熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

台頭するブラジル(仮題 BRAZIL ON THE RISE)(1)~未来の国と言われ続けて

2011年02月20日 | BRIC’sの大国:ブラジル
   このラリー・ローターの新著「BRAZIL ON THE RISE」だが、勃興と言うよりも台頭と言う方が適当だと思うので、タイトルを「台頭するブラジル」で通す。この本の章を追いながら、未熟を承知で、私自身の理解の範囲で、私のブラジル観を展開してみたいと思っている。
   私のブラジル経験は、先のブラジルブーム時期の4年間のサンパウロ在住と、永住ビザを持っていたので、その後、更改のための渡航でプラス10年くらいの接触だが、傍目八目で、世界中を駆け回っていた生活を通しながらブラジルを傍観し続けていたので、かなり、客観的に、BRIC's大国ブラジルを語れると思っている。

   私自身は、米国製MBAであり、英蘭をベースとしたヨーロッパ生活が長かったので、経済や経営学については、アングロサクソン系の影響が強いのだが、ヨーロッパで、フランスやスペインなどラテン系の国での仕事を通して、ラテン系との文化文明、そして、ビジネスの違いを痛い程経験してきた。
   尤も、その前に、ポルトガル人によって建国されたラテン気質の色濃いブラジルで、強烈なカルチュアショックの洗礼を受けていたので、ラテン・ヨーロッパでもそれ程困らなかったのだが、ブラジルの偉大さも、そして、その光も陰も、背後にあるラテン系の歴史と文化文明、そのバックグラウンドを理解しなければ、本当の姿は分からないのではないかと思っている。
   アメリカ人であるローターから見れば、法律と契約の法治国家であるアメリカと、何よりも人間関係を重視するアミーゴ社会のブラジルとの、謂わば、「文明の衝突」は強烈で、その意味ではかなり辛口のブラジル評論を展開していて興味深い。
   その点では、紳士協定とか阿吽の呼吸などと言う文化がある日本は、その両方の文化的背景を背負っており、かなり分かりよいのだが、それにしても、ブラジルは、典型的なラテン大国であり、BRIC’s各国夫々が、強烈な個性を持っているように、ブラジルとは、と一言で言えない奥深さと魅力がある。

   ローターは、序文で、ブラジルの第一印象を、コーヒーと砂糖などの農業主体の軍事国家で、壁にはお尋ね者のテロリストの張り紙があり、メディアの検閲に官憲が関わるなど非常に治安の悪い国だが、コパカバーナやイパネマの海岸沿いの高級ショップにはニューヨーク並みのハイセンスの商品があふれているにも拘らず、傍の凄いビキニ姿の美人の歩く歩道に乞食が屯していると言ったチグハグナ風景に驚いたと書いている。
   歴史上は、かなり、最近まで軍人が大統領を務めた軍事国家であり、民政に代わっても、他のラテンアメリカ国家と同じように、政治が不安定で、民主国家として政情が安定し、経済成長に拍車がかかり始めたのは、この20年の間くらいのことで前世紀末のことである。
   
   とにかく、ブラジルは、全く幸運に恵まれた国で、豊かな国土と膨大な鉱物や水資源、そして、多くの天然資源が無尽蔵に存在する。
   しかし、その資源を活用し始めたのは、ごく最近に入ってからで、長い間、未来の国(THE COUNTRY OF THE FUTURE)と呼ばれ続けて来た。
   将来の世界の発展のためには、最も重要な役割を果たす国家の一つとして疑いもなく運命づけられてきた国だと言われ続けて来たのである。
   しかし、この決まり文句は、ブラジル人が挑戦するには到達不可能なほど高い目標であり、結果としてブラジル人の劣等コンプレックスを感じさせるだけで、いつまでも未完のままであったとローターは言う。

   ところが、最近のエコノミック・ブームで、BRIC’sの雄として一躍脚光を浴びた。
   今や、農業大国であるとともに、工業大国であり、膨大な鉱物資源や食糧のみならず、航空機や自動車の輸出国であり、南半球の、銀行、富、貿易、産業の最大の拠点となっている。
   2014年のサッカーのワールドカップ大会、2016年のリオ・オリンピック開催を目指して、燃えに燃えているブラジルが、やっと、永遠に未完であった「未来の国」と言う陳腐な決まり文句から解放されそうである。
   
   さて、ブラジル雑学をスタートするにあたって、最も重要な論点の一つは、ブラジルが、アミーゴ社会であると言うことで、この特質を、同じ人種の坩堝であるアメリカ社会と対比させながら論じておきたい。
   アミーゴをウィキペディアで引くと、本来はスペイン語で「友達」の意味の男性形名詞(amigo)。英語でも使われる。と書いてある。
   これでは、分かりにくので、華僑やユダヤ社会などの仲間意識とその信頼結束関係に近い概念で、自分の親しい友人(AMIGO)との関係は、契約よりも優先すると言った人間関係で、もっと広範で深い意味合いの概念なのである。
   アメリカ社会は、全く背景の違った異民族異人種の集合体であるから、関係を処理するためには、法律や契約が総てで、主に裁判で決着を付けようとするのだが、同じ、人種の坩堝であるブラジル、と言うよりも、ラテン社会では、法律は朝令暮改であったり順守されないことが多く、契約も無視されたり軽視される傾向が強いので頼りにならず、ビジネスや紛争の処理などを上手く運ぶためには、相手とのアミーゴ関係が優先して決着を見るケースが多いと言うことである。
   極論すれば、アメリカでは、1億円の貸し借りは、契約書で処理するが、ラテンの世界では、契約など全くなしで貸し借りが成立することもあり、もし、約束を破れば、村八分となり、重要な財産であるアミーゴも信用の一切をも失うことになる。
   したがって、ブラジルでビジネスを行う場合、いくら素晴らしいバランスシートを示して日本で有名な大企業だと言っても駄目で、地道なアミーゴ関係の構築こそが王道なのだと言えば言い過ぎであろうか。

   経済社会を結ぶ掟が、法律・契約か、アミーゴ関係か、と言うことは重要な差で、日本の場合には、英米流に、法律・契約関係の比重が増してきてはいるが、紳士協定だとか、貴方と私の仲だからとか、アミーゴ関係的な面も残っていて、謂わば、レオポン社会だと言えよう。
   私の経験からは、現実は、大分変っているかも知れないが、ローターの本を読む限り、ブラジルのこのアミーゴ文化は、それ程変わっていないようである。
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