熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立演芸場から都響定期演奏会

2012年09月20日 | 今日の日記
   残暑も最後だと天気予報が言っていたのだが、9月も下旬だと言うのに、まだ暑い。
   午後のひと時を涼むには、寄席が格好と、中席も千秋楽の国立演芸場に出かけた。
   普通は、インターネットか電話で予約を入れるのだが、インターネットでは空席が多かったので、直接演芸場に行ったら、やはり、端境期と言うのか、かなり空いていて、久しぶりに被りつきに席を占めた。

   落語が主体で、前座、二つ目、真打と続くのだが、年期を積むと、流石に上手い。
   文楽の大夫も、一人で、ナレーションからあらゆる登場人物の声音を演じるのだが、どちらかと言えば、浄瑠璃語りなので芸術的でニュアンスが大分違うのだが、落語の場合には、実生活における実人物の語り口であるから、リアルで臨場感がなければならず、女であろうと子供であろうと方言であろうと、それが、舌を巻く程上手なので、何時も引き込まれて聞いている。
   それに、話術の冴えと言うのか、メインの古典に入る前に、噺家自身が編み出したカレントトピックスなどを交えたまくらが語られ、これに噺家の個性が滲み出ていて面白い。

   
   トリは、三遊亭歌司で、「百川」。
   六代目圓生の作だと言うが、江戸時代の話なので、四神剣などと言う風俗や時代背景など多少分かっていないと一寸難しい。 
   田舎出の百兵衛が、葭町の口入屋・千束屋の斡旋で、浮世小路の百川楼に来た。二階で手が鳴ったが、女中連中は髪をほどいて接客が出来なかったので、主人が、百兵衛に御用を聞いて来てくれと、気の荒い河岸の連中だから丁寧にと釘を差して二階に上がらせたのが、問題の発端。
   「ワシはこのシジンケ(主人家)のカケアイ(抱え)人で・・・」と自己紹介したのを、早呑み込み、早合点した初五郎が「四神剣の掛け合い人」と聞き違えて、去年の祭りで金を使いすぎて、祭具の四神剣を質に入れてしまったのを、隣町から掛け合いに来たのだと早とちり。上座に据えて、顔を潰さないようにするから、すべて飲み込んでくれととクワイを喉に詰まらせるなど騒動が起こるが、雇人と分かる。
   次に、百兵衛は、長谷川町・三光新道に常磐津の歌女文字(かめもじ)を連れて来い、「三光新道に”か”の字のつく名高い人だと言えば直ぐに分かる。」と言われて、やっとの事で三光新道を探し当て、「”か”の字のつく名高い人」と尋ねると「それは外科医の鴨池玄林(かもじげんりん)先生だ」と教えてくれた。「河岸の若い方が、今朝(けさ)がけに4,5人き(来)られやして、先生にちょっくらおいでを願えてちゅうでがすが・・・」と言ったのを、取次ぎ人はこれ聞き違え、鴨池先生に、「若い者が、4、5人袈裟がけに斬られた」と取り次いだので、「手遅れになるといかんから焼酎1升と白布を五六反、鶏卵を20程用意をしておくように」と言い伝えて薬籠箱を持って先に帰えらせる。
   そこへ鴨字先生がやって来て、「怪我人はどこにおる」「なにか、お門違いでは」「「いや、門違いではない。薬籠が来ておる」と頓珍漢の対応。
   百兵衛が間違えたのだと分かり、連中は百兵衛を呼び出し、「抜け作だよ。お前は」、「名前は百兵衛だよ」、「名前を聞いているんじゃない。抜けているから、抜けさくだ」、「どのくらい?」、「どのくらいじゃない。みんな抜けてらぁ~」
百兵衛(指を折りながら) 「か・め・も・じ・・・か・も・じ・・・いやたんとではねえ、たった一字だけだ」

   ところで、この百川は、三越近くにあった江戸屈指の懐石料亭で、黒船来航の折には、江戸城での乗組員全員に本膳を出して、一千両を請求したと言うから驚きである。
   しかし、とにかく、この話は、結構高度な話術の技を使った落語で、生粋の江戸っ子と方言丸出しの田舎者のコミュニケ―ションのトラブルが発端で、作法を知らない田舎者と、何も分かっていないのに早とちりして物知り顔でどんどん話を進めて行く短気な江戸っ子とのボタンの掛け違いなど、非常に面白い。

