りた金が一夜過ぎると親の難儀となって、不幸の罪は勿体ないと思うことばかり気になって、人を殺せば人の嘆き、人の難儀と言うことに少しも気が付かなかった。20年来の不幸と無法の悪行が天魔となって、心の目をくらませ、お吉を殺し金を取った。お吉と自分への救いの願いをお許しくだされ。”
また、お吉殺しの場の冒頭で、お吉の家・豊島屋の門口で、与兵衛は口入綿屋小兵衛に会って、金を返さねば、町役人に届けるぞと言われるのだが、近松は、小兵衛が「言葉で与兵衛の首を絞める」と表現していて非常に興味深い。
私自身は、与兵衛の心の闇を知りたかったので、これらの表現は非常に参考になった。
与兵衛の頭の中には、世間に借財の返済を実行できなかったと言う事実が露見して、親に不幸をかけることが耐えられないと言う世間体を憚る意識はあったが、悪行の限りを尽くした放蕩人生で善悪のモラルは喪失してしまって、人殺しについては、関係する人々を苦しめ難儀をかけると言う意識は全くなくて、お吉殺害に及んだと言うことであった。
すなわち、世間体は憚り男の体面を保ちたいが、それを避けるためには手段を選ばずに人殺しをしても金を工面することだと考えて、日頃持たない脇差を隠し持ってお吉を訪れており、確信犯だったのである。
染五郎は、与兵衛の演技について仁左衛門を踏襲している。
お吉殺しについては、読売の記事によると、染五郎は「おどおどしていた与兵衛が一変してお吉を追い回して殺す。主人公のサディズムが表れている。単なる陰惨な場面ではない」と考え、無意識に殺しを楽しんでしまう人物像を演じたいという。
仁左衛門もこれに似たようなことを語っている。
”与兵衛は、殺しの間の心理の変化をいかに演じていくかというところが面白いんです。最初は無我夢中で震えている、そのうち段々と落ち着いてきて、そうすると今度は殺しを楽しみ出す、最後にお吉が死んでしまうと逆に怖がり出す。”
実際の舞台だが、染五郎は、最初は、我ここに在らずと言た表情で目の焦点が合わずに宙を舞い決死の形相でお吉に向かうが、一太刀加えてお吉が仰け反ると凄惨の限りを尽くして殺害に及び、お吉がこと切れると、手がガタガタ震えて脇差が鞘に収まらない程の動転。
舞台では、このお吉殺しの場が、山場となって有名であり、油塗れになった与兵衛とお吉がくんずほぐれつ派手に滑りながら殺しの修羅場を演じるのだが、ところが、実際の近松の原文では、この部分の描写は非常に簡潔で短い。
喉笛を刺されて悩乱するお吉が、年端も行かぬ3人の子が路頭に迷うので死にたくないと訴えるのに対して、お前がそうなら、おれも可愛がってくれる親父が愛しい、男を立てねばならないので死んでくれと言って、お吉を引き寄せて、右方から左方の腹へ、さしては抉り、抜いては切る。のである。
美文調の情景描写が展開されるが、真っ暗闇の中で、
”うち撒く油、流れる血、踏み滑り、全身血潮で赤鬼が、非道な角を振り立てて、お吉の体を引き裂く剣、剣の山は目の前で油の地獄の苦しみ”
実質的には、これだけの凄惨極まりない描写だが、文楽や歌舞伎になると、あのように見せ場の多い流れるようなスペクタクルとも言うべきシーンが展開される。舞台芸術のなせる業である。
文楽に至っては、舞台の端から端まで、すーっと与兵衛は滑って行くし、人形だから、人間の役者には出来ないような演技も披露する。