熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・能・羽衣

2012年09月22日 | 能・狂言
   能・羽衣は、最もポピュラーな曲で、演じられる回数も多いようで、私も、この能楽堂で、年初に観たので今回は二度目である。
   最初は、シテ/天人 松野恭憲の金剛流で、次は、シテ/天人 金井雄資の宝生流なので、殆ど同じ詞章ながら、演出などにはかなり違いがあって興味深い。

   私に良く分かった違いは、まず、羽衣の掛けられる場所で、金剛流の場合には、橋掛かりの一ノ松の勾欄にかかっていたが、宝生流では、松の立木の作り物が舞台前方正面に置かれ、その手すりに置かれていた。
   次に気が付いたのは、羽衣が返されて天人が舞うために、シテが舞台上で身に着ける「物着」の仕方で、普通は、今回の宝生流のように、舞台の左側後座に下がって後ろ向きに羽衣を身に着けるのだが、金剛流の舞台では、舞台の中央近くで、床几に腰を掛けたままで行う「床几之物着」の演出であった。
   分からなかったが、両者、「物着」のタイミングも、少し前後しているようである。

   舞いにも差があるようで、普通は序ノ舞のようであるが、金剛流は、それよりも短く軽やかな「破ノ舞」で、宝生流の今回は、常より高い調子の「盤渉序ノ舞」であったと言うのだが、私には良く分からなかった。
   非常に優雅な華麗な舞いを舞った後、シテは、舞台を後にして、橋掛かりを軽やかに足早に揚幕に消えて行くのだが、金剛流の「風姿」には、終局で、シテは橋掛かりをクルクルと小回りしながら、後ろ向きに幕に入り、これが見せ場だと書いてあるのだけれど、残念ながら、松野恭憲師の舞台がそうであったのかどうかは記憶がない。

   天人の舞について、八世銕之丞師は、「あたかもこの世が極楽世界であるかのように、月の世界の清らかな舞を、扇を手に、裏風にのって袖を翻しながら華麗に舞います。やがて美保の松原から浮島が原へ、そして富士の高嶺へと舞い上がり、霞にまぎれて天井世界へ帰って行くのです。”と書いている。

   ところで、この羽衣伝説に似た話は、日本各地にあるようで、私が子供の頃に聞いたのは、天女が、羽衣を拾った漁師の妻になったと言う話だが、能は、そんな人間臭い話ではなく、天女が、優雅な舞を舞って天上界に消えて行くと言う話に昇華されている。
   羽衣を見つけた漁師ワキ/白龍 福王和幸だが、非常に人間的と言うか俗人的で、見つけた拾い物を勝手に持って帰ると言う意識も問題だが、「古き人にも見せ、家の宝となさばや」と言うのだが、天人の羽衣だと分かると、「末世の奇特に留め置き、国の宝となすべきなり」とそろばん勘定も冴えている。
   天人が、橋掛かりから舞台に現れて、手を額に当ててシオるのを見て、羽衣を取られて天上に帰れなくなった悲しみを、あまりにもいたわしく思って天女の舞を交換条件として返すことにする。その時、羽衣を返して貰わないと舞えないと言われたので、「いやこの衣を返しなば、舞曲をなさでそのままに、天にや上がり給ふべき」と言うのだが、「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」と言われて、「あら恥づかしや」と恥じ入るあたりは、実にユーモアと諧謔の香りがして興味深い。

   さて、下世話な話だが、羽衣を脱いで水浴びをしていたのなら、天人は、裸であったか、それに近いヌード姿であった筈だと思うのだが、銕之丞師は、繻子地に箔をおき、絹の色糸で刺繍を施した豪華な縫箔に摺箔を重ねて腰に重ねて捲く、この腰巻の姿が、漁師に羽衣を取られて裸になってしまった天人の状態だと言う。
   この一刻も早く羽衣を取り返したい天女と漁師の掛け合いのシーンを、リアルな映画で再現すれば、かなり、エロスを感じさせるシーンだと思うのだが、その点、能は極めて優雅に天上と地上の遭遇場面として美しく表現していると言うのが面白い。

   今回は、増女の面をかけての舞台だったと思うのだが、銕之丞師は、あまり神格化した世界をつくるよりは、天人が、無菌状態で生きている清純無垢な人と言う感じでやるほうがいいと思うので、「小面」で演じることが多いと仰る。
   能の舞台となると、私には、まだ、異次元の空間と言った感じなので、さて、美保の松原に舞い降りた天女は、どんな感じの天人であったのだろうかとイメージしてみても、中々しっくりと感じられないと言うのが正直なところである。

   装束の舞衣は、グリーンや赤もあるようだが、金井雄資師は、白の舞衣で、非常に清楚で優雅な舞姿を見せて格調高い終局の舞台を楽しませてくれた。

   余談だが、今回、「物着」で、舞台上で、シテが着付を変えるシーンがあったが、8日に観た金春流の「龍田」では、舞台後方中央に据えられた小宮の作り物を幕で囲って、舞台展開中に、その中で、前シテ/巫女(櫻間右陣)から後シテ/龍田明神への装束転換が行われた。
   私は、偶々、脇正面の横から、その過程を垣間見ていたのだが、ほんの1メートル四方よりやや広い空間に入ったシテを、後方から後見が一人で着付を行って、時間きっかりに完成させて幕を取り払って、シテが舞台で舞い始めると言う素晴らしいシーンを見て、能楽の世界の奥深さを感じることが出来た。
   恐らく、この様子は、正面席や中正面の見所からは、殆ど見えなかったと思うのだが、能には、歌舞伎のように衣装方専門の人がいなくて、この着付は、すべて能役者が後見として行っているようで、流石に、阿吽の呼吸と言うか、芸の深掘り修練の成果が発露されるのであろう。
   能の翁には、舞台で、翁大夫が、翁面を恭しく付けて白い翁に変身するシーンがあり、能には、このように、舞台での変身を、舞台に殆ど何の違和感もなく取り込むと言う手法を使っている。これに比べて、歌舞伎は、幕を張ったり、登場人物の人垣で隠して変身することが多く、文楽では、舞台に沈んで隠れて変身するなど、夫々の舞台によって独特の工夫があるようで、その展開の差が面白い。
   
コメント
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