インターネットを見ていたら、慶應大学での売り上げNo.1の本は、漫画であると言う記事が載っていて、大体、どこの大学でも、学生間のベストセラーは、漫画だとか、試験や資格取得のためのノウハウ本だとかと言った実利的、安直な本が多くなったと言うことである。
他のブログでも、慶應と早稲田の生協のベストセラーは、漫画だと公表されていたが、それに、学生が読む本の平均が、月1.4冊だと言うことであるから、我々が学生であった頃の読書傾向と大いに違っていて興味深い。
先日、地下鉄の中で、ビル・クリントンの新著「BILL CLINTON Back to Work」を読んでいたら、隣に座ったパリッとスーツで決めた若いビジネスマン(?)が、徐に、厚い漫画雑誌をカバンから取り出して読み始めたので、私は、日経ビジネスに切り替えた。
この私の行動が良いか悪いかは別にして、最近、若い男性が、電車の中で、漫画を読んでいる姿をよく見かけるのだが、逆に、若い女性が、日経新聞を読んでいるのに出くわすことが多いのと、対照的で面白い。
私は、孫に、学習漫画「日本の歴史」を買ってやっているが、「全国学校図書館協議会」と「日本子どもの本研究会」の選定図書であり、東大教授などの歴史学者の監修であり、中身を見てもかなり高度で、分かり易いのだが、マルクスの「資本論」スミスの「国富論」などが、どこまで、漫画本でフォローできるのか難しいであろうと思う。
しかし、本屋の店頭でパラパラ見てみたが、漫画雑誌の多くは、それ程高度で知的満足を与えてくれるようには思えないし、競馬新聞を持っていた御仁の読んでいた漫画雑誌を、ちらりと覗きこんだら、赤面せざるを得なかったのだが、いずれにしろ、同じ絵であっても、漫画本の絵は、美術館の絵のような知的美的感覚を満足させてくれるようなものを期待するのは無理であろうと思う。
漫画と言うか、アニメと言うか、このジャンルの本や絵やグッズなどが、欧米で大変な人気を博して、若者たちの関心を集めていると言うことであり、ジャパン・クール人気の一角を占めていると言うことで、誇るべき日本文化なのかどうかは、私には分からないが、某総理が漫画好きでゴルゴ13に入れあげて、漫画館と言うか、国家施設を作ろうとした国であるから、とにかく、日本の今様文化の発露なのであろうは思っている。
それに、比較的程度の高い専門書的な本は、元々、売れる部数も少なくて、漫画や一世を風靡したようなベストセラー小説などは、販売部数も格段に多いのだから、比率的にも、ベストセラーに躍り出るのは必然だと考えてもおかしくないので、気にすることもないのかも知れない。
大体、新聞や書店のベストセラー・ランク表も、ジャンル別だし、いくら売れても、漫画本などは、勘定に入れていないのである。
私に言えることは、同じものを、物語で読む場合でも、或いは、専門的に勉強する場合でも、私は、漫画本ではなく、活字本で読みたいと思うし、漫画で扱うようなジャンルの本には興味がないし、漫画を読むことはないであろうと言うことだけである。
私が問題にしたいのは、安直な直観感覚で読める漫画云々よりも、むしろ、学生の読書量の少なさの方である。
インターネットなどを筆頭に多くの手段があるので、本だけに拘ることもないとは思うのだが、それでは、何でもって、人格や教養を磨いたり、また、質の高い知的美的満足を得るのであろうかと言うことである。
私は、先達の叡智が凝縮された書物程、素晴らしいものはないと思っているし、その素晴らしさの片鱗にでも触れて、感動することが、如何に幸せかを知っているので、本を読むことが、自分を磨くためには、一番良いことだと思っている。
先日、大学生に、試験の時に、教授が教えたことを出来るだけ正確に回答した方が良い成績を貰えるのかと聞いたら、そうだと言っていたので、知識だけを叩き込んだコピー学生ばかりを生み出す大量生産時代のスペアパーツ製造教育から一歩も進んでいないことを知って愕然とした。
欧米では、教授の教えたことだとか、教科書や参考書等から得た知識だけでは最低限の要求さえ満たしておらず、貴方はどう考えるのかを求められており、自分でさらに考えて付加価値を付けて回答しなければ合格点は貰えない。
私は、京都の学生の時には、授業に出たことのない科目でも、学生団体が売っていた講義ノートを買って受験して単位を取った経験があるのだが、アメリカでのビジネス・スクールでは、毎日、100ページ以上もあるリーディング・アサインメントをこなすなど膨大な専門書や資料を読み続けたし、他の専門書なども含めて、2年間に大変なボリュームの本を読んできたので、今もその習性が続いている。
本を読めば読むほど、どんどん、問題意識や興味の対象が広がって行くので、次から次へ読み続けると言う連鎖反応が起こるので、止められないと言うのが正直なところである。
手元に、サミュエル・スマイルズの「自助論 Self-Help」がある。
当時、慶應大学の創始者福澤諭吉の「学問のすゝめ」とともに、最も読まれた本だと言う「人生指針の書」と言うことだが、本について、「本は少なくともいい、とにかく「一流」を繰り返し読む」とか、「「暇つぶし」の本が一生を決めることも」と言ったサブ・タイトルがある。
文章の全体や後先を考えないと誤解を招くのだが、ここで言っている本は、一流の本のことで、とにかく、良書に接することや良書の効能を述べていることは間違いがない。
