アジアへ向かっていたポルトガルの探検者たちが、1500年4月22日に、辿り着いたのは南米大陸の北東岸。真っ赤にピカピカに顔を染めたインディオを見て、その顔料が「ブラジルの木 Brazilwood」から抽出されているのを知って、利に敏いポルトガル人は、ベルベットのような高級織物の染料に恰好だと目を付けた、これが、ブラジルの国名の起こりだと言う。
その時、同行のジェスイットの牧師が「この地球上に天国があるならば、正に、ブラジルこそ、その天国だ。」と言ったと言うほど、ブラジルは、神の恵みに溢れており、木材、貴鉱石、宝石から、砂糖、コーヒー、大豆は勿論、現在では、膨大な石油やガスまで発見され、正に、開発されない程豊かな天然資源に恵まれた国である。
「昼間に人間が壊しても、夜に神様がすべて元通りに直ししてくださる」と言うブラジルの諺がある程だから、ブラジル人は、楽天主義で、時には無防備なほど無思慮である。
しかし、それを良いことにして、ブラジルの権力を握ったエリートたちは、貧しくて弱い労働者や奴隷を踏み台にして、自分たちの富を築き続けて来た。
こんな書き出しで始まるラリー・ローターのブラジル論だが、奥方はブラジル人で、14年間もニューズウイークの特派員としてリオに住み、後にニューヨーク・タイムズのビューロー・チーフとして健筆をふるう文化担当記者であるから、政治経済に特化した従来のブラジル論よりも、もっとブラジルの歴史・文化・文明など深層に入り込んでの遠大なレポートなので、最初から最後まで、非常に興味深い。
まず、面白いには、植民地開拓に対するポルトガル人のアプローチを、競争相手のスペインのそれと対比して説明していることである。
スペインのコンキスタドールたちは、メキシコのマヤ、ペルーのインカ、中央アメリカのアズテックと言った帝国を皇帝を倒すことによって征服して、金銀財宝を奪って本国に送ったのだが、ポルトガル人は、ブラジルには、そのように中央集権化し組織化された原住民が居らず、抵抗も弱かったので征服がままならず、また、金銀と言った財宝よりも、むしろ、インディオとの交易に興味を持っていたと言う。
また、本国が小さかった所為もあり、王族も、ブラジルの木栽培から多少手を広げた程度で、土地所有権を保持しながら、ブラジルの領土を、資本家と協力して開発を希望する投資家や貴族に、独占的使用権を与えて開発させると言う、いわば、一つの巨大な企業形態を形成して開発を進めたのである。
ところが、この動きが急激に発展して、世襲制のCAPITANIAS、すなわち、あらゆる管轄権を持った一人の統治権者が独占支配する管轄区(植民区)のようなシステムが出来上がり、その所有権者が、開発希望者に、管轄区を分割支配(その封土は、ポルトガルより大きい場合がある)する形態が取られて開発が進んで行った。
この大土地所有制度と寡占的土地所有形態が、形態が変わっただけで、現在も実質的に継続したまま現存しており、社会的不平等と格差の問題や、資源の乱開発と言うブラジルの深刻な病根の元凶となっていると言う。
問題は、この大土地植民区を如何に開発すべきかだが、スペイン支配のラテン・アメリカには、沢山のインディオが居たので労働力に不足はなかったが、ブラジルの場合には、ポルトガルとの交易で文明の機器などを手に入れたインディオは取引に興味を失って奥地に入ってしまったので、広大な土地を開発するために、アメリカのように、アフリカから、黒人奴隷を輸入なければならなかったのである。
ラテン系は、混血にはあまり拘らないので、スペイン系ラテン・アメリカには、白人とインディオの混血メスティソが、そして、ブラジルには、白人と黒人の混血ムラート(あのカーニバルで魅力的な女性はムラータ)が多いのは、この移民政策の所為である。
ブラジルにおいては、CAPITANIASにおいて、膨大な黒人やインディオ達が、奴隷労働(slave labor)として、非人間的な過酷な労働を強いられて搾取に搾取を重ねられて、ブラジルの開発が進められて来たのである。
ローターは、このブラジルの奴隷制度は、アメリカが四半世紀前に終えているのに、1888年まで継続し、そして、21世紀の今も、人種差別、貧困、社会的差別、社会的排除などのマイナス遺産として残っており、ブラジルにとっては最悪の呪いだと言っている。
もう一つローターが指摘しているポルトガル人の植民の特色は、金を儲けてすぐに帰国しよう感覚(The get-rich-quick menntality)が、破壊的な習慣と歪んだ経済開発を引き起こしたと言う。
元々、自分の所有地ではないから、出来るだけ多く金を儲けて出来るだけ早く本国へ帰ろうというメンタリティであるから、土地や自然を大切に保護して使用しようと言ったインセンティブが働かなかったので、乱開発が常態であった。
大西洋岸の熱帯雨林は破壊されて、国名に由来のブラジルの木も取り尽くされて、今では、植物園にしかない。
このような近視眼的な行為が、今日のブラジルを苦しめているアマゾンの破壊的乱開発の元凶であると言うのである。
このようなブラジルのブームと破裂の繰り返しパターン(boom-and-bust pattern)は、歴史上延々と続く。
