先日、午後、ツグミが一羽、庭に面した居間のガラス戸に激突した。
大きな激しい音がしたので外に出てみると、板の縁台の上に落ちて、口から真っ赤な血を流して、嘴を弱くパクパクしている。
口の中は血が詰まっているのか、苦しそうだが、動くのは嘴だけで、横たわったまま全く動かない。
以前にも、スズメが激突して、この時は、即死だったので、すぐに、庭の椿の根元に埋葬したのだが、天気の良い日に、カーテンを開けておくと、明るい庭に面したオープンな広いガラス空間なので、ガラスに写った景色を、外の延長だと勘違いするのかも知れない。
私も、昔、どこの国か忘れてしまったが、よそ見をしていて、ホテルの玄関で、ガラス戸にぶつかりかけたことがあるので、偉そうなことは言えない。
私は、ツグミを両手で包み上げて、庭で使っている新しい手袋を何枚か敷いて、小さなポリバケツに寝床を作って寝かせた。
外に置いておくと猫に狙われるので、玄関の中に入れて様子を見ることにした。
夕方、何の気なしに、様子を見ようと思って近づくと、バケツのヘリに止まってじっとしているのである。
もう、ダメかと思っていたので、びっくりしたと同時に嬉しかった。
外に放ってやろうと思い、まだ、飛べないだろうと思って近づいたところ、一気に飛び上がって、吹き抜けの玄関ホールの電燈の弛んだ線の上に止まった。
このままでは、可哀そうなので、棒を伸ばして移動させようとしたら、また、飛び上がって逃げ出し、壁にぶつかりながら足場を探すのだが平板な壁で、滑りながら二階の廊下に下りて止まった。
捕まえようと近づいたが、また、飛び上がって、今度は、玄関のタイルの上に下りて止まった。
私は、玄関ドアを開いて、静かに、ツグミを促して玄関の外まで歩かせて、庭の植え込みまで誘導した。
折角、傷がどうにか少しは落ち着いたところに、怖がらせて、二回も飛び上がらせて疲労させたのが辛くて、気になったが、しばらく、そのまま、疲れを癒してやろうと思った。
もう、外は暗くなって、猫も来ないだろうし、たとえ来ても、今の様子だと、間違いなしに逃げられるだろうと思った。
それに、口の血は消えていたし、外観は普通の状態なので、時間さえ経てば、自分の体で回復するだろうと言う気がしていた。
私がびっくりしたのは、ツグミを外に誘導した時に、玄関脇の庭の植え込みから、大きな羽音を立てて一羽のかなり大きな鳥が飛び立ったのである。
もう、ツグミが激突して何時間も経つのだが、仲間の鳥が心配して、激突した近くの木の陰で友を待っていたのであろうか。
私は、その後、何回か、ドアを開けて、ツグミの様子を見に行ったのだが、動かずにじっと、同じ場所で同じ姿勢で止まっていた。
1時前に様子を見て、非常用の外灯があるので、門燈をいつも消しているのだが、鳥目で見えないと言っても、明るい方が良いだろうと思って、そのまま点けたままで眠りについた。
元気になって飛び立ってくれて居れば良いのにと思って、朝起きてすぐに見に行ったら、ツグミは消えていた。
後には、何の異常な状態も残っていなかったので、ほっとした。
シベリアへ元気に帰ってくれれば良いのにと願っている。
何年か前に、ヤマモモの木の茂みに、キジバトが巣を作っていたことがあった。
ところが、ある日、台風の強風で、巣が吹き飛ばされて地面に落ちてしまったのである。
何日か経った後に、庭仕事をしていた時に、そこから巣メートル離れたところに、鳥のミイラのように干からびた死骸を見つけた。
傍から、キジバトが急に飛び立ったのでびっくりしたのだが、いつも、傍に来ていて、私が近づくと飛び立つので不思議に思っていたのだが、親鳥が、亡くなった小鳩の死骸を、いつまでも心配していたのである。
私は、すぐそばの、私の気に入っている天賜椿の根元に埋葬したのだが、その後、親鳥は諦めたのか来なくなった。
私は、幸いにも、田舎に住んでいるので、偶々、庭があり、我流で色々な花木を育てたりしながらガーデニングを通じて小鳥や昆虫などともに生を楽しんでいる。
小動物たちの生活にいつも触発され、そして、毎年、忘れずに芽を出して花を咲かせて実を結ぶ植物たちの日々の営みの息吹を身近に感じて、有難いことに、いつも、新しい発見をし、感動しながら生活をしている。
