熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

観世能楽堂:納涼祭「土蜘蛛」ほか

2014年07月21日 | 能・狂言
   私が通っているのは、殆ど、国立能楽堂なのだが、能楽協会の公演では、宝生能楽堂や観世能楽堂で行われることがあって、今回の納涼祭能は、観世能楽堂であった。
   国立能楽堂では、字幕ディスプレィがあるので、詞章を追いながらかなり理解が進むのだが、観世能楽堂にはないので、国立能楽堂のプログラムを持って行って、時々、詞章を見ることにした。

   これまで、国立能楽堂主催の公演では、「高砂」は3回、「土蜘蛛」は2回観ているので、都合5冊、能楽堂への道中、解説なども含めて読んで復習をした。
   シェイクスピア戯曲の場合にもそうだが、事前にシナリオを読んだりストーリーを勉強して行くのだが、いざ、会場で観劇の段になると、すっきりとは頭に入っていないので、困ることになる。
   今回の「土蜘蛛」は、派手なアクションが伴っていて物語性が高い上に、会話形式の詞章が多いので分かり良いのだが、「高砂」は、もう、5回くらいは観ている筈ながら、中々、舞台を観ているだけでは、いまだに、謡が良く聴き取れなかったりして、すっきりとは舞台に馴染めないのである。

   「土蜘蛛」だが、最初に観たのは、2年前の式能で、喜多流の「土蜘蛛」でシテは中村邦生であったが殆ど覚えていないのだが、昨年、国立能楽堂開場30周年記念で行われた金剛流の「土蜘蛛」シテ/金剛永謹は、かなりよく覚えている。
   「千筋之伝」「ささがに」の小書きがついた公演で、この「千筋之伝」は、金剛唯一がこの華やかな小書きを工夫したようだが、今では、何処の流派も真似ているので、金剛流では、より多くの糸を投げて華やかさを増しているのだと言う。

   何よりも興味深かったのは、「ささがに」のアイ狂言で、茂山千五郎と七五三が、蟹の精となって登場し、頼光館の事件を語るのは同じなのだが、舞台狭しと愛嬌のある掛け合いを演じながら、蜘蛛退治に出かけて行く。

   さて、今回の「土蜘蛛」は、観世流で、シテ(前シテ/僧、後シテ/土蜘蛛の精)は銕之丞、ワキ/独武者は、福王和幸で、「入違之伝」の小書きがついている。
   この小書きも金剛流では、「形は消えて失せにけり」で、シテが退場する時に、舞台から橋掛リの欄干を握って橋掛リを宙返りをするようだが、観世流のこの舞台では、いったん後見座にクツロぎ、橋掛リに出て走り出たワキと行き違ってから、三の松で振り向いて糸を投げ、揚幕に駆け込むのである。

   
   この土蜘蛛で、特異なのは、蜘蛛の糸。
   前シテの僧が、まず、頼光に向けて左右二筋の糸を投げつけ、更に、刀を構えて立ち上がった頼光に向かってまた二筋投げつけ、更に、後シテの蜘蛛の精が、激しい決闘の最中に、独武者と従者に向かって何度も糸を投げつけるので、狭い舞台は、正に、蜘蛛の巣状態で、凄まじい修羅場を呈する。
   歌舞伎の舞台では、後見が出て来て、必死に糸を丸めて始末するので舞台は綺麗になるのだが、能の場合には、舞台の進行上、役者が払いのけたりはするものの、流れに任せたままで、見所にも飛んで来るし、その惨状が舞台効果を高めて面白い。

   さて、前シテは、直面で、銕之丞の精悍な整った顔が素晴らしいのだが、後シテ土蜘蛛の精は、面、顰、赤頭、法被、半切、打杖の鬼神仕立。と能を読むに書いてあるのだが、確か、面は黒かったので、黒頭だったかもしれないのだが、残念ながら、記憶にない。
   金襴を施した広袖の上衣・法被に、同じく金襴の半切と言う袴を着用した鬼神スタイルの銕之丞の蜘蛛の精が、3人の荒武者を相手にして、糸をまき散らしながら、舞台狭しと暴れ回るのであるから、凄い迫力である。
   最後には、作り物の塚に向かって仁王立ちになり、左右に、パッと勢いよく糸を投げつけたかと思うと、見所をバックにして壮絶な仏倒しで、背中から倒れて大の字で留める豪快さを見せる。
   銕之丞のがっしりとしたいぶし銀の様な野武士スタイルの豪快な土蜘蛛の精と、スマートな若武者姿の福生和幸の流れるような立ち回りが、実に感動的であった。
   尤も、この蜘蛛が、妖怪として朝廷に靡かない被征服民の象徴として登場し、勝てば官軍負ければ賊軍で、為政者の立場からの英雄譚だと言うことが、一寸、素直に喜べないのが気にはなっている。

   前場で、凛々しい病床の源頼光を舞ったのは、山階彌右衛門で、去年の夏の国立能楽堂の舞台では、シテであった。中々、風格のある頼光で素晴らしかった。
   ツレ/胡蝶は馬野正基で、能では、歌舞伎とは違って、一寸意味深の役柄のようだが、唯一の女性役で、存在感があった。
   またこの舞台のアイ(三宅近成)は、先のささがにとは違って、ワキ/独武者の従者として登場するのだが、大体、普通はこの形式のようである。
   当然のこと、囃子や地謡の素晴らしさは特筆ものなのであろうが、私の語れる世界ではないので、楽しませて頂いたと感謝の気持ちである。

   
   能「高砂」は、喜多流で、シテは粟屋能夫、ツレは殿田謙吉。
   私には、何回観ても、難しい能である。

   狂言は、「棒縛」で、大蔵流宗家大蔵彌太郎家の出演で、シテ次郎冠者が千太郎、アド主人が彌太郎、アド太郎冠者が基誠、非常に面白かった。

   ところで、能楽協会の主催公演なので、この舞台には、5流すべての登場で、仕舞では、夫々の宗家の登場となり、凄い舞台が展開された。
   「屋島」は、宝生流 宝生和英宗家
   「松風」は、金剛流 金剛永謹宗家
   「網ノ段」は、金春流 金春安明宗家

   素晴らしい納涼祭の能舞台であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする