熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

リッカルド・ムーティ、イタリアの心 ヴェルディを語る

2014年06月11日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   リカルド・ムーティの振るローマ歌劇場の「ナブッコ」を観た日に買ったのだが、読んで見て、非常に面白かった。
   ムーティ指揮するオペラやコンサートに接したのは、高々、6~7回くらいで、最初は、留学先のフィラデルフィアで、その後、オーマンディに請われて、フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督になったのだが、その前の客演時代の何回かである。
   ウィーン・フィルやニューヨーク・フィルなどの演奏会も外地で聴いたが、残念ながら、ミラノなど、本拠地ヨーロッパでのオペラを鑑賞する機会はなかった。

   この本は、ムーティが、こよなく愛し尊敬するヴェルディを語る素晴らしい本だが、ヴェルディが書いたヴェルディが意図した音楽を、ベルディの原典に書かれた通りに演奏するための、大変な努力と闘いについてのムーティの生き様を描いた本でもある。
   ヴェルディ以外の人によって書き加えられた個所を削り、歌手によって勝手に変更された音を正し、伝統や習慣として伝わってきた演奏法を変えるなど、多くの批判と抵抗を排除しながら、本当にヴェルディが望んでいた演奏法を追求し続けて来たのである。
   

   ヴェルディは、指揮者が「表現」し、歌手が「創作」してしまうと、演奏が作者の意図したものと同じではなくなってしまうと嘆いていたと言う。
   フルトヴェングラーが、「伝統は最後に行われた醜悪な演奏の色褪せた思い出である。」と言ったことに、ムーティは、正に、その通りと言う。
   ジャンルが違うので、同列には演じられないが、江戸歌舞伎は伝統継承を重んじるのに対して、上方歌舞伎では新工夫がないと批難されると言う違いなどを考えると面白いが、日本では、伝統だから尊いのだと言う学者がいて、本がベストセラーになったことがある。

   ムーティのヴェルディを聴いたのは、オテロとナブッコだけなのだが、バイロイト・オペラの「トリスタンとイゾルデ」を聴いた時点からでも半世紀も、劇場に通って、随分、色々なヴェルディのオペラを聴いているのだが、ムーティが戒めている最後にアクート(超高音)を長く伸ばして終わる、声の饗宴を楽しんでいたと言った他の指揮者のヴェルディのオペラ演奏は、間違っていたのであろうか。
   ムーティは、イタリア語も話さず、高貴な意味でのイタリア人気質とは何かも知らない指揮者の演奏を批判しているが。

   ところで、ヴェルディの音色はトスカニーニが残してくれたと言うのが興味深い。
   彼は、ヴェルディの指揮で、チェロを弾いていたので、ヴェルディの創り出した音色を用いつつ、生涯を通して、より現代的に華麗に演奏したのだと言う。

   この本で興味深いのは、ムーティが、これまでの演奏会での面白い逸話などを語っていることである。
   スカラ座での「ナブッコ」を振っていた時、有名な合唱曲「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」Va, pensiero, sull'ali dorateの後拍手が鳴りやまず、「アンコール、アンコール」の合唱で、合唱団の同意の視線を感じて、トスカニーニ時代以降アンコールを禁止されていたタブーを破ったので、大論争を巻き起こした。
   スカラ座の「ラ・トラヴィアータ」上演の時、直前に、オーケストラがストライキに入ったのだが、ムーティには知らされず、総裁が開場して観客を劇場に入れてしまった。満員の観客を前にして、ムーティ自らピアノ伴奏するが良いかと同意を得て、荷役の去った後で2階のグランド・ピアノを下ろせず、仕方なく、歌手の楽屋の2分の1のグランド・ピアノを急遽舞台に運び込んで、オペラ公演を完遂した。

   もう一つ、私が興味を持ったのは、フィレンツェ五月音楽祭でのヴェルディの「レクイエム」の演奏時のムーティの感激である。
   サン・ロレンツォ教会でのコンサートだったので、円天井がブルネッレスキ作で、中にはミケランジェロのメディチ家礼拝堂があり、オーケストラはヴェロッキオ作の大きな祭壇を背にし、ドナテッロ作の二つの説教台の間に設置されている。素晴らしく芸術的な照明が堂内に当てられ、ドナテッロのルネサンス期の薄肉彫の像が照明に浮き上がり、びっくりするほどの美しさに目を見張り、始めることが出来ない程で、このような環境で演奏できるとは、この世に生まれて来たことを神に感謝する程の感動でだった。と言っている。
   私は、このレクイエムが好きで、ロンドンでのコンサートを強烈に覚えているが、コンサートについては、ヨーロッパやアメリカの教会や王宮、古城や遺跡、大庭園での夜外公演など、情趣たっぷりの異時空間の演奏会場での素晴らしい雰囲気の経験をしているので、如何に素晴らしい演奏空間が人々の心を幸せにし高揚させるか、ムーティの感激振りが良く分かる。

   この本のタイトルを、「ヴェルディ、イタリアの男」にしようと思ったと言う。
   ヴェルディのオペラには、人生があり、死に対する深い考えがあるのだが、それを、我々「イタリア人特有の性格」と言う言葉にできる限り広い意味を与えて作品に表現している。願望や情熱、愛、沈黙、失望、時には横柄な言動や攻撃的な態度や不寛容、とにかく、そのいずれもが、我々イタリア人の文化であり、我々の生来の性格を表している。ヴェルディは、我々イタリア人の」気性、イタリア人的な生き方を表現することに卓越した芸術家なのである。と言っている。

   さて、ヴェルディのオペラだが、残すとすれば、ヴェルディは、「リゴレット」かも知れないが、自分は、モーツアルトなら「コジ・ファン・トゥッテ」、ヴェルディなら「ファルスタッフ」だと言う。
   昨年、スカラ座の「ファルスタッフ」を観たし、シェイクスピアのファルスタッフの戯曲は何度も観ており、最晩年のヴェルディが、この喜歌劇を作曲したこと自体が驚きだが、ムーティの言わんとしていることも分かる気がしている。
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