19世紀の第一次産業革命や二十世紀第二次産業革命から、現在二十一世紀は、政治経済社会を根本から変革する第三次産業革命の時代に突入したと言う。
化石燃料に依存した産業革命の多くで特徴となっていた従来のトップダウン型の社会構造が、新しいグリーンな産業化時代の分散・協働型の関係へ移行し、社会そのものが階層的パワーから水平型パワーへ根底から変わりつつある最中だと言う。
リフキンの説く第三次産業革命の柱となるのは次の五つ。
①再生可能エネルギーに移行すること。
②全大陸の建物を小型発電所に変えて、再生可能エネルギーを利用現場で収集すること。
③すべての建物とインフラ全体に水素などの貯蔵技術を配備して、間欠的に生じるエネルギーを貯蔵すること。
④インターネット技術を利用して、すべての大陸の電力系統をインターネットと同じように機能するエネルギー共有インターグリッドに変えること。
⑤輸送車両を、大陸規模の双方向型スマート電力系統で電力を売買できるプラグイン電気自動車や燃料電池自動車に切り替えること。
インターネット通信技術と再生可能エネルギーの一体化というプロットによって、第三次産業革命を目指すべく、既に、ヨーロッパは始動し始めたと言うのである。
スマートグリッド (smart grid) システムへの完全移行と言うことであろうか。
リフキンは、第三次産業革命を理念とするマスタープランを作成して、EU委員会やメルケル首相たちのアドバイザーをしたり、各国の地方公共団体と果敢にマスタープランを推進するなど行っているようだが、原発後の世界を展望して脱原発を図りつつある日本にとっては、非常に参考になると思う。
リフキンは、この本の中で、いくらかの非常に示唆に富んだ提言や理論展開をしているのだが、まず、一点、啓発されたのは、「GDPは、国内総コストだ」と言う考え方である。
”GDPは、国の一年間に生産する富の指標だが、熱力学的な観点では、むしろ、利用可能なエネルギーの蓄えを減らし、排出されるエントロピーを蓄積するという代償を払って生産される財やサービスに埋め込まれた、一時的なエネルギー量の指標と言う方が正しい。生産する財やサービスは、いずれエントロピーの流れに加わるので、経済発展をどうとらえようとも、経済の帳簿は赤字となる。どんな文明も、自ら生み出すよりも多くの秩序を周囲の環境から吸い上げ、地球を貧困化させることを避けられない。資源を消費して経済を成長させる度に、その一部は、どんどん使用できなくなってしまうので、GDPは、もっと正確に言えば、国内総コストである。”と言うのである。
エントロピーとは、易しく言えば、利用不能となったエネルギーをさすようだが、あらゆる経済活動は、自然資源を消費しながら行う生産活動であるから、どんどんエントロピーを増大させることとなる。
したがって、経済活動は、それを支える資源基盤の劣化と言う代償と引き換えに、一時的な価値を生み出す活動に過ぎないと考えられるので、人類が、経済成長を目指して、GDPアップに励めば励む程、環境破壊と言う前に、宇宙船地球号をやせ細らせて窮地に追い込み続けてきたと言うことになる。
確かに、石炭に封じ込まれているエネルギーは不変であっても、一度、石炭を使って二酸化炭素や二酸化硫黄などのガスにして空気中に拡散してしまえば、元の石炭に再び戻すことは不可能であり、エントロピーを増大させ、天然資源の浪費であることには間違いない。
勿論、分散したエネルギーをすべて再利用できないし、もし、その一部を再利用しようとすれば、そのプロセスで余分なエネルギーを食って、全体のエントロピーが増大してしまう。
人類は、経済活動の追及は、地球上の無限の物質的進歩に必ず繋がる直線的なプロセスだと信じて、勤勉さによってユートピア的な楽園をつくることが出来ると頑張って来たのであるが、経済プロセスを、この熱力学的観点から考えれば、経済活動の加速によって環境が劣化し、まだ生まれぬ世代に暗い未来を齎す活動以外の何ものでもなかったと言うことになる。
地球の温暖化や天然資源の枯渇については、ローマクラブの”成長の限界”レポート以来、何度も、人類の緊急課題として議論され続け、今や、チッピング・ポイントを越えてしまって、正に、人類は窮地に立ってしまったと言われている。
しかし、同時に、エントロピーの増大を極力避けるるような発展再生計画を推進しない限り人類の未来は暗いとするリフキンのエントロピー文明論について、もっと注視すべきだと思うし、資源の浪費のより少ないグリーン化戦略は、経済効率云々の問題ではなく、人類にとって、残された重要な選択肢であることを、肝に銘じなければならないと感じている。
この文明論に立ったリフキンのグリーン産業革命論であるから、この本は非常に説得力があって、興味深い。
最早、東京電力のような巨大な企業が一極集中で発電する時代ではなくて、各個別企業や各家庭が、分散型のグリーン・エネルギー発電所となって、第三次産業革命を起こすと言う時代。
財界は、脱原発に強硬に反対しているのだが、グリーン・エネルギー革命でなければ、人類社会の未来はないと言うリフキンの提言に乗れないようでは、世界に冠たる日本のものづくりの将来も、期待薄ということであろうか。
