熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場:九月文楽・・・「夏祭浪花鑑」

2012年09月16日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   住大夫の休演が一寸残念だったが、玉女の団七大車輪の活躍をはじめ、三業の素晴らしい競演の見事な舞台で、楽しませて貰った。
   大阪市の文楽補助金の打ち切りの情報は、8月24日、国立能楽堂で行われていた能「鵜飼」のトークで、茂木健一郎氏から聞いたのだが、その後、住大夫が軽い脳梗塞で入院したことについて、橋下徹・大阪市長は「(市補助金の支出をめぐり論議になっている)文楽協会の一件で、心身ともに多大なご負担をおかけしたことも要因になったのではないかと案じております。多くのファンの皆さんとともに住大夫さんが舞台に復帰される日を、待ち望んでおります」と発表したと言うのだが、よくもこのような白々しいコメントを出せたものだと呆れている。

   この日、住大夫は、「釣船三婦内の段」で、お辰が焼き鏝を己の頬にあてて焼く名場面を錦糸の三味線で語ることになっていたのだが、弟子の文字久大夫に替わった。
   若くて色気があるので、同道の磯之丞と道中過ちがあってはならないと言われた一寸徳兵衛(玉輝)の女房お辰(簔助)が、いきなり火鉢の鉄弓を自らの顔に押し当てて火傷をおわせて、三婦(紋寿)夫妻が慌てふためくのをよそに、むっくと起き上がって「なんと三婦さん、この顔でも分別の、外といふ字の色気があろうかな」と侠気を示すあの舞台である。

   さて、この「夏祭浪花鑑」だが、実際に大坂の長町裏で起きた魚屋殺人事件を題材にした芝居で、幼いとき浮浪児だったのを三河屋義平次(勘十郎)に拾われ、泉州堺で棒手振り(行商)の魚屋で生計を営む侠客団七九郎兵衛を主人公とした人気舞台だが、後半、この団七が、舅の義平次とくんずほぐれつ争う凄惨な親子の殺戮劇が見せ場で、「悪い人でも舅は親。南無阿弥陀仏。」と合掌して、浪花祭の雑踏に紛れて逃走する。
   実際には、全編九段目までの狂言だが、文楽でも歌舞伎でも大幅に省略されて、団七が捕われる終幕九段目までは演じられないようで、私も見たことがない。
   今回は、舞台では省略されることがある、義平次が侍を偽り偽香炉を売りつける「内本町道具屋の段」が演じられていて、義平次のあくどさが説明されていて芝居の展開が良く分かる。

   この芝居で面白いのは、団七、一寸徳兵衛、三婦と言う大坂の侠客と、気風が良く男顔負けの三人の妻たち、お梶、お辰、おつぎが、活躍するのだが、江戸歌舞伎がアウトローなどを主役として侠気な舞台を展開しているように、全く市井の庶民、それも、底辺に近い生い立ちの人たちを主人公に描かれていることである。
   この芝居の「長町裏の段」の殺戮の場では、団七が義平次の悪事を論って非難すると、義平次が、「恩知らずめ。おのれは元宿無団七というて粋方仲間の小歩き。貰ひ食ひで暮してをったを引き上げて、その後堺の浜で魚売りさせ、・・・」と恩知らずと罵り、金儲けの邪魔をし続けるのに憤懣やるかたなく、怒りにまかせて打擲し雪駄で眉間を割るなど悪口雑言を浴びせ続けるので、団七はとうとう耐え切れずに堪忍袋の緒が切れて刀を抜くのだが、どんどんテンションが高揚して舞台展開が激しくなるところなどは、正に、魅せる舞台で、芝居の最高の見せ場と言うべきではあろう。
   しかし、考えてみれば実に下世話な話で、これを、大舞台に仕上げてしまったのは、作者が偉いのか、演じる三業が素晴らしいのか、非常に面白いところである。

   5年前に観た文楽「夏祭浪花鑑」は、お辰は簔助で同じだが、団七は勘十郎で、釣船三婦は紋寿、一寸徳兵衛は玉女、義平次は玉也であった。
   最後の長屋裏の段で、団七を語ったのは、今回と同様に源大夫で、丁度、人間国宝になった時で、当時は、綱大夫を名乗っていた。義平次は、伊達大夫が英大夫に替わったが、三味線は、同じ、東蔵(清二郎)であるが、この段は、舞台展開が激しく、人間のドロドロと蠢く愛憎と究極の心の鬩ぎ合いを叩きつけているので、役割を分けた二人語りは、非常に迫力があって素晴らしい演出だと思った。
   今回は、絶頂期にある文楽界のホープである玉女の団七と勘十郎の義平次と言う考え得る限り最高の人形遣いの競演で、井戸端での殺しの場が演じられているのであるから、その迫力と臨場感たっぷりの凄まじさと、生身の役者を越えた人形にしか演じ得ないリアリズムの凄さは特筆ものである。

   歌舞伎では、何故か、団七と徳兵衛に役者を選んでいるようである。
   私が観たのは、最近では、吉右衛門と仁左衛門、その前は、海老蔵と獅童なのだが、「住吉鳥居前の段」で、徳兵衛が登場して、お梶の仲裁で団七と3人で見得を切り、団七と徳兵衛が、お互いに玉島家が主筋であることが分かって、磯之丞を守るべくお互いに片袖を交換して義兄弟の契りを結ぶ見せ場はあるのだが、徳兵衛そのものは、元ものもらいで磯之丞の愛人琴浦に横恋慕する佐賀右衛門の子分の侠客に過ぎないと言うことを考えれば、何故だか良く分からない。
   尤も、次の「釣船三婦内の段」で、鉄弓で顔を焼くお辰の夫だと言うことでかなりの人物であると言う設定ではあるのだが。

   
   さて、かって、13代目仁左衛門が、東京色の強い夏祭浪花鑑を見て、上方歌舞伎の冒涜やと非難したと言うのだが、あの天神祭を見れば分かるが、大阪の文化は独特な風格と伝統を備えていて、それだけに、この芝居は、大坂を舞台とした大阪人にしか分からないような上方歌舞伎の濃厚な風情が要求されると言うことであろう。
   その意味では、大阪弁で語られる伝統的な文楽の「夏祭浪花鑑」が正統派だと言うことであろうが、しかし、歌舞伎の舞台は勿論、浄瑠璃の世界でも、東京文化へ傾斜して行く画一化は避け得ないのであろう。

   私など、近松門左衛門の舞台が、少しずつ東京ベースの役者が登場するようになり、そのニュアンスの差に違和感を感じ続けているのだが、橋下市政の施策は悲劇の始まりだとしても、それ以上に、大阪人の伝統的古典芸能に対する関心とサポートが極端に薄くなって、客が集まらないので商売にならないとして、殆ど芸能人が東京へ移らざるを得ない今日の状況を考えれば仕方ないのかも知れないとは思う。
   しかし、故郷の祭りなどは、比較的保存は利くのであろうが、高度な伝統継承と修練の結晶のような古典芸能は、一度廃れてしまったら、二度と再生は不可能であり、上方オリジンの古典芸能を、如何に維持継承して行くのか、橋下市政が投げた一石を機会に考えるべきだと思っている。
   
コメント
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