今秋はじめての椿が咲いた。
玉之浦のアメリカからの里帰り椿のタマグリッターズである。
昨年より、1ヵ月早く咲いたのだが、いよいよ、椿のシーズン到来である。
この椿は、千葉の庭から持ってきて移植したもので、新しい庭にも馴染んで、しっかりと存在感を示している。
千葉の庭の玉之浦は随分大きくなって、毎年沢山の花を咲かせて、樹勢旺盛だったが、この椿は、まだ、1メートル50センチくらいの背丈なので、これからである。
小さな昆虫がやって来て、花粉の採集を始めだした。
昨年、兄弟のタマカメリーナを植えて、今年、タマアメリカーナの苗木を買って、鉢植えにしているのだが、今春、珍しくも、タマカメリーナが実を付けたので、実生にして育てようと思っている。
挿し木や接ぎ木ではないので、雑種であろうが、どんな花が咲くのか楽しみだが、随分、時間がかかるのが、実生の難である。
安達瞳子さんによると、日本人は、原種に近い一重咲きの筒状や椀状の簡素な椿を好み、三分や五分咲きを愛すると言うのだが、私の場合には、ばらからガーデニングに入り、ヨーロッパで花を好きになり始めた所為か、欧米人のように、八重咲き・千重咲き・獅子咲きなど派手な椿の方に興味が移って行きつつある。
日本原産の椿の花を、イギリスの庭園などでも随分見て驚いた。
良く通ったキューガーデンにも咲いていたし、色々な椿を見てきたが、日本の椿が、最初にヨーロッパへ渡ったのは、16世紀に、ポルトガル人宣教師が持ち帰ったもので、欧米の洋椿は、それ以降、日本の椿が親になって作出されたのだと言う。
「椿姫」のモデルとなったマリー・デュプレシは、余程、椿が好きであったのであろう、没後、発見された花屋の請求書は、一寸した家なら一年暮らせる数字だったと言うから、当時のパリでは、椿は、極めて貴重な花であったのであろう。
しかし、この椿は、花にもよるが、蕾が開くと、すぐに、花弁が落ちてしまう。
首が落ちるのを連想して、武士たちが、嫌ったと言うのだが、十三夜の月を愛でる中国の美意識の影響もあろう、茶花でも、蕾の椿を活ける。
本当は、しっかり開花して生きる喜びを謳歌した椿花が一番美しいので、私は、そのつかの間の椿の輝きを愛でたくて、庭で育てて、切り花にして活けている。
ガ―ディナーの楽しみである。
私が住んで居たロンドンのキューガーデンの自宅には、大きな赤い椿の木が植わっていて、毎春、豪華に花をつけた。
一枝でも持ち帰って、挿し木にすれば良かったのだが、当時は、その余裕がなく、帰国してから、印象のよく似た薩摩紅を買って、庭植えにした。
その椿は、千葉に残したので、鎌倉に来てから薩摩紅の鉢苗を買って、庭植えにして、思い出を反芻している。
とにかく、ばらもそうだが、椿が咲き始めると嬉しくなる。
さて、わが庭で、今咲いているのは、ホトトギス。
蕊が非常に特異な形をしていて、肉眼では気付かなかったのだが、マクロレンズで接写すると、蕊にびっしりと小さな水玉の様な球粒が付着している。
神の造形の妙と言うことであろうか。
木の実は、沢山のキウイとネズミモチくらいしかないのだが、メジロが飛んできて、梅の木を渡って、すぐに飛んで行く。
つがいで飛んでくるのが、良い。
玉之浦のアメリカからの里帰り椿のタマグリッターズである。
昨年より、1ヵ月早く咲いたのだが、いよいよ、椿のシーズン到来である。
この椿は、千葉の庭から持ってきて移植したもので、新しい庭にも馴染んで、しっかりと存在感を示している。
千葉の庭の玉之浦は随分大きくなって、毎年沢山の花を咲かせて、樹勢旺盛だったが、この椿は、まだ、1メートル50センチくらいの背丈なので、これからである。
小さな昆虫がやって来て、花粉の採集を始めだした。
昨年、兄弟のタマカメリーナを植えて、今年、タマアメリカーナの苗木を買って、鉢植えにしているのだが、今春、珍しくも、タマカメリーナが実を付けたので、実生にして育てようと思っている。
挿し木や接ぎ木ではないので、雑種であろうが、どんな花が咲くのか楽しみだが、随分、時間がかかるのが、実生の難である。
安達瞳子さんによると、日本人は、原種に近い一重咲きの筒状や椀状の簡素な椿を好み、三分や五分咲きを愛すると言うのだが、私の場合には、ばらからガーデニングに入り、ヨーロッパで花を好きになり始めた所為か、欧米人のように、八重咲き・千重咲き・獅子咲きなど派手な椿の方に興味が移って行きつつある。
日本原産の椿の花を、イギリスの庭園などでも随分見て驚いた。
良く通ったキューガーデンにも咲いていたし、色々な椿を見てきたが、日本の椿が、最初にヨーロッパへ渡ったのは、16世紀に、ポルトガル人宣教師が持ち帰ったもので、欧米の洋椿は、それ以降、日本の椿が親になって作出されたのだと言う。
「椿姫」のモデルとなったマリー・デュプレシは、余程、椿が好きであったのであろう、没後、発見された花屋の請求書は、一寸した家なら一年暮らせる数字だったと言うから、当時のパリでは、椿は、極めて貴重な花であったのであろう。
しかし、この椿は、花にもよるが、蕾が開くと、すぐに、花弁が落ちてしまう。
首が落ちるのを連想して、武士たちが、嫌ったと言うのだが、十三夜の月を愛でる中国の美意識の影響もあろう、茶花でも、蕾の椿を活ける。
本当は、しっかり開花して生きる喜びを謳歌した椿花が一番美しいので、私は、そのつかの間の椿の輝きを愛でたくて、庭で育てて、切り花にして活けている。
ガ―ディナーの楽しみである。
私が住んで居たロンドンのキューガーデンの自宅には、大きな赤い椿の木が植わっていて、毎春、豪華に花をつけた。
一枝でも持ち帰って、挿し木にすれば良かったのだが、当時は、その余裕がなく、帰国してから、印象のよく似た薩摩紅を買って、庭植えにした。
その椿は、千葉に残したので、鎌倉に来てから薩摩紅の鉢苗を買って、庭植えにして、思い出を反芻している。
とにかく、ばらもそうだが、椿が咲き始めると嬉しくなる。
さて、わが庭で、今咲いているのは、ホトトギス。
蕊が非常に特異な形をしていて、肉眼では気付かなかったのだが、マクロレンズで接写すると、蕊にびっしりと小さな水玉の様な球粒が付着している。
神の造形の妙と言うことであろうか。
木の実は、沢山のキウイとネズミモチくらいしかないのだが、メジロが飛んできて、梅の木を渡って、すぐに飛んで行く。
つがいで飛んでくるのが、良い。