熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

友の逝去を悼みつつあの世の幸せを祈りたい

2014年07月06日 | 生活随想・趣味
   昨日、知人の通夜に行ってきた。
   ブラジル時代からの知人で、家族ぐるみの付き合いであったから、亡くなったのは、長女の年長の幼馴染で、サンパウロにいた頃には、頼まれて、私が数学を見ていた。
   立派なエンジニアになって、会社関係の研究で、生体磁界測定装置の開発で博士号を取得した直後であったが、オートバイ事故に巻き込まれて、50歳の命を絶ってしまった。
   我が家に来た時に、研究の話をしていたのだが、文系の私には、イノベーションの片鱗には気付いたが、その程度の理解であった。
   男女の二人の子供と妻を残して逝ったのだが、幸いと言うべきか、子供が成人していたのが、せめてもの慰めであった。

   不幸は、集中して重なるもので、3年前に、夫の赴任先の上海で頑張っていた姉が、公害の所為だと思うのだが病気で帰国しながら薬石効なく亡くなってしまい、義兄と数日前に、姉の三回忌の法要の段どりを話していたところだと言うのである。
   10年ほど前に、父が亡くなっていて、残された母親は、脳卒中に倒れて、介護老人ホームで暮らしているのだが、面倒は、義理の子供二人と4人の立派に育った孫が見てくれるようなので、少しは安心ではある。
   車椅子で近づき、棺の窓に顔を近づけて、放心したように「○○、目を開けて」とぽつりと呟いて絶句した姿が、忘れられない。
   なぜ、一家に不幸ばかりが集中するのか。

   父母たちは亡くなってしまってはいるが、幸い、私たちの家族には、今のところ異変はなく、元気に暮らしている。
   しかし、私自身についてだけを考えてみても、これまで、手術入院を3回も経験しているし、何度か事故などで、死地を彷徨っていても不思議ではないような経験をしてきており、偶々、今現在、死や大病に見舞われずに、元気に生を全うさせて頂けていると言うことである。

   人生、僅か50年と言った昔から比べれば、もう、遥かに人生を歩んで来ており、終戦の廃墟から立ち上がり、必死になって頑張って、ロンドンパリを又にかけて歩いて来たのだから、実に、想像を絶するような多くの経験をして来たものだと、感に堪えない。
   しかし、今は元気でも、もう、20%近くの友人たちがこの世を去っている以上、どう頑張ってみても、近い将来に、私の生が終幕を迎えるのは間違いなく、要は、時間の問題だと言う気にはなっており、その心の準備はしているつもりだが、実際にどうなるかは分からない。
   晴耕雨読に勤しみ、能や狂言を楽しみ、毎日を平穏に送ってはいるのだが、いつ、体のどこかに激痛が走るかも知れないのである。

   生老病死、四苦を考える時に、何時も考えるのは、自分がこの世に生を得て、生きていることの不思議である。
   自分の肉体は、突き詰めれば、原子や分子の集合体であって、分解すれば、路傍の石や傍らの机などと少しも違わない筈なのに、自分と言う自意識を持って、この世に、独立の生命体として生きている。この奇跡と言うべき不思議さ有難さ。
   使命や生き甲斐や、あるいは、喜びや悲しみや、と言いながら、何の疑問も感じずに生きていることの有難さに感動して、戦慄に似た感慨を覚えることさえある。

   人を愛する目くるめくような幸せ、茫然自失感動に胸打ち震わせて仰ぎ見る自然界の美しさ、人知と人工の匠が生み出した途轍もない人類の文化遺産の素晴らしさ、・・・、どれほど、多くの苦難や苦痛とともに、感動しながら生きる幸せを噛みしめて来たことか、生あればこそであった。

   友の逝去を悔やみつつ、あの世にも、幸せがあることを、切に祈り続けたい気持ちで一杯である。
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