熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

顔見世大歌舞伎・・・菊五郎の「魚屋宗五郎」

2011年11月07日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の歌舞伎は、愈々、顔見世、そして、尾上梅幸と尾上松緑の追善興行である。
   したがって、演目も、二人や音羽屋に縁の深い舞台ばかりで、当然のこととして、菊五郎、菊之助、松緑が、メインとなって、晴れやかで華麗な舞台が展開されている。
   この口絵写真も、劇場内に展示されていた梅幸と二世松緑の舞台姿なのだが、時代の流れか、役者の体型も世の流れも変わってくると、雰囲気も大分違うのではなかろうかと思いながら見ていた。
   
   私にとっては、物語のある舞台の方が性に合っているので、今回の河竹黙阿弥作の「魚屋宗五郎」と「髪結新三」の方に興味があって、正に、脂の乗り切った菊五郎のタイトルロールの至芸とも言うべき素晴らしい舞台に感激しきりで、鑑賞させて貰った。

   まず、魚屋宗五郎だが、『新皿屋敷月雨暈』と言う分かり難い題名だが、播州や番町の皿屋敷伝説を踏まえた物語。
   冒頭、芝神明社の祭りの日、魚屋を営む宗五郎(菊五郎)の家は喪中で悲嘆に暮れている。宗五郎の妹お蔦が、旗本磯部家へ奉公に上がり殿様の妾となっていたのだが、不義の疑いを掛けられて殺されたのである。ところが、お蔦の朋輩のおなぎ(菊之助)が、その疑いは全くの濡れ衣だったと真相を語る。それを聞いた宗五郎は無念の思いを押さえ切れず、自らの禁酒の誓いを破っておなぎの持って来た酒樽に手をつけて飲み乾し泥酔してしまい、酒が入ると暴れだす性質の宗五郎は、女房おはま(時蔵)が止めるのも聞かず、角樽片手に磯部の屋敷へ暴れ込んで行く。磯部邸に乗り込んだ宗五郎は、酒の勢いに任せて、大暴れして縛られるのだが、お蔦が嬲り殺しにされた無念極まりない胸の内を家老浦戸十左衛門(左團次)に訴えて、酔いが回って寝込んでしまう。十左衛門の計らいで、登場した磯部主計之助(三津五郎)が手をついて丁重に謝って幕。

   河竹黙阿弥作の世話物で、面白い芝居だが、髪結新三もそうだが、あの松本清張の多くの小説のように、最後の詰めが甘くて、肩透かしを交わされたような感じがして後味が悪い。
   お蔦が殺されたのは、磯部家の用人の息子岩上典蔵が、お蔦を手込めにしようとしたが失敗し、悲鳴を聞きつけて駆けつけた家老の弟浦戸紋三郎に罪をなすりつけ、不義呼ばわりするのだが、ここまでは兎も角も、酒乱に近い短慮な磯部が、良く真相を調べもせずに、怒りに任せて、お蔦を切り殺す。
   この磯部が、歌舞伎の舞台では、何を思ったのか、徳川の将軍様よりも威厳と品格を備えた高邁なお殿様然として登場し、悪いのは、バカで悪辣な家来に騒動を起こされているにも拘わらず統治能力がなく、短慮でお蔦を切り捨てた自分が諸悪の根源でありながら、典蔵の成敗を約しただけで幕引きを図る。
   酒が覚めて正気に戻った宗五郎も、手討ちになるかと覚悟を決めて萎れ切っているのだが、殿に謝られて、弔問金も貰い、父の太兵衛には二人扶持を賜り、敵討ちも約束してくれたので、宗五郎も溜飲を下げたという、いかにも、庶民を食ったハッピーエンド(?)の結末なのだが、私は、磯部の理想的な殿さま扱いと、宗五郎の卑屈とも言うべき小市民化してしまった姿のどんでん返しが納得できない。
   江戸時代ならともかくも、1883(明治16)年に市村座での初演なのである
   河内山宗俊に脅し上げられて、臍を噛む松江出雲守の方が、余程、真実味のある殿さまだと思っている。

   それはさて置き、とにかく、菊五郎は、実に上手いし、味のある演技で聴衆を感動させてくれる。
   特に、お蔦の死の真実を知って、どうにもこうにも悔しさと憤りに堪えられなくなってしまって、禁酒の誓いを破って、一口口をつけてから、女房おはまや小奴三吉(松緑)の止めるのも聞かずに、どんどん、騙し賺して飲み進んで行き、酒乱と化して行く芸の確かさは秀逸で、最初から最後まで、芸の流れの澱みが全くない。
   私など、鈍感故に人の折角の好意に気が付かずに遣り過ごして、後で気が付いて後悔で眠れないと言ったことがあるが、宗五郎の場合は、正に、断腸の悲痛。
   冒頭に、父親の太兵衛(團蔵)が、お屋敷へ乗り込むと息巻いていたのを、殿様から頂いた支度金で一家の借金が返せたと父親をなだめていた宗五郎だが、その宗五郎が、怒り心頭。この芝居は、宗五郎の人間としての心の叫びがテーマなのであろうが、酒の酔いでしか、うっぷんを晴らせない庶民の悲しい性を黙阿弥が描きたかったのかも知れないが、私としては、先にも触れたように、権威に対して、もう少し毅然とした姿勢であっても良いのではないかと思っている。

   前に、同じ菊五郎の宗五郎で見た時には、確か、おはまは、玉三郎であった。
   玉三郎が、化粧を落として庶民のおかみさんをやると、その落差が激しいのだが、時蔵になると、大分、雰囲気がしっくりと来て、菊五郎との相性が良い所為か、ポンポン対応するテンポとリズミ感が軽快で心地よく、最後の庭先で弔問金を貰うか貰わないかで逡巡する宗五郎に、貰ったらと指図するあたりの些細なことにしても呼吸の確かさは流石で、菊五郎の宗五郎に対する夫唱婦随ぶりが光っていた。
   松緑の三吉と、菊之助のおなぎは、恰好の適役で、水を得た魚のごとくと言ったところで、若くて瑞々しい演技が爽やかである。
   三津五郎の磯部は、素晴らしいお殿様ぶりだが、前述したように、この舞台では仕方がないかも知れないが、あのような風格のある磯部像が果たして正しい姿なのかどうか、私には、疑問が残った。
   團蔵の父太兵衛は、もう少し老たけた雰囲気が欲しい。菊五郎との芸の差が有り過ぎて、影が薄くなったのが惜しい。
   家老の左團次は、何時もながらの適役。
   やはり、顔見世の素晴らしい舞台であった。
コメント
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