「新興国市場の虚構を暴く」と銘打ち、帯に「BRIC’sは本当に希望の星なのか?強欲欧米人、経済メディアにだまされるな!」「盛りを過ぎた中華人民共和国、いまだに飢えにあえぐインド・・・BRICs神話は欧米人がつくりあげた幻想だ!ハイパーインフレの犠牲になる哀れな子羊たち」と大書した、非常に挑発的な井手達の本だが、読んでみれば、納得できなくても、非常に示唆に富んでいて、面白い。
ダボスの世界経済フォーラムの「More Credit with Fewer Crises」、すなわち、マネーサプライを激増して危機を回避せよと言うタイトルに噛み付き、現在国際経済を覆う凄まじい景気後退は、信用の過剰供給が引き起こしたもので、我田引水が過ぎるとして、この会議を、自分たちの利権を擁護しながら、世界経済が直面する課題について物分りの良い振りをするだけの体の良いお祭り騒ぎだと説く。
今回の先進国による急激な信用膨張は、欧米諸国はなんとか穏やかなインフレ程度にとどめて、大半、アジア・アフリカ・中南米諸国や新興国に押し付けて、ハイパーインフレに持ち込んで、これに便乗して、自分たちの債務を軽減しようとする魂胆が見え見えだと言う。
一見コワモテのBRICs四か国は、問題山積の途上国であって、決して怖くなくて、二枚舌の欧米知識人たちによって、ハイパーインフレの舞台にされて、国民経済を無茶苦茶にされようとしている哀れな子羊のような国々なのだと言うのである。
アメリカの国益は、インフレによって、その分、借金棒引きになることだと言う論理は至極ご尤もで、ドルの通貨発行益(シニョレッジ)で既に膨大な利得を得ており、それに、表には出せない退蔵されているアングラマネーなどを計算に入れても、輪転機で刷りに刷ったアメリカのドルによる基軸通貨益は、計り知れないものがあるのだが、著者の、欧米知的エリートに対する激しい憎悪は留まるところを知らない。
欧米の植民地政策が如何に過酷で熾烈であったか、その怖さ恐ろしさを語りながら欧米批判をしているのだが、ヨーロッパでは、特に、フランスに対して厳しい。
それらに比べれば、BRICsは表面だけつくろっている落第国家だが、政治・経済・社会の実権を知的エリートが完全に掌握している欧米諸国のような悪辣さがないのが救いだと言うことである。
この欧米の植民政策での悪行蛮行など非文明的な歴史については、私自身も全く異存はないのだが、あっちこっちで頭を打ちながら苦しみぬいて、その苦難の道を歩んできた故に、現在の公序良俗を重視したコモンセンスなり成熟した市民社会が生まれ、また、イギリスなどの議会制民主主義などが定着して来たなど、世界全体が民主化への道を少しずつ歩んでいるのだから、一概に、十羽一絡げで、欧米の知的エリートはと言って、切って捨てるのはどうかと思っている。
それに、アメリカや日本の急激な異常とも言うべき信用膨張が、BRICsのハイパーインフレを引き起こすとは思えないし、よしや、なるとしても、それは、著者のいうように欧米の知的エリートが仕組んだものではなく、結果であって、早い話が、現在のユーロ危機や米国経済の悪化で、一気に、新興国から資金が引き上げられているように、その過剰資金は、世界を循環し続けるのであって、必ずしも、新興国のインフレ要因になるとは限らない。
BRICsが、実力以上に持ち上げられているのは幻想だと言う理論展開だが、著者の中国論で考えてみたい。
中国は過剰貯蓄と過剰投資の国だと言う。
普通の国なら、国民の貯蓄の対GDP比率は、20%程度だが、中国は、2007年に50%を突破している。
この異常に高い貯蓄率は、定期預金の金利が一貫してインフレ率より低く、7年もの国債の表面金利もインフレ率を下回っており、貯蓄がどんどん目減りして行くと言う異常現象下で起こっているのだから、実態は共産党政府の統制経済で強制的に吸い上げられていて、その潤沢なカネを投資に「活用」する形で、国民経済全体が成長を維持していると言う、上げ底を通り越して、ほぼ、完全な幻想を作り出し続けていると言うのである。
