失敗学の大家畑村教授とサムソン経営を熟知する吉川教授の日本製造業に対する警告と提言の書であるから、非常に的確な示唆に富んだ書物なのだが、問題は、頭を打って呻吟している日本製造業が、殆ど、これらの提言や指摘を、実際の経営戦略に取り入れようとしていないことであろうと思う。
私が、このブログで、2007年11月14日 | イノベーションと経営において、”ソニーや松下が何故サムスンに勝てないのか?・・・東大吉川良三特任研究員”を書いて、吉川教授の経営論を披露したのだが、当時は、世界同時好況で日本の製造業が潤っていたので無視されたにしても、その後事情が一変して、亀山モデルでこの世の春を謳歌して調子に乗って堺工場に入れ込んで今や風前の灯となっているシャープや、殆ど先の見えない苦境下にあるソニーやパナソニックの惨状を見れば、世界の潮流に乗れなかったツケが如何に大きかったかが良く分かる。
吉川教授は、この新著でも、何故、ソニーやパナソニックがサムソンに勝てないのか、殆ど同じことを言っているのである。
サムソンの製品開発は、リバース・エンジニアリングで、日本や欧米の製品を徹底的に研究し、設計者の意図した設計思想や製品の持つ基本的な機能を徹底的に追及して、消費者が本当に欲しいと思い必要としている機能は何か、機能の引き算と足し算を行って別の解を導き出している。
それに、あらゆる手段を使って、日本の技術者を通して技術思想や暗黙知など価値ある技術情報を得ようと努力しており、いくら、優れた基礎技術を誇るソニーが、有機ELテレビやLEDバックライト液晶テレビを最初に開発しても、事業化の段階で、すぐに先を越されて負けてしまうのである。
サムソンの大躍進の秘密は、成長著しい新興国への進出に活路を見出したグローバル化と、「つくり」よりも「もの」重視のデジタルものづくりで、製品開発と生産プロセスでは、デジタル化を最大限に利用し、多種多様な地域の消費者に合わせたレベルの製品を安価かつ迅速に提供できる仕組みを作り上げたことである。
しかし、アメリカなど先進国市場では、日本企業など相手にせず、液晶モニターのバックライトにLEDを使ったTVを二割高で売ってヒットをとばすなど、また、デザインを重視するなど付加価値をつけた高価格製品で勝負をしていると言う。
日本では円高ウオン安が問題だと言うが、部品の多くを日本から調達しているので、むしろ、この方がサムソンにとっては被害が大きいのだと言う指摘が面白い。
デジタルものづくりで、世界中の「誰でも」「どこでも」「簡単に」そこそこの製品を作れる時代になり、新興国でもどんどんリーバース・イノベーションで新製品が生まれ出る今日においては、グローバル市場における戦いは、日本企業の輸出戦略の埒外、技術力とは別のところで行われており、はじめに「何を誰に向けてつくるか」ありきであり、そのための「戦略」ありきなのだが、技術に過剰な自信を持つ日本企業は、その根本的な部分をはき違えていると言う。
この「技術への幻想」について、今や、アップルのiPadには、日本製の電子部品が殆ど使われなくなってしまっており、「負ける筈のなかった分野」で海外企業に大きくシェアを奪われていることを指摘しているのだが、破壊的イノベーションの大半は技術的には最先端を行く製品ではなく、汎用性の利く価格競争力の高い部品の集積であることを考えれば当然のことなのである。
日本のものづくりが他国より優れているのは、「R&D」そのなかでも「基礎研究」の分野なのだが、近年、「製品開発」とりわけ「市場分析」から「商品企画」「設計開発」において海外の企業に負けていると言う。
かって、垂直統合で一切自社で囲い込んでいた時代には、「製品開発」の段階でも日本の独壇場であったのだが、今や、ある程度の製品なら、いつでもどこでも誰でも出来るようになり、製造機械さえ買えばどんな製品でもマネして製造出来るデジタルものづくりの時代では、基礎技術がなくても応用技術があれば、いくらでも大きなビジネスが出来るようになったのであるから、当然であろう。