傷ついたツグミも、いつも、私の庭に来て虫を探している鳥だと思うのだが、帰って来て欲しいと思うし、何処でどうしているのか、仲間の所へ帰ったのだろうかといろいろ考えると、元気な姿を見たい。
朝から、メジロの一群が、紅妙蓮寺椿の蜜を漁っていた。シジュウカラが、紫式部の枯枝を渡っていた。
ムクドリが一団となって庭の枯れた芝生の上で何か啄んでいたと思ったら、何に驚いたのか急に飛び立った。
いつも、平和なのだが、偶に、ツグミの激突のような異変が起こるのだが、リビアも平穏に終わってほしい。
ところで、昨夜、中国からパンダが上野に到着した。
一種お祭り騒ぎの歓迎ぶりだが、石原東京都知事の、以前に、次のようなパンダ観が報じられていた。
”中国からパンダ2頭をレンタルするには、年間1億円かかるとされるが、石原知事は「ずいぶん法外な値段」と指摘。「都民の意識調査をしたら『金払うならパンダいらない』という人が97%いた。動物園が払うとなると都の税金だ。それまでして見たいかね、パンダ」。都財政が厳しいこともあり、有料レンタルそのものに否定的見解を示した。”
前原外務大臣も、一寸高いけれどと言っていたようだが、果たしてそうであろうか。
石原知事のように、その金が中国では何に使われるのか分かったものではないと言うのならそれまでだが、一応、パンダ保護プロジェクトの基金になるようで、趣旨は、地球環境保護、生物の多様性の維持、絶滅危惧種パンダの保護の為と言う大切な人類の使命が託されている基金である。
あのような素晴らしい創造物であるパンダが、生存して我々人類と地球上での生を共有していると言うだけでも、奇跡と言うか、素晴らしく幸せなことだと思えないのであろうか。人類の傍若無人な振る舞いと思慮の無さ故に、共に共棲すべき地球のエコシステムを無茶苦茶にしてしまった人類の罪を恥ずかしいと思はないのであろうか。
私は、ロンドンとワシントンで、パンダを見たことがあるが、大切に育てられていた。
パンダ保護基金が高いとか無駄だと言うようなことを公然と上に立つ人間が言うような悲しい国になってしまったと思うと、目標を失ったように漂流し続ける日本の姿が、益々、さびしくしょぼくれて見えてくる。
(口絵写真) これは、大分以前に写したツグミ。
大きな激しい音がしたので外に出てみると、板の縁台の上に落ちて、口から真っ赤な血を流して、嘴を弱くパクパクしている。
口の中は血が詰まっているのか、苦しそうだが、動くのは嘴だけで、横たわったまま全く動かない。
以前にも、スズメが激突して、この時は、即死だったので、すぐに、庭の椿の根元に埋葬したのだが、天気の良い日に、カーテンを開けておくと、明るい庭に面したオープンな広いガラス空間なので、ガラスに写った景色を、外の延長だと勘違いするのかも知れない。
私も、昔、どこの国か忘れてしまったが、よそ見をしていて、ホテルの玄関で、ガラス戸にぶつかりかけたことがあるので、偉そうなことは言えない。
私は、ツグミを両手で包み上げて、庭で使っている新しい手袋を何枚か敷いて、小さなポリバケツに寝床を作って寝かせた。
外に置いておくと猫に狙われるので、玄関の中に入れて様子を見ることにした。
夕方、何の気なしに、様子を見ようと思って近づくと、バケツのヘリに止まってじっとしているのである。
もう、ダメかと思っていたので、びっくりしたと同時に嬉しかった。
外に放ってやろうと思い、まだ、飛べないだろうと思って近づいたところ、一気に飛び上がって、吹き抜けの玄関ホールの電燈の弛んだ線の上に止まった。
このままでは、可哀そうなので、棒を伸ばして移動させようとしたら、また、飛び上がって逃げ出し、壁にぶつかりながら足場を探すのだが平板な壁で、滑りながら二階の廊下に下りて止まった。
捕まえようと近づいたが、また、飛び上がって、今度は、玄関のタイルの上に下りて止まった。
私は、玄関ドアを開いて、静かに、ツグミを促して玄関の外まで歩かせて、庭の植え込みまで誘導した。
折角、傷がどうにか少しは落ち着いたところに、怖がらせて、二回も飛び上がらせて疲労させたのが辛くて、気になったが、しばらく、そのまま、疲れを癒してやろうと思った。
もう、外は暗くなって、猫も来ないだろうし、たとえ来ても、今の様子だと、間違いなしに逃げられるだろうと思った。
それに、口の血は消えていたし、外観は普通の状態なので、時間さえ経てば、自分の体で回復するだろうと言う気がしていた。
