熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

鎌倉市民大学で「ブラジル経済」を語る

2011年11月13日 | 生活随想・趣味
   久しぶりに、講演の機会を頂いて、鎌倉市の市民大学で、「ブラジル経済について語る」と言う演題で講演を行った。
   「BRIC’s経済について語る」の第一弾目の講演なのだが、やはり、BRICsの中では、中国、インドなどと比べて現地での経営実務経験者が少ないので、私などにお鉢が回って来たのであるが、同時に、今月末から、3回にわたって大学でブラジルについて講義を持つことになっているので、これ幸いと、年初から積極的にブラジルについて勉強して来た。
   私がブラジルに駐在していたのは、「ブラジルの奇跡」で大ブームに沸いていた前後の1970年代後半なので、その後、10数年、永住ビザ維持のために訪伯したにしても、随分前の話なのではあるが、確かに、時代の流れが激しいので激変しているであろうと思いきや、ブラジルの特質と言うか、ブラジルそのものは、良さも悪さもそのまま残っていて、殆ど変っていないことに気付いたのである。

   このブログで連載している「BRIC’sの大国ブラジル」も、その勉強の一環として、講義資料をも意図して書き続けて来たものなのだが、長い間ブラジルに駐在していたアメリカ人ジャーナリストの目から見た辛口ブラジル論を下敷きにして、私なりの解釈を加えてブラジルを語りたいと思った。
   BRIC’sの中でも、最も知られていないのがブラジルなのだが、日本語で出ている良質なブラジル本は殆どないし、私が読んで勉強したのは、アメリカで書かれた学者やジャーナリストの専門書や、ロンドンのエコノミストやニューヨークタイムズなどメディアの特集やアーカイブ記事などと言った英米の資料が大半で、参考にさせて頂いた日本の資料は、金七紀男教授の「ブラジル史」、鈴木孝憲氏のブラジル経済関連の2冊、そして、ジェトロ関連の資料やDATA程度である。

   ブラジルへの日系企業の進出の走りは、1950年代のイシブラス、ウジミナス、トヨタなどで、次いで、1960年代から1970年代の初めにかけて、「ブラジルの奇跡」で沸く大ブームに多くの日系企業がブラジルに殺到したのだが、石油危機で一気に経済が悪化すると、殆どの企業が撤退して、その後の日本の好景気でブラジルとの経済関係が下火になってしまった。
   ところが、ブラジルは、1994年のカルドーゾ大統領のレアルプランで、一気にハイパーインフレを克服して経済を起動に乗せて門戸を海外に開いて躍進を始めたのだが、欧米企業は大挙してブラジルに進出したものの、悲しいかな、日本企業は、バブル崩壊後の失われた10年に呻吟してブラジルどころではなかった。
   結局、BRIC’sと脚光を浴び始めた今世紀に入って、やっと、日本企業が、ブラジル市場に目を向け始めたのだが、欧米企業と比べれば、2歩も3歩も遅れており、資源確保のために猛烈な攻勢をかけている中国や韓国にも、はるかに及ばない。

   私は、農業生産の拡大が可能なBRIC’Sなり新興国は、ブラジル以外にはないと思っているし、鉄鉱など鉱業や天然資源の豊かさはほぼ無尽蔵で、高度な工業国でもあり、農業・鉱業・工業三拍子揃っているのは、ブラジルだけで、日本経済にとって、最も補完関係を享受しながら経済協力をして共存共栄して行ける国だと思っているので、BRIC’sの中でも、中国やインド、ロシアにばかり向いて、日本の官民ともにブラジルに対して消極的で無関心なのを非常に奇異に感じており、心配している。
   距離の問題以外に、ブラジルは、ラテンアメリカの国で、法社会の英米と違って法律や契約など順法精神が緩いアミーゴの国なので、ビジネス慣行などの違いや多くのブラジルコストの問題など、中々、馴染みにくい障害もあるのだが、幸いなことに、日本に理解のある日系ブラジル人が、150万人住んでいて、学歴水準も非常に高く多くの分野で活躍していて、助力や有効な助言サポートを期待出来ると言う素晴らしい財産が存在している。
   私がブラジルに駐在していた頃には、南米銀行やコチア農業組合など日系ブラジル人の企業や団体が活躍していて、ガルボンブエノの日本人街が活況を呈していたが、今では消えてしまったり見る影もないと言うのだが、これも、日本政府や日系企業のサポート欠如の結果であり、悲しい限りである。

   私は、今回の講演で、エタノール開発やガソリンでもエタノールでも走るフレックス車、プレサルの深海油田、アマゾンの環境問題、高騰するレアル通貨の問題などカレントピックスについても話した。
   しかし、経済については、やはり、ブラジル経済のアキレス腱であったハイパーインフレを終息させたレアルプランあってこそのブラジル経済だと思っているので、レアルプラン以降の経済について詳述し、その後の、固定相場制から変動相場制、インフレターゲット、そして、財政責任法の実施によるプライマリーバランス堅持の3本柱が如何にブラジル経済を支えたか、そして、ルーラ政権による貧困撲滅運動と貧民救済のボルサファミリア政策が如何に所得水準と市場経済を嵩上げに貢献したかなど、ブラジル経済の暗部も含めて、光と陰を語りながら、BRIC’sとして注目を浴びる今日のブラジルを語ろうと努力した。

   しかし、ブラジルの経済を語ることも大切だが、本当のブラジルを出来るだけ知ってもらおうと、講義時間のほぼ半分を、大航海時代のポルトガルから説き起こして、何故、ラテンアメリカで、ブラジルだけがポルトガル語で、そして、他の国は、原住民インディオとの混血が多いのだが、ブラジルは、黒人との混血のムラトが多いのか、カーニバルからペレの話と言った卑近な例から、砂糖、金、コーヒー、ゴムと言ったモノカルチュア経済の内幕や歴史を交えながら、オランダ病との関連で工業政策を論じたり、ブラジルの歴史や文化・文明などを語ることに費やした。

   ぶっつけ本番の2時間だったが、私としては、短時間に多くのトピックスを詰め込み過ぎたので、多少消化不良のきらいがして、お役に立ったかどうかは自信はないのだけれど、やはり、民度の高い鎌倉であり、寛容な皆さまに、有難くも熱心に聴いて頂き、ほぼ、及第点を頂いたようで、ほっとしていると言うのが正直なところである。
   何よりも、このような機会を与えて頂き、貴重な時間を共にして頂いた鎌倉の皆様には心から感謝している。
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