先日、NHK BSで放映され録画して居た大映映画「忠臣蔵」1958年を見て、懐かしくなった。
映画やテレビ、それに、歌舞伎や文楽などで、随分、忠臣蔵ないしその関係の作品を見て来たのだが、私の「忠臣蔵」は、やはり、当時、この映画をはじめ、東映、松竹、東宝などが競って立て続けに製作していた「忠臣蔵」映画を通じて形成されたように思う。
1964年に、NHK大河ドラマで放映された「赤穂浪士」でも、映画と同じ、大石内蔵助が長谷川一夫、吉良上野介が滝沢修であったので、私には、特に、この大映の「忠臣蔵」が、印象に残っている。
「忠臣蔵」には、無数の逸話が残っているのだが、3時間のこの映画には、我々が良く知っている話などでもかなり省略されているのも仕方がないであろう。
この映画は、
監督・脚本: 渡辺邦男 脚本: 八尋不二/民門敏雄/村松正温 撮影: 渡辺孝 音楽: 斎藤一郎 出演: 長谷川一夫/京マチ子/三益愛子/市川雷蔵/若尾文子/中村玉緒/勝新太郎/山本富士子/中村鴈治郎/鶴田浩二/淡島千景/滝沢修/菅原謙二/川口浩 と言う素晴らしい陣容。
面白いのは、二代目中村鴈治郎が垣見五郎兵衛として登場するシーンで、長谷川一夫も、多くの映画で名優ぶりを発揮していた鴈治郎と、実に呼吸の合った感動的な芝居を見せていて、特に、この場面は感動的である。
仇討ちのために天野屋が調達した武器を江戸へ運ぶのだが、天下法度で関所の通過は不可能であるために、日野家の名代で垣見五郎兵衛が禁裏御用のために輸送係として京都から江戸へ下るのを知って、垣見の名を名乗っての道中である。
運悪く神奈川宿で、本物の垣見の道中がやって来て、宿の「垣見五郎兵衛御宿」という看板を発見し、本物の五郎兵衛が仰天して大石の部屋に踏み込む。
「我こそが垣見五郎兵衛」と譲らない大石に、垣見は、それなら道中手形を見せろと迫る。切羽詰った大石は、懐から、殿の短刀(九寸五分)を見せる。
じっと凝視していた垣見は、大石の真意を察して、自分の方が偽物だと詫びて、偽造したと言って道中手形を大石に渡して、何食わぬ顔で席を立つ。
落ちぶれて知る情の温かさに感激するも、襖の外では決死の覚悟でかたずを飲んで聞き耳を立てている部下たちが対峙しているので、「武士は相身互い。よくよくのご事情があってのこととお察し申す」と応えるのが精一杯、部屋を出た垣見に向かって、大石は、座布団から席を外して深々と頭を下げる。
長谷川一夫だが、1916年に、初代中村鴈治郎の門下に加わり、林長丸の芸名を与えられ、女形として人気を博したとウィキペディアに書いてあるので、二代目鴈治郎とは兄弟弟子であり、また、最初の妻は、その妹だと言うのであるから、呼吸の合うのは当然であろう。
当時は、歌舞伎と映画が一体になっていたようで、非常に興味深い。
この話は、仮名手本忠臣蔵にはなく映画や芝居だけである。
この映画では、吉良邸の絵図面が重要な役割を果たしていて、まず、最初に、浅野に好意を示す目付多門伝八郎(黒川弥太郎)から、吉良の本所への屋敷替えを前にして、移転先の松平信望旧宅の絵図面を、岡野金右衛門(鶴田浩二)が受け取ってスタディし、かつ、門前に商家を構えることに成功する。
そして、その次が感動的な場面で、同じく岡野が、吉良邸の改築を行った大工・政五郎(見明凡太朗)の娘・お鈴(若尾文子)から、絵図面を受け取る。
吉良在宅14日の報を得て、切羽詰った岡野が、絵図面を欲しいとお鈴を口説くお馴染みのシーンだが、その後の絵図面を盗み出そうとして見つかる父娘の会話や、築地塀越しの岡野と政五郎の掛け合いなど、非常にシンプルながら洗練されていて感動的であった。
この芝居では、岡野の鶴田が中々渋い演技をしていて、本来は現代劇の二枚目役が多かった鶴田の時代劇だが、良い味を出していた。
それに、善玉として颯爽として美丈夫な多門の黒川が、清々しくて良い。
何と言っても素晴らしい役者は、浅野内匠頭を演じた市川雷蔵で、看板役者の面目躍如、映画の方も、殺伐とした切腹シーンはなくて、白衣の内匠頭からカメラを一気に引いて桜花の蔭にぼかして場面転換を図るなど、同じ娯楽映画でも、くどいところがなくて感動シーンを紡ぎ出すところなど、中々、興味深い演出である。