私がびっくりしたのは、ツグミを外に誘導した時に、玄関脇の庭の植え込みから、大きな羽音を立てて一羽のかなり大きな鳥が飛び立ったのである。
もう、ツグミが激突して何時間も経つのだが、仲間の鳥が心配して、激突した近くの木の陰で友を待っていたのであろうか。
私は、その後、何回か、ドアを開けて、ツグミの様子を見に行ったのだが、動かずにじっと、同じ場所で同じ姿勢で止まっていた。
1時前に様子を見て、非常用の外灯があるので、門燈をいつも消しているのだが、鳥目で見えないと言っても、明るい方が良いだろうと思って、そのまま点けたままで眠りについた。
元気になって飛び立ってくれて居れば良いのにと思って、朝起きてすぐに見に行ったら、ツグミは消えていた。
後には、何の異常な状態も残っていなかったので、ほっとした。
シベリアへ元気に帰ってくれれば良いのにと願っている。
何年か前に、ヤマモモの木の茂みに、キジバトが巣を作っていたことがあった。
ところが、ある日、台風の強風で、巣が吹き飛ばされて地面に落ちてしまったのである。
何日か経った後に、庭仕事をしていた時に、そこから巣メートル離れたところに、鳥のミイラのように干からびた死骸を見つけた。
傍から、キジバトが急に飛び立ったのでびっくりしたのだが、いつも、傍に来ていて、私が近づくと飛び立つので不思議に思っていたのだが、親鳥が、亡くなった小鳩の死骸を、いつまでも心配していたのである。
私は、すぐそばの、私の気に入っている天賜椿の根元に埋葬したのだが、その後、親鳥は諦めたのか来なくなった。
私は、幸いにも、田舎に住んでいるので、偶々、庭があり、我流で色々な花木を育てたりしながらガーデニングを通じて小鳥や昆虫などともに生を楽しんでいる。
小動物たちの生活にいつも触発され、そして、毎年、忘れずに芽を出して花を咲かせて実を結ぶ植物たちの日々の営みの息吹を身近に感じて、有難いことに、いつも、新しい発見をし、感動しながら生活をしている。
傷ついたツグミも、いつも、私の庭に来て虫を探している鳥だと思うのだが、帰って来て欲しいと思うし、何処でどうしているのか、仲間の所へ帰ったのだろうかといろいろ考えると、元気な姿を見たい。
朝から、メジロの一群が、紅妙蓮寺椿の蜜を漁っていた。シジュウカラが、紫式部の枯枝を渡っていた。
ムクドリが一団となって庭の枯れた芝生の上で何か啄んでいたと思ったら、何に驚いたのか急に飛び立った。
いつも、平和なのだが、偶に、ツグミの激突のような異変が起こるのだが、リビアも平穏に終わってほしい。
ところで、昨夜、中国からパンダが上野に到着した。
一種お祭り騒ぎの歓迎ぶりだが、石原東京都知事の、以前に、次のようなパンダ観が報じられていた。
”中国からパンダ2頭をレンタルするには、年間1億円かかるとされるが、石原知事は「ずいぶん法外な値段」と指摘。「都民の意識調査をしたら『金払うならパンダいらない』という人が97%いた。動物園が払うとなると都の税金だ。それまでして見たいかね、パンダ」。都財政が厳しいこともあり、有料レンタルそのものに否定的見解を示した。”
前原外務大臣も、一寸高いけれどと言っていたようだが、果たしてそうであろうか。
石原知事のように、その金が中国では何に使われるのか分かったものではないと言うのならそれまでだが、一応、パンダ保護プロジェクトの基金になるようで、趣旨は、地球環境保護、生物の多様性の維持、絶滅危惧種パンダの保護の為と言う大切な人類の使命が託されている基金である。
あのような素晴らしい創造物であるパンダが、生存して我々人類と地球上での生を共有していると言うだけでも、奇跡と言うか、素晴らしく幸せなことだと思えないのであろうか。人類の傍若無人な振る舞いと思慮の無さ故に、共に共棲すべき地球のエコシステムを無茶苦茶にしてしまった人類の罪を恥ずかしいと思はないのであろうか。
私は、ロンドンとワシントンで、パンダを見たことがあるが、大切に育てられていた。
パンダ保護基金が高いとか無駄だと言うようなことを公然と上に立つ人間が言うような悲しい国になってしまったと思うと、目標を失ったように漂流し続ける日本の姿が、益々、さびしくしょぼくれて見えてくる。
(口絵写真) これは、大分以前に写したツグミ。