化石燃料に依存した産業革命の多くで特徴となっていた従来のトップダウン型の社会構造が、新しいグリーンな産業化時代の分散・協働型の関係へ移行し、社会そのものが階層的パワーから水平型パワーへ根底から変わりつつある最中だと言う。
リフキンの説く第三次産業革命の柱となるのは次の五つ。
①再生可能エネルギーに移行すること。
②全大陸の建物を小型発電所に変えて、再生可能エネルギーを利用現場で収集すること。
③すべての建物とインフラ全体に水素などの貯蔵技術を配備して、間欠的に生じるエネルギーを貯蔵すること。
④インターネット技術を利用して、すべての大陸の電力系統をインターネットと同じように機能するエネルギー共有インターグリッドに変えること。
⑤輸送車両を、大陸規模の双方向型スマート電力系統で電力を売買できるプラグイン電気自動車や燃料電池自動車に切り替えること。
インターネット通信技術と再生可能エネルギーの一体化というプロットによって、第三次産業革命を目指すべく、既に、ヨーロッパは始動し始めたと言うのである。
スマートグリッド (smart grid) システムへの完全移行と言うことであろうか。
リフキンは、第三次産業革命を理念とするマスタープランを作成して、EU委員会やメルケル首相たちのアドバイザーをしたり、各国の地方公共団体と果敢にマスタープランを推進するなど行っているようだが、原発後の世界を展望して脱原発を図りつつある日本にとっては、非常に参考になると思う。
リフキンは、この本の中で、いくらかの非常に示唆に富んだ提言や理論展開をしているのだが、まず、一点、啓発されたのは、「GDPは、国内総コストだ」と言う考え方である。
”GDPは、国の一年間に生産する富の指標だが、熱力学的な観点では、むしろ、利用可能なエネルギーの蓄えを減らし、排出されるエントロピーを蓄積するという代償を払って生産される財やサービスに埋め込まれた、一時的なエネルギー量の指標と言う方が正しい。生産する財やサービスは、いずれエントロピーの流れに加わるので、経済発展をどうとらえようとも、経済の帳簿は赤字となる。どんな文明も、自ら生み出すよりも多くの秩序を周囲の環境から吸い上げ、地球を貧困化させることを避けられない。資源を消費して経済を成長させる度に、その一部は、どんどん使用できなくなってしまうので、GDPは、もっと正確に言えば、国内総コストである。”と言うのである。
エントロピーとは、易しく言えば、利用不能となったエネルギーをさすようだが、あらゆる経済活動は、自然資源を消費しながら行う生産活動であるから、どんどんエントロピーを増大させることとなる。
したがって、経済活動は、それを支える資源基盤の劣化と言う代償と引き換えに、一時的な価値を生み出す活動に過ぎないと考えられるので、人類が、経済成長を目指して、GDPアップに励めば励む程、環境破壊と言う前に、宇宙船地球号をやせ細らせて窮地に追い込み続けてきたと言うことになる。
確かに、石炭に封じ込まれているエネルギーは不変であっても、一度、石炭を使って二酸化炭素や二酸化硫黄などのガスにして空気中に拡散してしまえば、元の石炭に再び戻すことは不可能であり、エントロピーを増大させ、天然資源の浪費であることには間違いない。
勿論、分散したエネルギーをすべて再利用できないし、もし、その一部を再利用しようとすれば、そのプロセスで余分なエネルギーを食って、全体のエントロピーが増大してしまう。
人類は、経済活動の追及は、地球上の無限の物質的進歩に必ず繋がる直線的なプロセスだと信じて、勤勉さによってユートピア的な楽園をつくることが出来ると頑張って来たのであるが、経済プロセスを、この熱力学的観点から考えれば、経済活動の加速によって環境が劣化し、まだ生まれぬ世代に暗い未来を齎す活動以外の何ものでもなかったと言うことになる。
地球の温暖化や天然資源の枯渇については、ローマクラブの”成長の限界”レポート以来、何度も、人類の緊急課題として議論され続け、今や、チッピング・ポイントを越えてしまって、正に、人類は窮地に立ってしまったと言われている。
しかし、同時に、エントロピーの増大を極力避けるるような発展再生計画を推進しない限り人類の未来は暗いとするリフキンのエントロピー文明論について、もっと注視すべきだと思うし、資源の浪費のより少ないグリーン化戦略は、経済効率云々の問題ではなく、人類にとって、残された重要な選択肢であることを、肝に銘じなければならないと感じている。
この文明論に立ったリフキンのグリーン産業革命論であるから、この本は非常に説得力があって、興味深い。
最早、東京電力のような巨大な企業が一極集中で発電する時代ではなくて、各個別企業や各家庭が、分散型のグリーン・エネルギー発電所となって、第三次産業革命を起こすと言う時代。
財界は、脱原発に強硬に反対しているのだが、グリーン・エネルギー革命でなければ、人類社会の未来はないと言うリフキンの提言に乗れないようでは、世界に冠たる日本のものづくりの将来も、期待薄ということであろうか。