とにかく、自分を磨くためには、良書を求めて本を読めと言うことであろう。
他のブログでも、慶應と早稲田の生協のベストセラーは、漫画だと公表されていたが、それに、学生が読む本の平均が、月1.4冊だと言うことであるから、我々が学生であった頃の読書傾向と大いに違っていて興味深い。
先日、地下鉄の中で、ビル・クリントンの新著「BILL CLINTON Back to Work」を読んでいたら、隣に座ったパリッとスーツで決めた若いビジネスマン(?)が、徐に、厚い漫画雑誌をカバンから取り出して読み始めたので、私は、日経ビジネスに切り替えた。
この私の行動が良いか悪いかは別にして、最近、若い男性が、電車の中で、漫画を読んでいる姿をよく見かけるのだが、逆に、若い女性が、日経新聞を読んでいるのに出くわすことが多いのと、対照的で面白い。
私は、孫に、学習漫画「日本の歴史」を買ってやっているが、「全国学校図書館協議会」と「日本子どもの本研究会」の選定図書であり、東大教授などの歴史学者の監修であり、中身を見てもかなり高度で、分かり易いのだが、マルクスの「資本論」スミスの「国富論」などが、どこまで、漫画本でフォローできるのか難しいであろうと思う。
しかし、本屋の店頭でパラパラ見てみたが、漫画雑誌の多くは、それ程高度で知的満足を与えてくれるようには思えないし、競馬新聞を持っていた御仁の読んでいた漫画雑誌を、ちらりと覗きこんだら、赤面せざるを得なかったのだが、いずれにしろ、同じ絵であっても、漫画本の絵は、美術館の絵のような知的美的感覚を満足させてくれるようなものを期待するのは無理であろうと思う。
漫画と言うか、アニメと言うか、このジャンルの本や絵やグッズなどが、欧米で大変な人気を博して、若者たちの関心を集めていると言うことであり、ジャパン・クール人気の一角を占めていると言うことで、誇るべき日本文化なのかどうかは、私には分からないが、某総理が漫画好きでゴルゴ13に入れあげて、漫画館と言うか、国家施設を作ろうとした国であるから、とにかく、日本の今様文化の発露なのであろうは思っている。
それに、比較的程度の高い専門書的な本は、元々、売れる部数も少なくて、漫画や一世を風靡したようなベストセラー小説などは、販売部数も格段に多いのだから、比率的にも、ベストセラーに躍り出るのは必然だと考えてもおかしくないので、気にすることもないのかも知れない。
大体、新聞や書店のベストセラー・ランク表も、ジャンル別だし、いくら売れても、漫画本などは、勘定に入れていないのである。
私に言えることは、同じものを、物語で読む場合でも、或いは、専門的に勉強する場合でも、私は、漫画本ではなく、活字本で読みたいと思うし、漫画で扱うようなジャンルの本には興味がないし、漫画を読むことはないであろうと言うことだけである。
私が問題にしたいのは、安直な直観感覚で読める漫画云々よりも、むしろ、学生の読書量の少なさの方である。
インターネットなどを筆頭に多くの手段があるので、本だけに拘ることもないとは思うのだが、それでは、何でもって、人格や教養を磨いたり、また、質の高い知的美的満足を得るのであろうかと言うことである。
私は、先達の叡智が凝縮された書物程、素晴らしいものはないと思っているし、その素晴らしさの片鱗にでも触れて、感動することが、如何に幸せかを知っているので、本を読むことが、自分を磨くためには、一番良いことだと思っている。
先日、大学生に、試験の時に、教授が教えたことを出来るだけ正確に回答した方が良い成績を貰えるのかと聞いたら、そうだと言っていたので、知識だけを叩き込んだコピー学生ばかりを生み出す大量生産時代のスペアパーツ製造教育から一歩も進んでいないことを知って愕然とした。
欧米では、教授の教えたことだとか、教科書や参考書等から得た知識だけでは最低限の要求さえ満たしておらず、貴方はどう考えるのかを求められており、自分でさらに考えて付加価値を付けて回答しなければ合格点は貰えない。
私は、京都の学生の時には、授業に出たことのない科目でも、学生団体が売っていた講義ノートを買って受験して単位を取った経験があるのだが、アメリカでのビジネス・スクールでは、毎日、100ページ以上もあるリーディング・アサインメントをこなすなど膨大な専門書や資料を読み続けたし、他の専門書なども含めて、2年間に大変なボリュームの本を読んできたので、今もその習性が続いている。
本を読めば読むほど、どんどん、問題意識や興味の対象が広がって行くので、次から次へ読み続けると言う連鎖反応が起こるので、止められないと言うのが正直なところである。
手元に、サミュエル・スマイルズの「自助論 Self-Help」がある。
当時、慶應大学の創始者福澤諭吉の「学問のすゝめ」とともに、最も読まれた本だと言う「人生指針の書」と言うことだが、本について、「本は少なくともいい、とにかく「一流」を繰り返し読む」とか、「「暇つぶし」の本が一生を決めることも」と言ったサブ・タイトルがある。
文章の全体や後先を考えないと誤解を招くのだが、ここで言っている本は、一流の本のことで、とにかく、良書に接することや良書の効能を述べていることは間違いがない。
とにかく、自分を磨くためには、良書を求めて本を読めと言うことであろう。