この本では、沢山の重要な指摘がなされているのだが、以降、技術信仰に没頭し続けている日本企業のものづくりにおける「過剰品質」について、論じてみたいと思う。
著者たちは、「日本の製造業は、世界的に見た場合に、「過剰品質」に陥っていることが多いので、場合によっては、日本市場向けの製品、最高級品だけは垂直統合でつくり、他国向けは水平分業でつくると言う割り切りが必要だろう。」と言う。
前述したように、世界を席巻しているアップルにしろサムスンにしろ、どこも「つくり」でなく「もの」を重視して新製品を開発しているので、製品に使われている要素技術には、誰もマネのできない目新しいものは殆どなく、いわば既存の技術の組み合わせによって消費者に支持されるものをつくっている。
ところが、日本国内の市場重視の日本企業は、同じような製品を上手につくる「つくり」に拘って、その競争に明け暮れているので、軒並み過当競争で業績を悪化させ続けている。
技術にさほど詳しくない大多数の消費者の側から見ると、多少の技術の優劣など購入を決める時の大きな要素にはならないので当然で、
このことは、テレビやデジカメを考えれば分かることで、消費者のブランドへの拘りさえ無視すれば、製品の殆どは消費者の要求や能力をはるかに超えており、どこの製品でも水準以上の満足を得られるし、安ければ安い程良いのである。
これは、私がこのブログで、15年前にクレイトン・クリステンセンが打ち出した「イノベーターズ ジレンマ」の説を引用して「日本の企業は、技術の深追いの持続的イノべーションにばかり注力して、既に消費者の期待水準を超えた技術水準まで行っているが、消費者にとっては無益なのでその対価を払う意思がないので利益に結びつかず、過当競争に陥っており、そのうえに、かってのソニーのようにブルーオーシャンたる破壊的イノベーションを打ち出せなくなっているので窮地に立っている」と説き続けてきたのも、正にこのことである。
著者は、消費者が求めているよりもはるか上のレベルで品質に拘るのは、全く無駄で、結局は生産性の低さにつながり、コストアップで消費者にツケを回すだけで意味がないと言う。
特に、製造工程で繰り返えして行われる検査などその最たる例で、自動車会社が、6000台に1台の割合で見つかるので行っている最終検査などは、全く自己満足に過ぎないと一蹴して、サムスンなどは、ミスの大部分は部品の付け忘れなので、生産ラインの最後に重量計を取りつけて重さが違う製品を不良品としてはねているだけだと言う。
確か、オランダでもイギリスでも、車検や免許書書き換えなどなかったと思うのだが、これなども役所や業者を利するだけのコストアップで、日本国民の負担を増すだけの無意味なケースであって、こんな無駄が日本には多すぎると言えようか。
サムスンついで面白いのは、「消費者の不満こそが製品の不良である」と言う「体感不良率」を重視して、例えば、製品が故障した時に、どれくらいの時間で交換、修理してくれるのか、このサービスによって消費者の企業への印象が大きく変わってくると言う考え方をしているので、ソウル市内では電気製品即日交換サービスを行っていると言う。
余談だが、私が使っていたパナソニックのDVDレコーダーが、ディスクが機械に留まって出なくなったので、修理について照会したら、会社の修理部門に直接持ち込んでもその場では修理が出来ず、更に、その修理費が、良くなった新製品価格よりもはるかに高いと言う法外な額だったので、7月25日のブログで、 ”デジタルAVは使い捨てなのか・・・ブルーレイDIGAの場合”として書いたのだが、この会社が、今、プラズマ工場閉鎖など危機的な経営状態に陥っているのも当然だなあと思ったのも、あながち間違っていなかったと言うことであろうか。