   歌司は、冒頭に、「また、同じ話か」と言う客がいるが、「また、同じ話を聞けた」と長生きを喜んで噺を聞いてほしいと言っていたのだが、確かに、芸能や芸術では、同じ出し物をもう一度見たい聞きたいと思うのと、そうではないものがある。
   差し詰め、オペラの「カルメン」や歌舞伎の「忠臣蔵」などは、客を呼び込むための恰好の演目だと言うので、前者の部類であろうが、人気絶頂の千両役者の舞台なども、何回も見たい聞きたいの部類であろう。
   オペラの場合には、大体、同じ歌劇場が連続して同じ公演を続けることがなくて、ソリストなどはある程度固定していても、指揮者やオーケストラなど劇団が変わるので、新鮮味が加わり、それ程抵抗はない。
   しかし、最近、歌舞伎の舞台あたりで、マンネリ感が強くなってきたのが気になり始めている。

   
   演芸場を出て、銀座に立ち寄って小休止して、何時ものように、神田神保町に向かった。
   私の歩くのは、メトロの神保町駅の九段下方向の出口から出て、三省堂まで歩くコースで、その間に、行きつけの古書店を何軒かハシゴする。
   買った本は、スチュアート・L・ハートの「未来をつくる資本主義」。ほんの3年をおいての改訂版だが、私の尊敬するプラハラードやクリステンセンを継承する学者の本で、私の講義用にも非常に参考になる本である。
   適当に夕食を済ませて、上野に向かった。

   この日の東京都交響楽団の定期公演の演目は、エリアフ・インバル指揮によるマーラー・チクルスの第一回目で、
   「さすらう若人の歌」と交響曲第1番 ニ長調 「巨人」である。
   最近でこそ、マーラーやブルックナーなどの大曲の人気が高く、全交響曲演奏などが行われているが、もう、殆ど半世紀ほども前に、私が、やっとクラシック音楽に興味を持ち始めた頃には、マーラーでさえ、演奏会のプログラムに組まれることは殆どなかった。
   私は、やはり、ユダ人の血がそうさせるのか、当時は、バーンスティン指揮ニューヨーク・フィルのマーラーのレコードが圧倒的な人気で、「巨人」や「大地の歌」あたりから聞き始めた。
   マーラーの交響曲の演奏会に接するのは、海外に出てからで、フィラデルフィア管弦楽団やロイヤル・コンセルトヘヴォー管弦楽団、ロンドン交響楽団、ニュー・フィルハーモニアあたりである。
   ベルリン・フィルだったか、コンセルトヘヴォーだったか忘れたが、ベルナルド・ハイティンクのマーラーが印象深かったのを覚えている。
   マーラー歌曲「さすらう若人の歌」や「子供の不思議な角笛」「亡き子を忍ぶ歌」などは、演奏会のプログラムに挿入される感じで、オペラ歌手の別な側面からの魅力を味わえて良かった。

   「さすらう若人の歌」は、「ぼくのあの娘が式を挙げる」と言う第1曲からはじまる失恋の歌で、哀調を帯びた悲しくてどこか世紀末的な香りの強い歌を、バリトンの小林輝彦は、実に誠実に切々と歌って胸を打つ。
   「巨人」は、私の青春時代の思い出の詰まった音楽であり、久しぶりに聞くのだが、実に懐かしく感激であった。
   マーラーの指示のように、最初は、ゆっくりと引きずるように、・・・力強い動きを持って、・・・厳かに威厳を持って・・・嵐のように激しく・・・終わる素晴らしい音楽で、金管木管の素晴らしい囁きと咆哮が色彩豊かであり華麗そのもの。
    良くもここまで素晴らしい演奏を!
    インバルの薫陶を受けた東京都交響楽団のまさに圧倒的な名演であった。

    8時40分終演、実に早く終わったので、千葉に帰るのも楽である。
    こう言う気持ちの良い時は、読書も捗るもので、京成の車内で、ジェレミー・リフキンの「第三次産業革命」をじっくりと味わいながら読むことが出来た。
   
   




 
コメント
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