ところが、この潤沢な資金を使って、製造業各社が年率20%台半ばの投資を続けているにも拘わらず、付加価値増加率は年率13%にしか過ぎない。
これは、まだ使用可能な設備を、加速廃棄更新したり、生産活動に寄与しない資本と労働を食いつぶすゾンビ・ごく潰し企業を淘汰せずに温存しているためだろうと言う。
こう言った建設費や解体費の二重投資と言う資源の浪費を奨励するような制度に基づいて、毎年かなりの額の投資が国民生活を豊かにするのではなく、法律上の抜け道として無駄遣いされると言う計画的な浪費が、巨額のGDPに結実して、年率9%や10%の経済成長を実現していると言うのである。
穴を掘って埋め戻したり、無意味なピラミッドを作るだけでも経済成長すると言う、あのケインズ政策のパロディ版であろうか。
著者の論点で、非常に興味深いのは、「日本こそ世界で唯一の真正大衆国家」だと言う理論である。
欧米では有り得ない程凡庸で暗愚な人間たちが、政治、経済、文化の枢要を占めているにも拘わらず、審美眼でも財力でも世界最高レベルの大衆あればこそ、日本は、人類史上初めて真の大衆社会を築きあげることが出来たのであって、次世代の経済覇権は、平和主義で内向的な日本が必ず握ると言う。
欧米の知的エリートが、日本のような真正大衆国家が欧米に伝播するのを最大の恐怖と感じており、「打倒日本」願望故に、日本没落論を展開しているのであって、最早日本には勝てないから、中国などBRICsに望みを託しているのだと言うのである。
ヨーロッパは金融で、アメリカとBRICsはエネルギー効率で勝手に没落して行くので、金融で大けがにはならなそうなので、エネルギーを経済活動に変換する効率は世界一に日本の地位は、望まなくても自然に高まらざるを得ない、と言った調子で、この本は、増田節の日本礼賛論に満ちていて面白い。
全編、非常にユニークな視点からのBRICs論であり、文明論でもあり、啓発される点も多かった。
しかし、現実の日本を見ていると、著者の言うように、日本が最先端を行く価値ある真正大衆国家だとも思えないし、欧米の知的エリートが目論んでいるインフレから日本は遠いと言って、現下の深刻なデフレを喜んでいる訳にも行かないし、弱り目に祟り目、衰弱し活力をなくしてしまったような日本の姿ばかりが気になって仕方がないのが、正直なところである。
ダボスの世界経済フォーラムの「More Credit with Fewer Crises」、すなわち、マネーサプライを激増して危機を回避せよと言うタイトルに噛み付き、現在国際経済を覆う凄まじい景気後退は、信用の過剰供給が引き起こしたもので、我田引水が過ぎるとして、この会議を、自分たちの利権を擁護しながら、世界経済が直面する課題について物分りの良い振りをするだけの体の良いお祭り騒ぎだと説く。
今回の先進国による急激な信用膨張は、欧米諸国はなんとか穏やかなインフレ程度にとどめて、大半、アジア・アフリカ・中南米諸国や新興国に押し付けて、ハイパーインフレに持ち込んで、これに便乗して、自分たちの債務を軽減しようとする魂胆が見え見えだと言う。
一見コワモテのBRICs四か国は、問題山積の途上国であって、決して怖くなくて、二枚舌の欧米知識人たちによって、ハイパーインフレの舞台にされて、国民経済を無茶苦茶にされようとしている哀れな子羊のような国々なのだと言うのである。
アメリカの国益は、インフレによって、その分、借金棒引きになることだと言う論理は至極ご尤もで、ドルの通貨発行益(シニョレッジ)で既に膨大な利得を得ており、それに、表には出せない退蔵されているアングラマネーなどを計算に入れても、輪転機で刷りに刷ったアメリカのドルによる基軸通貨益は、計り知れないものがあるのだが、著者の、欧米知的エリートに対する激しい憎悪は留まるところを知らない。
欧米の植民地政策が如何に過酷で熾烈であったか、その怖さ恐ろしさを語りながら欧米批判をしているのだが、ヨーロッパでは、特に、フランスに対して厳しい。
それらに比べれば、BRICsは表面だけつくろっている落第国家だが、政治・経済・社会の実権を知的エリートが完全に掌握している欧米諸国のような悪辣さがないのが救いだと言うことである。
