話は、どちらかと言えば、中村美津子の歌謡曲「瞼の母」で聞いたうろ覚えの印象の方が強いのだが、まだ、芝居も歌舞伎も舞台では見たことがなかったので、日本青年館に出かけて行った。
会場は、どちらかと言えば、質素な場末の劇場と言う感じで、勿論、花道もなければ、定式幕はあるけれども引幕ではなく幕切れは緞帳が降りると言った調子で、一寸、他の歌舞伎の舞台とは違うのだが、全国行脚の公演のようなので、これが似つかわしいのかも知れない。
長谷川伸の作品には、殆ど縁がないのだが、錦之助の映画を見たような気がするし、先月、錦之助の得意としていた一心太助を、甥の獅童が好演していたので、同じ番場の忠太郎を演じるので、何となく、その芸と言うか良く似た雰囲気の舞台が見られるのを楽しみにしていたのである。
それに、母親・水熊のおはまを秀太郎が、そして、妹・お登勢を笑也が演じると言うのであるから、期待がさらに増す。
秀太郎は、ブログで心境を書いていて、以前に話があったのだが、私には出来ないと言って拒み続けていて、あの「女将おはま」非常に難しく、悩んでいます。と言いながら、抵抗を踏み越えて、淡々と芝居が出来るようにならなければならないと言う母の訓戒を思い出して、でも私もいつのまにか七十歳、「そろそろ出来るかな~」と思ってお受けしたのですが…、と言う程の決意の舞台。
それに、猿之助の薫陶を受けた笑也の女形が期待外れの筈がない。
この物語は、忠太郎が、幼い頃に生き別れた母を慕って、追われるヤクザ渡世の身ではあるが、母に会って一言忠太郎と呼ばれたいばっかりに、母を訪ね歩き、江戸でも名のある料理屋「水熊」から突き出されて出て来た夜鷹のおとら(徳松)の話を聞くと、この料亭の女将おはまが、江州出身だと聞き母だと確信する。
母は、どうせ金目当てで名乗り出たヤクザな渡世人と取り合わず、あくまでも息子は死んだと突き放す。長い間会わぬ間に情も薄れており、また、店も繁盛しており、おはまの娘お登世は木綿問屋の若旦那長二郎と近く祝言をあげることになっているのだが、この今の幸せを壊したくない。
必死に思いの丈をかき口説いてすがりつく忠太郎だったが、おはまの「親子の名乗りがしたかったら、堅気の姿で訪ねて来い」と言う一言で、
30年近く思い描いた母への思慕と面影を、無惨にも母親自身に打ち叩き潰された忠太郎は、「笑わしちゃいけないぜ、親にはぐれた小雀が、ぐれたを叱るは無理な話よ、愚痴じゃねえ、未練じゃねえ おかみさん 俺の言うことを良く聞きなせえ 尋ね尋ねた母親に倅と呼んでもらえぬような こんなやくざに誰がした」と、肺腑を抉るような台詞を残して去って行く。
出先から帰って来た妹のお登勢が、兄だと気付いておはまを説得し、やっと、理不尽さに気が付き息子を思って動転するおはまだが、われに返って二人で後を追っかけて、荒川堤で、忠太郎の名前を呼び続ける。
しかし、物陰に隠れて聞いていた忠太郎は、「何が、今更、忠太郎だえ 俺のおっかさんは、俺の心の底にいたんだ 上と下の瞼を合わせりゃ 会わねえ昔のやさしいお母の面影が浮かんでくらあ 逢いたくなったら 俺あ 瞼を閉じるんだ。」と、二人を見過ごして去って行く。
この舞台の前半で、子分の金町の半次郎(宗之介)が、親元に先に逃げ帰っているを、忠太郎が訪ねて行くのだが、追手が半次郎を殺害に来たので逆に切り殺す。
文字が書けない忠太郎が、この人たちを切ったのは忠太郎だと書置きを残すために、半次郎の母親おむら(松之丞)に手を添えて書いて貰うのだが、おむらが、忠太郎の背後から覆いかぶさるように顔を近づけて、左手で肩に手をかけて優しく助けはじめると、忠太郎は、堪らなくなって涙がこみ上げてくる。
母親の愛の縁の薄い忠太郎が、母恋しさに感涙する姿を感じて、手を離したおむらも目頭を押さえて立ち尽くす。
