熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

庭に咲く花を生けて楽しむ

2014年07月25日 | 生活随想・趣味
   何時頃かは忘れたが、庭に咲く花を、適当な容器に生けて部屋の中に飾る(?)習慣がついているように思う。
   お客さんがある時などには、当然、花瓶などに花を生けるのだが、随分、長い間、外の花屋などで、花を買ってきたような記憶は、仏前などの花以外は、全くない。
   庭に、何かの花が咲いていて、その花を切り花にして、花瓶などに挿せばよいからである。

   
   この写真は、庭に咲いていた返り咲きのばらの、一寸咲き切った花を剪定のつもりで切って挿したものだが、結構華やかであり、部屋を明るくしてくれる。
   挿したのは、花瓶ではなく、オランダのデルフト焼の水差しで、泊まっていたホテルで30年以上も前に買ったもので、その後、探しても見つからなかったので、この作者限りであったのであろう。
   花を生けるのは、あっちこっちで買い求めた花瓶を使うのが普通だが、気分によっては、ヘレンドのカップや、茶道用の茶碗、ボヘミアン・ガラスの容器など、適当に食器棚や飾り棚から取り出して使っており、結構様になる。
   バックにあるのは、リヤドロの人形とローゼンタールの花瓶で、本当は、茶花などに興味があるのだが、部屋そのものが洋風なので、どうしても風流に欠けるのも仕方がないと思っている。

   花が、沢山、庭に咲き乱れる時には、増田兄に頂いた大きな陶器の花瓶を使い、花にそれなりの面白さがあれば、有田焼や萩焼や備前焼などの花瓶を使い、背丈の長いすっきりとした花の時には、長首のデルフトを、そして、一輪だけで存在感を示すバラにはバカラと言った調子で、私なりに、思入れもあるのだが、適当な容器に生けた花のアンバランスなミスマッチが、面白い雰囲気を醸し出してくれることもあり、結構、私自身の美意識が問われることとなって面白い。

   いずれにしろ、庭に色々な花木や草花を植えて育てていると、替りばんこに綺麗な花を咲かせてくれて、手招きをしてくれている感じで、花との対話が結構楽しいのである。
   不思議なもので、季節によって、花の姿や形が、どんどん変わって行くのだが、何時も、何かの花が咲いており、万一、花がない時には、葉や枝ぶりなどが面白いものを使って生けるので、部屋の中は、途切れることなく、自然の恵みを見せてくれている。

   最初は、綺麗な花を摘んだり切ったりするのが、何となく、可哀そうで忍びなかったのだが、大概の花木や草花は、切ればその後に綺麗な花が咲き、ばらなどもそうだが、切らなければ、むしろ、その植物の生育上悪いのだと分かってからは、その花の一番綺麗な時に、鑑賞させて貰って、花に感謝しようと思うようになった。

   ところで、千利休は、朝顔一輪だけで、秀吉を茶室に迎えたようだが、私には、そんな芸はないので、朝顔は、庭オンリーである。
   たった一日だけの命だが、毎朝、次から次に、新しい花が咲くのが面白い。
   
   
   
コメント
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