この欧米の植民政策での悪行蛮行など非文明的な歴史については、私自身も全く異存はないのだが、あっちこっちで頭を打ちながら苦しみぬいて、その苦難の道を歩んできた故に、現在の公序良俗を重視したコモンセンスなり成熟した市民社会が生まれ、また、イギリスなどの議会制民主主義などが定着して来たなど、世界全体が民主化への道を少しずつ歩んでいるのだから、一概に、十羽一絡げで、欧米の知的エリートはと言って、切って捨てるのはどうかと思っている。
それに、アメリカや日本の急激な異常とも言うべき信用膨張が、BRICsのハイパーインフレを引き起こすとは思えないし、よしや、なるとしても、それは、著者のいうように欧米の知的エリートが仕組んだものではなく、結果であって、早い話が、現在のユーロ危機や米国経済の悪化で、一気に、新興国から資金が引き上げられているように、その過剰資金は、世界を循環し続けるのであって、必ずしも、新興国のインフレ要因になるとは限らない。
BRICsが、実力以上に持ち上げられているのは幻想だと言う理論展開だが、著者の中国論で考えてみたい。
中国は過剰貯蓄と過剰投資の国だと言う。
普通の国なら、国民の貯蓄の対GDP比率は、20%程度だが、中国は、2007年に50%を突破している。
この異常に高い貯蓄率は、定期預金の金利が一貫してインフレ率より低く、7年もの国債の表面金利もインフレ率を下回っており、貯蓄がどんどん目減りして行くと言う異常現象下で起こっているのだから、実態は共産党政府の統制経済で強制的に吸い上げられていて、その潤沢なカネを投資に「活用」する形で、国民経済全体が成長を維持していると言う、上げ底を通り越して、ほぼ、完全な幻想を作り出し続けていると言うのである。
ところが、この潤沢な資金を使って、製造業各社が年率20%台半ばの投資を続けているにも拘わらず、付加価値増加率は年率13%にしか過ぎない。
これは、まだ使用可能な設備を、加速廃棄更新したり、生産活動に寄与しない資本と労働を食いつぶすゾンビ・ごく潰し企業を淘汰せずに温存しているためだろうと言う。
こう言った建設費や解体費の二重投資と言う資源の浪費を奨励するような制度に基づいて、毎年かなりの額の投資が国民生活を豊かにするのではなく、法律上の抜け道として無駄遣いされると言う計画的な浪費が、巨額のGDPに結実して、年率9%や10%の経済成長を実現していると言うのである。
穴を掘って埋め戻したり、無意味なピラミッドを作るだけでも経済成長すると言う、あのケインズ政策のパロディ版であろうか。
著者の論点で、非常に興味深いのは、「日本こそ世界で唯一の真正大衆国家」だと言う理論である。
欧米では有り得ない程凡庸で暗愚な人間たちが、政治、経済、文化の枢要を占めているにも拘わらず、審美眼でも財力でも世界最高レベルの大衆あればこそ、日本は、人類史上初めて真の大衆社会を築きあげることが出来たのであって、次世代の経済覇権は、平和主義で内向的な日本が必ず握ると言う。
欧米の知的エリートが、日本のような真正大衆国家が欧米に伝播するのを最大の恐怖と感じており、「打倒日本」願望故に、日本没落論を展開しているのであって、最早日本には勝てないから、中国などBRICsに望みを託しているのだと言うのである。
ヨーロッパは金融で、アメリカとBRICsはエネルギー効率で勝手に没落して行くので、金融で大けがにはならなそうなので、エネルギーを経済活動に変換する効率は世界一に日本の地位は、望まなくても自然に高まらざるを得ない、と言った調子で、この本は、増田節の日本礼賛論に満ちていて面白い。
全編、非常にユニークな視点からのBRICs論であり、文明論でもあり、啓発される点も多かった。
しかし、現実の日本を見ていると、著者の言うように、日本が最先端を行く価値ある真正大衆国家だとも思えないし、欧米の知的エリートが目論んでいるインフレから日本は遠いと言って、現下の深刻なデフレを喜んでいる訳にも行かないし、弱り目に祟り目、衰弱し活力をなくしてしまったような日本の姿ばかりが気になって仕方がないのが、正直なところである。