熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

佐倉城址公園の晩秋の香り

2011年11月29日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   時々、思い立ったように佐倉城址公園を訪れることがある。
   春の桜シーズンや、秋の紅葉シーズンには、特に休日など、結構沢山の人出で賑わうのだが、普段は、ひっそりとしいて、婦人たちの小グループや、犬を連れた近所の人や、散策をする老夫婦がちらほら見える程度で、寂しいくらいである。
   園内のくらしの植物苑の古典菊展示も終わって、そろそろ、冬支度である。

   何時もなら、紅葉の美しいシーズンなのだが、至って殺風景で、彩が少ない。
   かなり紅葉が密集していて華やかな空堀のもみじが、まだ、青々とくすんで色をしているので、華やかな紅葉は、もう少し先の話になるのであろう。
   茶室の庭のモミジは、大杯であろうか、鮮やかな赤色に染まっていて、大きな葉を広げている。
   しかし、どんよりとした曇り空では、折角の彩が死んでしまって、残念である。
   紅葉は、綺麗な秋晴れの空をバックに、逆光で見るのが一番美しい。

   くらしの植物苑前片側の銀杏並木は、今、美しい。
   2百メートル弱の長さだが、気候条件が違うのか、殆ど葉が散った木もあれば、公園に面した方は、綺麗な黄金色に染まっていて、1本だけ、まだ、緑の葉をつけている木が残っている。
   東大の銀杏並木も、美しい頃であろうか。

   姥が池のスイレンも終わって、葉っぱだけが広がっている。
   池畔に近い枯れ木の塊の上に、4羽のカモが眠っている。
   夫々、頭を反転して体に埋めて、一本足で立って寝ているのだが、鶴もそうだと言うことで、一本足の方が地面にしっかりと固定するのであろうか。

   一本の枯れ木に、烏瓜の赤い大きな実が、沢山ぶら下っている。
   子供の頃に、宝塚の田舎で随分見たのだが、あの頃は、カラスのマクワウリと呼んでいたような気がする。
   卵より少し小さな細長い楕円形の実で、潰して中から種を採り出すと、頭のない奴のような形をしたおかしな形の硬い実なので、良く覚えている。
   打ち出の小槌のような形でもあるので、縁起が良いと言うことで財布に入れるらしい。
   図鑑で調べると、夏に、五弁の白い花をつけて、その花さきに、白くて細い沢山の糸状の紐を伸ばしている。
   葉が枯れて、柿より少し濃い赤色の実だけが、枯れ木に纏わりついているので、木の実のように見える。
   カラスが食べたのか、一つだけ、半分食いちぎられた実が残っていた。

   
   
コメント
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