今回の舞台で、前述の夜鷹の徳松も、この松之丞も、そして、三味線を弾く路傍の老婆の蝶紫も、実に、しんみりとした味のある人情味溢れる演技を披露していて感動的であった。
忠太郎は、どうせ、博打で稼いだ金であろうが、会った時に、母が生活に困っていたら渡そうと、100両小判を、肌身離さずに懐に入れていて持っているのだが、原作者の長谷川伸は、徹頭徹尾、母恋しさ一途に思い続けて生き抜いて来た優しい忠太郎像を核にして、移り行く人情の儚さ悲しさを抉り出している。
逢わなけりゃ良かった 泣かずに済んだ これが浮世と言うものか と言う忠太郎の述懐は、泣き笑いの人生を余すところなく語っているような気がする。
昔、中国孤児の話で、今の日本での幸せな生活のみならず、幸せに生きている親族を苦しめたくないと思って、自分の子供だと分かっておりながらも、親子の名乗りが出来ないと言う婦人の話を聞いたことがある。
私が、一時帰国からブラジルから帰国した時に、自分の身内がブラジル移民だと言うことを知られたくないと思い続けて音信不通なのだが、様子を知りたい、ブラジルの話をして欲しい と言って来た老夫婦がいた。
30年も経てば、いくら人情が厚くても、そう簡単に、リセット、プレイバックは、出来ないのかも知れない。
ところで、余談だが、人生の途中には、あの人に会いたい話をしたいと思う人が必ずいる筈なのだが、さて、いざ、会った時に何をどのように話せばよいのか、忠太郎とおはまの会話を見ていて、思ったのだが、後先を考えると、将棋の駒のように、中々読めないのが悩みではある。
最後になったが、獅童の忠太郎は、正に、適役で、颯爽としていて、かつ、しみじみと味のある演技で感動的であったし、秀太郎は、徹頭徹尾考え抜いた会心のおはま像を創り上げたのであろう。
笑也の描く女性像は、後の「お祭り」の芸者もそうだが、演技ではない、どこか生身の女を感じさせてくれる良さがある。
(追記)口絵写真は、歌舞伎美人より借用。
会場は、どちらかと言えば、質素な場末の劇場と言う感じで、勿論、花道もなければ、定式幕はあるけれども引幕ではなく幕切れは緞帳が降りると言った調子で、一寸、他の歌舞伎の舞台とは違うのだが、全国行脚の公演のようなので、これが似つかわしいのかも知れない。
長谷川伸の作品には、殆ど縁がないのだが、錦之助の映画を見たような気がするし、先月、錦之助の得意としていた一心太助を、甥の獅童が好演していたので、同じ番場の忠太郎を演じるので、何となく、その芸と言うか良く似た雰囲気の舞台が見られるのを楽しみにしていたのである。
それに、母親・水熊のおはまを秀太郎が、そして、妹・お登勢を笑也が演じると言うのであるから、期待がさらに増す。
秀太郎は、ブログで心境を書いていて、以前に話があったのだが、私には出来ないと言って拒み続けていて、あの「女将おはま」非常に難しく、悩んでいます。と言いながら、抵抗を踏み越えて、淡々と芝居が出来るようにならなければならないと言う母の訓戒を思い出して、でも私もいつのまにか七十歳、「そろそろ出来るかな~」と思ってお受けしたのですが…、と言う程の決意の舞台。
それに、猿之助の薫陶を受けた笑也の女形が期待外れの筈がない。
この物語は、忠太郎が、幼い頃に生き別れた母を慕って、追われるヤクザ渡世の身ではあるが、母に会って一言忠太郎と呼ばれたいばっかりに、母を訪ね歩き、江戸でも名のある料理屋「水熊」から突き出されて出て来た夜鷹のおとら(徳松)の話を聞くと、この料亭の女将おはまが、江州出身だと聞き母だと確信する。
母は、どうせ金目当てで名乗り出たヤクザな渡世人と取り合わず、あくまでも息子は死んだと突き放す。長い間会わぬ間に情も薄れており、また、店も繁盛しており、おはまの娘お登世は木綿問屋の若旦那長二郎と近く祝言をあげることになっているのだが、この今の幸せを壊したくない。