さて、悪玉の筆頭は、吉良上野介の滝沢修で、憎々しくて卑劣極まりないと腹を立てて見ていたのだが、役者としては、実に上手いと言うことであろうか。
そして、千坂兵部の小沢栄太郎の策士としての老獪さも、見逃せない。
もう一つ、この映画で見逃せないのは、女性陣の豪華さ華やかさである。
女間者・おるい:京マチ子、大工の娘・お鈴:若尾文子、瑤泉院:山本富士子、りく:淡島千景、浮橋太夫:木暮実千代、戸田局:三益愛子、大石の母・おたか:東山千栄子
この映画の創作だろうか、千坂から放たれる女間者・おるいの京マチ子が、実に美しくて魅力的であり、大石に恋をするところなど中々興味深く、14日吉良が在宅だと言うことを知らせる役どころだと言うのも面白い。
やはり、山本富士子は、当然、瑤泉院であろうか。原節子とは一寸違った、日本人としての典型的な美女で、あの頃、主演映画を良く見に出かけた。
お鈴の若尾文子だが、京や山本とならぶ看板女優で、最初は「十代の性典」イメージだったが、地で行きながら雰囲気を出して素晴らしい芸を見せるところが、魅力的。夫の黒川紀章のロンドンでの展示会で、会場に来ていた文子夫人と暫く立ち話をした。
寅さんのマドンナを見てもそう思うのだが、この映画を見ていて、女優のイメージも随分変わったものだと思っている。
映画には、ストーリーにバリエーションが結構あって面白いのだが、歌舞伎や文楽は、やはり、仮名手本忠臣蔵が基本なので、芸で見せる良さがあって、興味深く、また、真山青果の元禄忠臣蔵のモダンで緻密な現代劇を見られるのも素晴らしい。
いずれにしろ、今のように娯楽に溢れた社会ではなかったので、映画製作に非常に熱が入った時代であったから、映画も良く出来ていた。
また、忠臣蔵については、私自身が、関西人で、同じ兵庫県の西宮生まれなので、赤穂浪士の討入り物語を知ってからは、ずっと、ファンだったので、多少、思い入れが違うのかも知れないと思うことがある。
映画やテレビ、それに、歌舞伎や文楽などで、随分、忠臣蔵ないしその関係の作品を見て来たのだが、私の「忠臣蔵」は、やはり、当時、この映画をはじめ、東映、松竹、東宝などが競って立て続けに製作していた「忠臣蔵」映画を通じて形成されたように思う。
1964年に、NHK大河ドラマで放映された「赤穂浪士」でも、映画と同じ、大石内蔵助が長谷川一夫、吉良上野介が滝沢修であったので、私には、特に、この大映の「忠臣蔵」が、印象に残っている。
「忠臣蔵」には、無数の逸話が残っているのだが、3時間のこの映画には、我々が良く知っている話などでもかなり省略されているのも仕方がないであろう。
この映画は、
監督・脚本: 渡辺邦男 脚本: 八尋不二/民門敏雄/村松正温 撮影: 渡辺孝 音楽: 斎藤一郎 出演: 長谷川一夫/京マチ子/三益愛子/市川雷蔵/若尾文子/中村玉緒/勝新太郎/山本富士子/中村鴈治郎/鶴田浩二/淡島千景/滝沢修/菅原謙二/川口浩 と言う素晴らしい陣容。
面白いのは、二代目中村鴈治郎が垣見五郎兵衛として登場するシーンで、長谷川一夫も、多くの映画で名優ぶりを発揮していた鴈治郎と、実に呼吸の合った感動的な芝居を見せていて、特に、この場面は感動的である。
仇討ちのために天野屋が調達した武器を江戸へ運ぶのだが、天下法度で関所の通過は不可能であるために、日野家の名代で垣見五郎兵衛が禁裏御用のために輸送係として京都から江戸へ下るのを知って、垣見の名を名乗っての道中である。
運悪く神奈川宿で、本物の垣見の道中がやって来て、宿の「垣見五郎兵衛御宿」という看板を発見し、本物の五郎兵衛が仰天して大石の部屋に踏み込む。
「我こそが垣見五郎兵衛」と譲らない大石に、垣見は、それなら道中手形を見せろと迫る。切羽詰った大石は、懐から、殿の短刀(九寸五分)を見せる。
じっと凝視していた垣見は、大石の真意を察して、自分の方が偽物だと詫びて、偽造したと言って道中手形を大石に渡して、何食わぬ顔で席を立つ。