黒人がどのようにしてブラジル社会に同化して行くのかと言った問題をアメリカとの対比で考えたり、CAPITANIASシステムが地方のボス政治の蔓延を来たし如何にブラジルの政治をスキューして来たかなどのブラジルの陰については、後ほど検討することとして、今回は、このくらいにして、次に譲りたいと思う。
その時、同行のジェスイットの牧師が「この地球上に天国があるならば、正に、ブラジルこそ、その天国だ。」と言ったと言うほど、ブラジルは、神の恵みに溢れており、木材、貴鉱石、宝石から、砂糖、コーヒー、大豆は勿論、現在では、膨大な石油やガスまで発見され、正に、開発されない程豊かな天然資源に恵まれた国である。
「昼間に人間が壊しても、夜に神様がすべて元通りに直ししてくださる」と言うブラジルの諺がある程だから、ブラジル人は、楽天主義で、時には無防備なほど無思慮である。
しかし、それを良いことにして、ブラジルの権力を握ったエリートたちは、貧しくて弱い労働者や奴隷を踏み台にして、自分たちの富を築き続けて来た。
こんな書き出しで始まるラリー・ローターのブラジル論だが、奥方はブラジル人で、14年間もニューズウイークの特派員としてリオに住み、後にニューヨーク・タイムズのビューロー・チーフとして健筆をふるう文化担当記者であるから、政治経済に特化した従来のブラジル論よりも、もっとブラジルの歴史・文化・文明など深層に入り込んでの遠大なレポートなので、最初から最後まで、非常に興味深い。
まず、面白いには、植民地開拓に対するポルトガル人のアプローチを、競争相手のスペインのそれと対比して説明していることである。
スペインのコンキスタドールたちは、メキシコのマヤ、ペルーのインカ、中央アメリカのアズテックと言った帝国を皇帝を倒すことによって征服して、金銀財宝を奪って本国に送ったのだが、ポルトガル人は、ブラジルには、そのように中央集権化し組織化された原住民が居らず、抵抗も弱かったので征服がままならず、また、金銀と言った財宝よりも、むしろ、インディオとの交易に興味を持っていたと言う。
また、本国が小さかった所為もあり、王族も、ブラジルの木栽培から多少手を広げた程度で、土地所有権を保持しながら、ブラジルの領土を、資本家と協力して開発を希望する投資家や貴族に、独占的使用権を与えて開発させると言う、いわば、一つの巨大な企業形態を形成して開発を進めたのである。
ところが、この動きが急激に発展して、世襲制のCAPITANIAS、すなわち、あらゆる管轄権を持った一人の統治権者が独占支配する管轄区(植民区)のようなシステムが出来上がり、その所有権者が、開発希望者に、管轄区を分割支配(その封土は、ポルトガルより大きい場合がある)する形態が取られて開発が進んで行った。
この大土地所有制度と寡占的土地所有形態が、形態が変わっただけで、現在も実質的に継続したまま現存しており、社会的不平等と格差の問題や、資源の乱開発と言うブラジルの深刻な病根の元凶となっていると言う。
問題は、この大土地植民区を如何に開発すべきかだが、スペイン支配のラテン・アメリカには、沢山のインディオが居たので労働力に不足はなかったが、ブラジルの場合には、ポルトガルとの交易で文明の機器などを手に入れたインディオは取引に興味を失って奥地に入ってしまったので、広大な土地を開発するために、アメリカのように、アフリカから、黒人奴隷を輸入なければならなかったのである。
ラテン系は、混血にはあまり拘らないので、スペイン系ラテン・アメリカには、白人とインディオの混血メスティソが、そして、ブラジルには、白人と黒人の混血ムラート(あのカーニバルで魅力的な女性はムラータ)が多いのは、この移民政策の所為である。
ブラジルにおいては、CAPITANIASにおいて、膨大な黒人やインディオ達が、奴隷労働(slave labor)として、非人間的な過酷な労働を強いられて搾取に搾取を重ねられて、ブラジルの開発が進められて来たのである。
ローターは、このブラジルの奴隷制度は、アメリカが四半世紀前に終えているのに、1888年まで継続し、そして、21世紀の今も、人種差別、貧困、社会的差別、社会的排除などのマイナス遺産として残っており、ブラジルにとっては最悪の呪いだと言っている。
もう一つローターが指摘しているポルトガル人の植民の特色は、金を儲けてすぐに帰国しよう感覚(The get-rich-quick menntality)が、破壊的な習慣と歪んだ経済開発を引き起こしたと言う。
元々、自分の所有地ではないから、出来るだけ多く金を儲けて出来るだけ早く本国へ帰ろうというメンタリティであるから、土地や自然を大切に保護して使用しようと言ったインセンティブが働かなかったので、乱開発が常態であった。
大西洋岸の熱帯雨林は破壊されて、国名に由来のブラジルの木も取り尽くされて、今では、植物園にしかない。
このような近視眼的な行為が、今日のブラジルを苦しめているアマゾンの破壊的乱開発の元凶であると言うのである。
このようなブラジルのブームと破裂の繰り返しパターン(boom-and-bust pattern)は、歴史上延々と続く。
黒人がどのようにしてブラジル社会に同化して行くのかと言った問題をアメリカとの対比で考えたり、CAPITANIASシステムが地方のボス政治の蔓延を来たし如何にブラジルの政治をスキューして来たかなどのブラジルの陰については、後ほど検討することとして、今回は、このくらいにして、次に譲りたいと思う。