消費財の最たる家電製品を製造販売している会社が、もう何十年も前からアメリカのビジネス・スクールで教えているカスタマー・サティスファクションとは何なのかを知らないのだとすると、偉大な経営の神様・松下幸之助の嘆きはいかばかりであろうか。
私が、このブログで、2007年11月14日 | イノベーションと経営において、”ソニーや松下が何故サムスンに勝てないのか?・・・東大吉川良三特任研究員”を書いて、吉川教授の経営論を披露したのだが、当時は、世界同時好況で日本の製造業が潤っていたので無視されたにしても、その後事情が一変して、亀山モデルでこの世の春を謳歌して調子に乗って堺工場に入れ込んで今や風前の灯となっているシャープや、殆ど先の見えない苦境下にあるソニーやパナソニックの惨状を見れば、世界の潮流に乗れなかったツケが如何に大きかったかが良く分かる。
吉川教授は、この新著でも、何故、ソニーやパナソニックがサムソンに勝てないのか、殆ど同じことを言っているのである。
サムソンの製品開発は、リバース・エンジニアリングで、日本や欧米の製品を徹底的に研究し、設計者の意図した設計思想や製品の持つ基本的な機能を徹底的に追及して、消費者が本当に欲しいと思い必要としている機能は何か、機能の引き算と足し算を行って別の解を導き出している。
それに、あらゆる手段を使って、日本の技術者を通して技術思想や暗黙知など価値ある技術情報を得ようと努力しており、いくら、優れた基礎技術を誇るソニーが、有機ELテレビやLEDバックライト液晶テレビを最初に開発しても、事業化の段階で、すぐに先を越されて負けてしまうのである。
サムソンの大躍進の秘密は、成長著しい新興国への進出に活路を見出したグローバル化と、「つくり」よりも「もの」重視のデジタルものづくりで、製品開発と生産プロセスでは、デジタル化を最大限に利用し、多種多様な地域の消費者に合わせたレベルの製品を安価かつ迅速に提供できる仕組みを作り上げたことである。
しかし、アメリカなど先進国市場では、日本企業など相手にせず、液晶モニターのバックライトにLEDを使ったTVを二割高で売ってヒットをとばすなど、また、デザインを重視するなど付加価値をつけた高価格製品で勝負をしていると言う。
日本では円高ウオン安が問題だと言うが、部品の多くを日本から調達しているので、むしろ、この方がサムソンにとっては被害が大きいのだと言う指摘が面白い。
デジタルものづくりで、世界中の「誰でも」「どこでも」「簡単に」そこそこの製品を作れる時代になり、新興国でもどんどんリーバース・イノベーションで新製品が生まれ出る今日においては、グローバル市場における戦いは、日本企業の輸出戦略の埒外、技術力とは別のところで行われており、はじめに「何を誰に向けてつくるか」ありきであり、そのための「戦略」ありきなのだが、技術に過剰な自信を持つ日本企業は、その根本的な部分をはき違えていると言う。
この「技術への幻想」について、今や、アップルのiPadには、日本製の電子部品が殆ど使われなくなってしまっており、「負ける筈のなかった分野」で海外企業に大きくシェアを奪われていることを指摘しているのだが、破壊的イノベーションの大半は技術的には最先端を行く製品ではなく、汎用性の利く価格競争力の高い部品の集積であることを考えれば当然のことなのである。
日本のものづくりが他国より優れているのは、「R&D」そのなかでも「基礎研究」の分野なのだが、近年、「製品開発」とりわけ「市場分析」から「商品企画」「設計開発」において海外の企業に負けていると言う。
かって、垂直統合で一切自社で囲い込んでいた時代には、「製品開発」の段階でも日本の独壇場であったのだが、今や、ある程度の製品なら、いつでもどこでも誰でも出来るようになり、製造機械さえ買えばどんな製品でもマネして製造出来るデジタルものづくりの時代では、基礎技術がなくても応用技術があれば、いくらでも大きなビジネスが出来るようになったのであるから、当然であろう。