必死に思いの丈をかき口説いてすがりつく忠太郎だったが、おはまの「親子の名乗りがしたかったら、堅気の姿で訪ねて来い」と言う一言で、
30年近く思い描いた母への思慕と面影を、無惨にも母親自身に打ち叩き潰された忠太郎は、「笑わしちゃいけないぜ、親にはぐれた小雀が、ぐれたを叱るは無理な話よ、愚痴じゃねえ、未練じゃねえ おかみさん 俺の言うことを良く聞きなせえ 尋ね尋ねた母親に倅と呼んでもらえぬような こんなやくざに誰がした」と、肺腑を抉るような台詞を残して去って行く。
出先から帰って来た妹のお登勢が、兄だと気付いておはまを説得し、やっと、理不尽さに気が付き息子を思って動転するおはまだが、われに返って二人で後を追っかけて、荒川堤で、忠太郎の名前を呼び続ける。
しかし、物陰に隠れて聞いていた忠太郎は、「何が、今更、忠太郎だえ 俺のおっかさんは、俺の心の底にいたんだ 上と下の瞼を合わせりゃ 会わねえ昔のやさしいお母の面影が浮かんでくらあ 逢いたくなったら 俺あ 瞼を閉じるんだ。」と、二人を見過ごして去って行く。
この舞台の前半で、子分の金町の半次郎(宗之介)が、親元に先に逃げ帰っているを、忠太郎が訪ねて行くのだが、追手が半次郎を殺害に来たので逆に切り殺す。
文字が書けない忠太郎が、この人たちを切ったのは忠太郎だと書置きを残すために、半次郎の母親おむら(松之丞)に手を添えて書いて貰うのだが、おむらが、忠太郎の背後から覆いかぶさるように顔を近づけて、左手で肩に手をかけて優しく助けはじめると、忠太郎は、堪らなくなって涙がこみ上げてくる。
母親の愛の縁の薄い忠太郎が、母恋しさに感涙する姿を感じて、手を離したおむらも目頭を押さえて立ち尽くす。
今回の舞台で、前述の夜鷹の徳松も、この松之丞も、そして、三味線を弾く路傍の老婆の蝶紫も、実に、しんみりとした味のある人情味溢れる演技を披露していて感動的であった。
忠太郎は、どうせ、博打で稼いだ金であろうが、会った時に、母が生活に困っていたら渡そうと、100両小判を、肌身離さずに懐に入れていて持っているのだが、原作者の長谷川伸は、徹頭徹尾、母恋しさ一途に思い続けて生き抜いて来た優しい忠太郎像を核にして、移り行く人情の儚さ悲しさを抉り出している。
逢わなけりゃ良かった 泣かずに済んだ これが浮世と言うものか と言う忠太郎の述懐は、泣き笑いの人生を余すところなく語っているような気がする。
昔、中国孤児の話で、今の日本での幸せな生活のみならず、幸せに生きている親族を苦しめたくないと思って、自分の子供だと分かっておりながらも、親子の名乗りが出来ないと言う婦人の話を聞いたことがある。
私が、一時帰国からブラジルから帰国した時に、自分の身内がブラジル移民だと言うことを知られたくないと思い続けて音信不通なのだが、様子を知りたい、ブラジルの話をして欲しい と言って来た老夫婦がいた。
30年も経てば、いくら人情が厚くても、そう簡単に、リセット、プレイバックは、出来ないのかも知れない。
ところで、余談だが、人生の途中には、あの人に会いたい話をしたいと思う人が必ずいる筈なのだが、さて、いざ、会った時に何をどのように話せばよいのか、忠太郎とおはまの会話を見ていて、思ったのだが、後先を考えると、将棋の駒のように、中々読めないのが悩みではある。
最後になったが、獅童の忠太郎は、正に、適役で、颯爽としていて、かつ、しみじみと味のある演技で感動的であったし、秀太郎は、徹頭徹尾考え抜いた会心のおはま像を創り上げたのであろう。
笑也の描く女性像は、後の「お祭り」の芸者もそうだが、演技ではない、どこか生身の女を感じさせてくれる良さがある。
(追記)口絵写真は、歌舞伎美人より借用。