落ちぶれて知る情の温かさに感激するも、襖の外では決死の覚悟でかたずを飲んで聞き耳を立てている部下たちが対峙しているので、「武士は相身互い。よくよくのご事情があってのこととお察し申す」と応えるのが精一杯、部屋を出た垣見に向かって、大石は、座布団から席を外して深々と頭を下げる。
長谷川一夫だが、1916年に、初代中村鴈治郎の門下に加わり、林長丸の芸名を与えられ、女形として人気を博したとウィキペディアに書いてあるので、二代目鴈治郎とは兄弟弟子であり、また、最初の妻は、その妹だと言うのであるから、呼吸の合うのは当然であろう。
当時は、歌舞伎と映画が一体になっていたようで、非常に興味深い。
この話は、仮名手本忠臣蔵にはなく映画や芝居だけである。
この映画では、吉良邸の絵図面が重要な役割を果たしていて、まず、最初に、浅野に好意を示す目付多門伝八郎(黒川弥太郎)から、吉良の本所への屋敷替えを前にして、移転先の松平信望旧宅の絵図面を、岡野金右衛門(鶴田浩二)が受け取ってスタディし、かつ、門前に商家を構えることに成功する。
そして、その次が感動的な場面で、同じく岡野が、吉良邸の改築を行った大工・政五郎(見明凡太朗)の娘・お鈴(若尾文子)から、絵図面を受け取る。
吉良在宅14日の報を得て、切羽詰った岡野が、絵図面を欲しいとお鈴を口説くお馴染みのシーンだが、その後の絵図面を盗み出そうとして見つかる父娘の会話や、築地塀越しの岡野と政五郎の掛け合いなど、非常にシンプルながら洗練されていて感動的であった。
この芝居では、岡野の鶴田が中々渋い演技をしていて、本来は現代劇の二枚目役が多かった鶴田の時代劇だが、良い味を出していた。
それに、善玉として颯爽として美丈夫な多門の黒川が、清々しくて良い。
何と言っても素晴らしい役者は、浅野内匠頭を演じた市川雷蔵で、看板役者の面目躍如、映画の方も、殺伐とした切腹シーンはなくて、白衣の内匠頭からカメラを一気に引いて桜花の蔭にぼかして場面転換を図るなど、同じ娯楽映画でも、くどいところがなくて感動シーンを紡ぎ出すところなど、中々、興味深い演出である。
さて、悪玉の筆頭は、吉良上野介の滝沢修で、憎々しくて卑劣極まりないと腹を立てて見ていたのだが、役者としては、実に上手いと言うことであろうか。
そして、千坂兵部の小沢栄太郎の策士としての老獪さも、見逃せない。
もう一つ、この映画で見逃せないのは、女性陣の豪華さ華やかさである。
女間者・おるい:京マチ子、大工の娘・お鈴:若尾文子、瑤泉院:山本富士子、りく:淡島千景、浮橋太夫:木暮実千代、戸田局:三益愛子、大石の母・おたか:東山千栄子
この映画の創作だろうか、千坂から放たれる女間者・おるいの京マチ子が、実に美しくて魅力的であり、大石に恋をするところなど中々興味深く、14日吉良が在宅だと言うことを知らせる役どころだと言うのも面白い。
やはり、山本富士子は、当然、瑤泉院であろうか。原節子とは一寸違った、日本人としての典型的な美女で、あの頃、主演映画を良く見に出かけた。
お鈴の若尾文子だが、京や山本とならぶ看板女優で、最初は「十代の性典」イメージだったが、地で行きながら雰囲気を出して素晴らしい芸を見せるところが、魅力的。夫の黒川紀章のロンドンでの展示会で、会場に来ていた文子夫人と暫く立ち話をした。
寅さんのマドンナを見てもそう思うのだが、この映画を見ていて、女優のイメージも随分変わったものだと思っている。
映画には、ストーリーにバリエーションが結構あって面白いのだが、歌舞伎や文楽は、やはり、仮名手本忠臣蔵が基本なので、芸で見せる良さがあって、興味深く、また、真山青果の元禄忠臣蔵のモダンで緻密な現代劇を見られるのも素晴らしい。
いずれにしろ、今のように娯楽に溢れた社会ではなかったので、映画製作に非常に熱が入った時代であったから、映画も良く出来ていた。
また、忠臣蔵については、私自身が、関西人で、同じ兵庫県の西宮生まれなので、赤穂浪士の討入り物語を知ってからは、ずっと、ファンだったので、多少、思い入れが違うのかも知れないと思うことがある。