この本では、沢山の重要な指摘がなされているのだが、以降、技術信仰に没頭し続けている日本企業のものづくりにおける「過剰品質」について、論じてみたいと思う。
著者たちは、「日本の製造業は、世界的に見た場合に、「過剰品質」に陥っていることが多いので、場合によっては、日本市場向けの製品、最高級品だけは垂直統合でつくり、他国向けは水平分業でつくると言う割り切りが必要だろう。」と言う。
前述したように、世界を席巻しているアップルにしろサムスンにしろ、どこも「つくり」でなく「もの」を重視して新製品を開発しているので、製品に使われている要素技術には、誰もマネのできない目新しいものは殆どなく、いわば既存の技術の組み合わせによって消費者に支持されるものをつくっている。
ところが、日本国内の市場重視の日本企業は、同じような製品を上手につくる「つくり」に拘って、その競争に明け暮れているので、軒並み過当競争で業績を悪化させ続けている。
技術にさほど詳しくない大多数の消費者の側から見ると、多少の技術の優劣など購入を決める時の大きな要素にはならないので当然で、
このことは、テレビやデジカメを考えれば分かることで、消費者のブランドへの拘りさえ無視すれば、製品の殆どは消費者の要求や能力をはるかに超えており、どこの製品でも水準以上の満足を得られるし、安ければ安い程良いのである。
これは、私がこのブログで、15年前にクレイトン・クリステンセンが打ち出した「イノベーターズ ジレンマ」の説を引用して「日本の企業は、技術の深追いの持続的イノべーションにばかり注力して、既に消費者の期待水準を超えた技術水準まで行っているが、消費者にとっては無益なのでその対価を払う意思がないので利益に結びつかず、過当競争に陥っており、そのうえに、かってのソニーのようにブルーオーシャンたる破壊的イノベーションを打ち出せなくなっているので窮地に立っている」と説き続けてきたのも、正にこのことである。
著者は、消費者が求めているよりもはるか上のレベルで品質に拘るのは、全く無駄で、結局は生産性の低さにつながり、コストアップで消費者にツケを回すだけで意味がないと言う。
特に、製造工程で繰り返えして行われる検査などその最たる例で、自動車会社が、6000台に1台の割合で見つかるので行っている最終検査などは、全く自己満足に過ぎないと一蹴して、サムスンなどは、ミスの大部分は部品の付け忘れなので、生産ラインの最後に重量計を取りつけて重さが違う製品を不良品としてはねているだけだと言う。
確か、オランダでもイギリスでも、車検や免許書書き換えなどなかったと思うのだが、これなども役所や業者を利するだけのコストアップで、日本国民の負担を増すだけの無意味なケースであって、こんな無駄が日本には多すぎると言えようか。
サムスンついで面白いのは、「消費者の不満こそが製品の不良である」と言う「体感不良率」を重視して、例えば、製品が故障した時に、どれくらいの時間で交換、修理してくれるのか、このサービスによって消費者の企業への印象が大きく変わってくると言う考え方をしているので、ソウル市内では電気製品即日交換サービスを行っていると言う。
余談だが、私が使っていたパナソニックのDVDレコーダーが、ディスクが機械に留まって出なくなったので、修理について照会したら、会社の修理部門に直接持ち込んでもその場では修理が出来ず、更に、その修理費が、良くなった新製品価格よりもはるかに高いと言う法外な額だったので、7月25日のブログで、 ”デジタルAVは使い捨てなのか・・・ブルーレイDIGAの場合”として書いたのだが、この会社が、今、プラズマ工場閉鎖など危機的な経営状態に陥っているのも当然だなあと思ったのも、あながち間違っていなかったと言うことであろうか。
消費財の最たる家電製品を製造販売している会社が、もう何十年も前からアメリカのビジネス・スクールで教えているカスタマー・サティスファクションとは何なのかを知らないのだとすると、偉大な経営の神様・松下幸之助の嘆きはいかばかりであろうか。